〈素っ頓狂なる喜劇の合図〉
キ、キモい...。コールタールを引っ掛けたような重たい映像感覚のもと、ねっとりとした不愉快な人間ドラマが展開される。しかし、ふいに『ウエスタン』顔負けの場違い感あるひょ>>続きを読む
〈異邦人の漠然とした孤独と愛の希求〉
表題になっている“テキサス州パリ”は、つまり男にとって永遠に辿りつけない幻想のようなものなのだろう。妻との再会を果たしてもなお、こころの傷が癒えることはなく、>>続きを読む
『ミツバチのささやき』から10年の時を経て製作されたヴィクトル・エリセの第2長編。『地獄の黙示録』の仏領荘園の美女オーロール・クレマンが出演している。
前作にも増して、親と子の心の不在をテーマに>>続きを読む
スペインの小さな村に忍び寄る戦争と体制化の気配を、少女の純然たる眼差しと感受性で捉えようとした寡作監督ヴィクトル・エリセのマスターピース。🐝
検閲を掻い潜るため、フランコ政権への批判を暗号のよう>>続きを読む
〈カトリーヌ・ドヌーヴは笑わない〉
ON/OFFの切り替えがないタイプのミュージカル映画がこの時代にもうあったのかと一驚。ヌーヴェルヴァーグの登場人物に特有の軽やかさ、余裕の装い、および本心をはぐ>>続きを読む
オムニバスの様相を緩く帯びたライヒャルト作品。元々尺が短く淡々としているライヒャルトの作品は、一見オムニバス形式と相性よく思えるのだが、案外そうでもないのかもしれない。物語が一連のまとまりを手にした>>続きを読む
〈大仰な虚構の世界に託されたラストメッセージ〉
作り手の存在を想定せず一本の映画を見つめるというのは改めて難しい。本作もまた「これは大巨匠の遺作なのだ」という免れ得ない意識が、その破戒的コラージュ>>続きを読む
〈60年代日本の片隅で、不条理な世界が顔を覗かせた〉
安部公房の原作が1962年、この映像化が64年。当時の日本は高度経済成長期の真っ只中にあった。ある教師の男は、そんな東京の喧騒から逃れるように>>続きを読む
〈爆破すら見せないライヒャルトの異常な素っ気なさ〉
やはりオレゴンを舞台に据えたケリー・ライヒャルト長編第6作。しかしながら、革新派のエコロジストがダム爆破テロを引き起こすという大仰な物語となって>>続きを読む
“Water or bloods.”
現代から一転、19世紀半ばのオレゴンに遡上したケリー・ライヒャルト長編第4作は、訛りのキツい英弱泣かせの西部劇。『The Lighthouse』の悪夢が蘇ると>>続きを読む
〈紛い物を見抜けない牧歌的村落。そして厳格な信仰の勝利へ〉
『恐怖の岬』『ドゥ・ザ・ライト・シング』に影響を与えた1955年のカルト映画。ロバート・ミッチャムの圧倒的存在感を期待させながら、ドイツ>>続きを読む
〈案外あっさりとした15歳、ひと夏の恋〉
新型コロナウイルスに見舞われている2020年は、“ひと夏の恋”の発生件数が例年よりも大幅に減少することが予測されている。刹那的で甘酸っぱい恋が地球に足りて>>続きを読む
『Old Joy』は、ふたりの男が秘湯を目指して2日間の旅をする簡素な物語だ。
ケリー・ライヒャルトは『River of Grass』製作後、この長編第2作を完成させるまで実に12年間の月日を必>>続きを読む
〈終焉間際に浮かび上がる人間の絶望的本質〉
ハンガリーの不毛な大地に砂嵐が激しく吹きつける。馬は云うことを聞かなくなり、井戸水は突然涸れてしまう。俗世から乖離した小屋でジャガイモのように無味乾燥と>>続きを読む
〈お約束から逸脱していく虚しき逃避行〉
出身地を舞台に若者の倦怠感や鬱結を描くのは、新人監督のイニシエーションと云える。たとえば『パーマネント・バケーション』『ミーン・ストリート』『アンソニーのハ>>続きを読む
〈始と終を見せない誠実な目線〉
遠出も帰省もできそうにないこのお盆は、ケリー・ライヒャルトとエリック・ロメールに捧げることに決めている。二人の描く開放的な世界にすべてを預けよう。
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〈すべてを払い除ける女の崇高な魂〉
中年女性の崇高なる愛の追求を描いたC・T・ドライヤー最後の長編作品。採点不能。
この映画、人物の視線がいっこうに噛み合わない。ソファやイスに腰かけては視線を>>続きを読む
〈喜劇王が生身で送る人間賛歌〉
チャールズ・チャップリンが仮面を脱ぎ捨て、マイムを抑制し、コメディを慎んだ。人柄の滲んだチャップリンの素顔に泣き、思いのほか饒舌に語られる人生観に泣く。本作は「生死>>続きを読む
ブンチャカ、ブンチャカ。東欧のエキゾチックな魅力と底抜けの喧騒に感覚が麻痺してくる。クストリッツァ映画は精密な採点が難しい。
「大セルビア主義(ユーゴ諸国の独立性を重視せず、統合を推進する考え方>>続きを読む
〈言語媒体の不統一が生み出した映画史に残る6分間〉
最後の6分、チャップリンは見えない舞台衣装を脱ぎ捨てた。機械化を嘆き、愛の尊さを謳ったあの演説は、しがない床屋の言葉ではなく、チャップリン本人の>>続きを読む
〈批判性の密度の変化が気づかせるもの〉
「チャップリンよりはキートン派かな」とか早く云ってみたいので、意を決してチャップ林に足を踏み入れる。
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資本主義社会は、利便性や経済発展の代>>続きを読む
〈☆2.9は傑作の証〉
『ツリー・オブ・ライフ』然り、Filmarksの☆2.9作品にはアーティスティックで切れ味の鋭い作品が隠れている。(2020年8月15日現在)
本作『アンダー・ザ・スキ>>続きを読む
〈宗教観の鶴瓶打ちと、その先に確かに待つらしい超自然的瞬間〉
本作品は実に多様な宗教観が展開される。キリスト教に敬虔な者。不信な者。その両方を肯定する者。宗教観はあるが禁忌の恋に屈する者。キリスト>>続きを読む
教習所はつまらないビデオの代わりにこの短編を流すといい。『怒りの日』BDの映像特典。
〈キリスト教社会の孕む欺瞞と、人間の奥底に眠る悍ましさ〉
舞台は17世紀半ば。あるデンマークの村では魔女狩りが盛んであった。呪いを行使した・異端者であるといった理由で女性を審問しては、火刑に処して>>続きを読む
〈54歳、衝撃のカメラドール受賞作〉
ストリートチルドレン出身で、無実の罪から30代を丸々牢獄で過ごしたというヴィターリー・カネフスキーが、本作を以て万丈の気を吐いた。54歳にてカメラドール受賞と>>続きを読む
〈会話と日常的所作の同期〉
仕事や住居、男女関係に齷齪する大人たちの日常を『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のような小刻みなフェードアウトと素っ気ない会話によって構築していくオリヴィエ・アサイヤ>>続きを読む
〈妖女の心臓に鉄棒を刺せ!〉
吸血鬼映画は、ポランスキー→ジャームッシュと全く正しくない入り方をし、未だ『吸血鬼ノスフェラトゥ』すら観ていないので掴めていないジャンルの一つなのだが、本作品はなかな>>続きを読む
〈画面一杯に溢るるジャンヌの激情〉
熱い。ブレッソンの『ジャンヌ・ダルク裁判』同様、ジャンヌの異端審問から殉教までを描いた作品だが、与える印象はもはや対極にある。無機質な筆致を以てジャンヌの感情を>>続きを読む
〈企画先行型がたどり着いた惨憺たる容貌〉
ルイ・フイヤード『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』のリメイク作品の製作過程を描いたオリヴィエ・アサイヤス作品。女盗賊Irma Vep(Vampireのア>>続きを読む
〈凍れる世界が終焉を物語る一抹の逃走〉
1972年、フランス。五月革命の狂熱がとうに冷めきったパリ郊外で、やり場のない閉塞感が若者を幻想へと駆り立てた。
本作は、フランスのTV局アルテの企画に>>続きを読む
〈パラジャーノフと巡るカフカス行脚 その4〉
7/24(金)『火の馬』
7/25(土)『ざくろの色』
7/26(日)『スラム砦の伝説』
7/30(水)『アシク・ケリブ』✔︎
パラジャーノフの遺作>>続きを読む
〈不可逆の人生を演じつづける者たち〉
映画に魂を売った男が自らに捧げる鎮魂歌。一方では死を見据え、一方では過去にしがみつく。順風満帆とは決して云えない映画人生を歩んできた男の静かなる叫びである。>>続きを読む
〈イスとゴジラとヒキコモリ〉
海外監督の目を通した歪なTOKYO像の三連打。
①『インテリア・デザイン』
「町山智浩のアメリカの今を知るTV」でおなじみ藤谷文子が出演するのは、このミシェル・>>続きを読む
〈『LETO-レト-』に連れられて〉
ジョナサン・デミは『羊たちの沈黙』以外にもう一本サイコキラー映画を撮っている。トーキング・ヘッズの白熱のライブを収めた『ストップ・メイキング・センス』だ。音楽>>続きを読む
〈パリのなか、孤立した世界で愛が蠢く〉
片脚を引きずった男、片眼を失った女、そして廃れたポンヌフ橋。満身創痍で自己満足的な匂いが鼻を突くカラックス渾身の恋愛劇。
男女ふたりの居場所を大都市パリ>>続きを読む