優しいアロエ

ホーリー・モーターズの優しいアロエのレビュー・感想・評価

ホーリー・モーターズ(2012年製作の映画)
4.0
〈不可逆の人生を演じつづける者たち〉

 映画に魂を売った男が自らに捧げる鎮魂歌。一方では死を見据え、一方では過去にしがみつく。順風満帆とは決して云えない映画人生を歩んできた男の静かなる叫びである。

 『汚れた血』の頃のギラギラした演出は削ぎ落ちている。力が抜け、乾燥したような質感に(悪い意味ではなく)つくり手の老いを感じた。カラックス作品のかつての魅力であった若者特有の無我夢中な痛々しさや実験的なカットの応酬を期待して観るべき作品ではないだろう。

 本作は冒頭におけるカラックス本人の登場からもわかる通り、自己昇華の色あいが強く、一見閉じきった作品に見える。だが、実は群像的な抱擁力を湛えていることに徐々に気づいていくことだろう。主人公オスカーは、様々な人間を演じるという不可解な仕事を行なっているわけだが、この仕事の担い手が彼に限らないことがわかってくるのだ。たとえば、元恋人役で登場するカイリー・ミノーグ(元々ジュリエット・ビノシュにオファーが検討された!)。あるいは『顔のない眼』のようにマスクを被るエディット・スコブ。誰しもが演じる瞬間の集積を生きている。

 オスカーの営みは、あたかも世界を暗躍するスパイのようである。だが、その真相はもっと呆気ないもの。彼は「演じること」の美しさに魅せられただけだった。その美しさは観る者の瞳の中にこそ生じる。観る者がいなければ元も子もない。それでも彼は演じつづけるのだ。人生と映画の境界を見誤った人間の哀れな姿。彼は「人生を巻き戻したい」と呟きながら、已むなき前進をつづけている。だが、それはすべての人間に当てはまることだった。ここに群像的な味わいがあると思うのだ。
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 オスカーが自らと同じ顔を持った敵を殺すのは、自身の中に芽生えうる悪質な要素との決別なのではと、ふと思う。銀行家の暗殺はコマーシャリズムとの決別。ギャングの暗殺はよくわからないが。

 町山氏の映画塾がYoutubeに上がっている。『千年女優』への言及でスッキリした。もっと人生を歩んでから、また観直そう。
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