優しいアロエ

リバー・オブ・グラスの優しいアロエのレビュー・感想・評価

リバー・オブ・グラス(1994年製作の映画)
4.5
〈お約束から逸脱していく虚しき逃避行〉

 出身地を舞台に若者の倦怠感や鬱結を描くのは、新人監督のイニシエーションと云える。たとえば『パーマネント・バケーション』『ミーン・ストリート』『アンソニーのハッピー・モーテル』が挙げられるが、本作もその一つだろう。警官の片親の元、マイアミで育った主人公コージーは、ケリー・ライヒャルトの私性が多分に反映されている。

 グッチーズ・フリースクール編 『USムービー・ホットサンド』によれば、ライヒャルトはこの長編処女作を“道なきロードムービー”と形容している。本作は「逃避行映画」という明確な様式をとっているが、この逃避行はいっこうに前に進まない。60年代末のニューシネマのようには事が上手く運ばないのである。

 コージーとリーの逃避行は、ある庭にて誤って殺人を犯したところから始まった。しかしその後は散々な結果ばかりだった。強盗に入れば“最も情けない形で”未遂に終わり、バスに乗るというこのジャンルの禁忌にすら手を染めようとする(そして、それすら成功しない...)。料金所を突き破ることだって勿論できない。ふたりは思い描いた展開を何ひとつ起こせず、マイアミを停滞する。追う警官側にも緊張感がなく、ふたりは逃避先で悲劇的な死を迎えることすら叶わない。映画のお約束が訪れることはなかったのだ。

 そもそも初めに殺人を犯していたかすら曖昧だ。ふたりにはどこか映画と現実を混同してしまったような悲壮感がある。“道なき”ところに道を錯覚してしまったのだ。自分をボギーと履き違えた『勝手にしやがれ』のベルモンドは結局映画としてカッコよかったが、本作は“映画にすらならない痛々しい姿”を映画にしてしまった。そこに強い共感を覚える。

 映像面も地味ながら光っている。わたしは本作にフロリダとスタンダードサイズの魔的相性を見た。ライヒャルトは開放的なフロリダの風景をあえて1.33:1という閉塞的な画角で閉じ込めることで、全カットにレコードのジャケットのような様相を与えている。絵の具を塗ったようなカラーもそこに一役買っている。特に海辺でふらふらと黄昏るシーンがすばらしい。ただしこの映像美が本作の“映画にすらならない痛々しさ”を損なうことはないだろう。
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