サミュエル・L・ジャクソンは割と相性の悪い俳優のひとりで、本作のようなラリったチンピラ役だとどうも苦手である。『ドゥ・ザ・ライト・シング』『ジャンゴ 繋がれざる者』ではよかった。彼は基本何を演じてい>>続きを読む
映画のサンプリングは一瞬で過ぎていくぶんにはいいのだが、本作はひとつひとつが長いし緩い。仙人との修行シーンがカンフー映画へのリスペクトのためだけに存在しているのが良い例だろう。『浦安鉄筋家族』並の雑>>続きを読む
〈上質が低質のフリをする、タランティーノの映画遊戯〉
後期のタランティーノ作品を貫く「復讐」の物語。ただし、その虚しさで胸を抉るパク・チャヌクとは真反対。“やり返すことがいかに痛快か”を証明しつづ>>続きを読む
【過去鑑賞作品 77】
“横に狭い”密室劇を、笑いが込み上げるほど“横に広い”2.76:1のアスペクト比で撮る空間魔術。あの山小屋がひとつの町にすら見えてくるのは私だけ?
タランティーノほど「>>続きを読む
【過去鑑賞作品 76】
〈相反する2つの美学の合わせ技〉
タランティーノなら断トツでコレ。マカロニ・ウエスタンへの敬愛に溢れた、明快で直線的なリベンジアクションだ。
意表を突く早撃ちが刹那の>>続きを読む
〈ジャンゴ “溜め”知らざる者〉
棺桶を引き摺り、メキシコ国境沿いの泥濘んだ大地をさすらう男がひとり。彼の名はジャンゴである。
棺桶の中身が強烈なマクガフィンとなるのだが、ジャンゴは思いのほ>>続きを読む
〈ふたりの夢から始まった、シュールレアリスム映画の金字塔〉
「暴力」ではなく「痛み」そのものを喚起するような鮮烈なコラージュ。たった16分間であれよあれよと曲調が変わり、オートマティスムに即した>>続きを読む
【過去鑑賞作品 75】
〈暗黒史に圧勝するタランティーノの作家性〉
タランティーノがついに歴史に手を出し、作品が妙な正統性を帯びはじめたのは、この『イングロリアス・バスターズ』からのことだった。>>続きを読む
【過去鑑賞作品 74】
〈自ら「パルプ」と名乗ってみせる、レンタル屋店員の革命宣言〉
「映画」という格式高いイメージのある娯楽をラジオ化・ビデオ化することで、タランティーノは大衆的で手に取りやす>>続きを読む
〈有毒なルールに溺れる悲恋の女〉
ミヒャエル・ハネケは、胸糞映画の仕掛け人というイメージが強いが、それは“なにかを執拗に描く”からなのだと思いつつある。たとえば、『ファニーゲーム』では露悪的なサデ>>続きを読む
〈純白の箱庭が血に染まる〉
花は自分の色を選べない。白なら白。赤なら赤。それは人間も同じ。自分が誰であるかを選べない。でも、そのことを受け入れれば自由になれる。
「ヒロインは内側から殻をつつく>>続きを読む
〈聖者と魔物の異種混合〉
パク・チャヌクは、手札の「神父」と「吸血鬼」を融合し、古今未曾有の「十字架を身に纏う吸血鬼」を召喚した!
韓国は仏教以上にキリスト教が浸透している国として知られる。カ>>続きを読む
〈親となり、親を知る〉
子どもの頃は、親の愛情や苦労を想像でしか知ることができない。自分も親になることで、ようやく気づくことがある。
「母と子」の関係を連鎖させる構造を、アルモドバルは繰り返し>>続きを読む
〈I’m not excited!〉
ペドロ・アルモドバルとしては珍しくRottenTomatoで60%割れしている迷コメディ。
ペネロペ・クルスとアントニオ・バンデラスが出るなら楽しめるかな>>続きを読む
〈水も滴るいい男〉
ゲイの若い映画監督が、保守的な神学校時代の初恋相手と再会する。新作『ペイン・アンド・グローリー』同様、アルモドバルの半自伝的作品と云われる。
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やはりアルモドバ>>続きを読む
〈肌の下にひた隠す「本当の自分」〉
なんて忌々しい...気に入った!
誰の目にも触れえぬ世界で進められていた禁忌への踏込。しかし意志を失わず、外の世界へと逃れ出る逞しさ。愛の倒錯と科学の神秘が拮抗>>続きを読む
〈じんわりと熱を帯びた禁断の愛/街がエロい‼︎〉
既婚者どうしの情事を描いた王家衛の代表作。なんとも官能的で、刹那の幻想へと酔わせてくれる。ラブシーンが深く描かれるわけではないのに、不思議な魔力が>>続きを読む
たしかにペネロペ・クルスはオードリー・ヘップバーンと似てるかもしれない。本作は髪型なんかも意識してそう。
アルモドバルの代表作と比べると誠実なつくりになっており、特に欠点が目立つ作品ではないのだ>>続きを読む
〈心弱き者を「神」は蝕む〉
ラース・フォン・トリアー暫定ベスト。エミリー・ワトソンの猟奇的な演技は、『鏡の中にある如く』『叫びとささやき』のハリエット・アンデルセンを彷彿とさせる!
これはキリ>>続きを読む
「戦場で必要なのはスピードじゃない、冷静さだ」
観光客の帽子が風邪で飛び、国境を越える。たったそれだけのことで、ピリッとした空気が流れ、同時に感動を生む北緯38度線、板門店。
今なお続く「朝鮮>>続きを読む
〈断ち切れぬ復讐の連鎖〉
「復讐」とは、被害者が加害者になることだ。では、加害者になった後は?また、被害者に戻る。復讐すれば、別の者に復讐される。復讐はドミノ倒しの様相を呈すのだ。
本作がすば>>続きを読む
〈パク・チャヌクもやっていた「せめて映画のなかでは鉄槌を」〉
児童誘拐事件の濡れ衣を着せられたクムジャさんがリベンジを果たす、パク・チャヌク「復讐三部作」3作目。
『復讐者に憐れみを』『オール>>続きを読む
〈それでも「神」は捨てられない〉
本作もやはり「神の沈黙」についての映画。しかし、世界の混沌が神への不信を生んだ『第七の封印』から翻り、本作『処女の泉』はミニマムな悲劇となっている。無垢な娘が殺さ>>続きを読む
〈ペドロ心は秋の空〉
ペドロ・アルモドバルの強かで温もりのある女性群像劇が、カサヴェテス的な俗っぽいスリルと融合した。
物語の破綻を気にしないのは、アルモドバルの手癖の悪さである。唐突なストー>>続きを読む
〈女性の内なる神秘へ〉
スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルは、乾いた紅や黄、オレンジを画作りの基調としている。それは国旗やサッカーのユニフォームからもわかる通り、スペインのナショナルカラーである。>>続きを読む
〈熱く優しい「女性」たちの百花繚乱〉
主人公マヌエラを中心とした、色とりどりの花束のような作品だ。ペドロドバルの演出する暖色の世界で、「女性」の多様な在り方が提示され、しかし彼女たちに共通する温も>>続きを読む
〈ありがとう、ベルトルッチ〉
ベルナルド・ベルトルッチのキャリア50周年作品にして遺作。原題『IO E TE(あなたと私)』のとおり、社会から逸れた若者ふたりが互いに身を寄せ合う、小さな成長の物語>>続きを読む
〈リトル・ブッダというか、だいぶブッダ〉
宿命を背負った人間を描く試みこそ『ラスト・エンペラー』同様。しかし本作は、ベルトルッチの「宿命をまだ知らない幼気な男の子フェチ」が爆発しすぎている。
>>続きを読む
〈ベルトルッチのエキゾチズムが先行してない?〉
現実に辟易し、異国へと逃げ出した夫婦だが、実はその内側にこそ脆さが潜んでいた。だから場所を変えても不穏な気配からは逃れられない。挙げ句の果てには、そ>>続きを読む
〈それはいつしか独りの闘いへ〉
日本でも社会問題となっている「老老介護」を描いたパルムドール受賞作。少子高齢化、核家族化が進んだ国ほど、この問題とは向き合っていかなれけばならない。
衰弱が進ん>>続きを読む
1913年、ドイツのとある郷村。住民たちの距離感が非常に近く、プロテスタント信仰が浸透。「白いリボン」に象徴される父権主義的な理念が家庭を支配していた。
そんな村で不可解な事件が相次ぎ、人々の欺>>続きを読む
〈不条理は一家の間を嵐のように過ぎ去った〉
父親の顔がケヴィン・スペイシーに似てるせいで、一家に降りかかる災難を物質主義的価値観へのアンチテーゼだと穿って見てしまう『オーストリアン・ビューティー』>>続きを読む
〈自分のなかのイヴを刺し殺す〉
「ANTI CHRIST」の正体たる「♀=女性性」を断ち切る地獄への転落劇。トリアーは自身のテーマを探究するために限定的な空間と人間に犠牲になってもらう容赦なき映画>>続きを読む
「私を変える? 社会と同じ、変わらないのよ」
60年代初頭の台湾社会にただよう欺瞞と不穏を、少年たちの抗争や恋愛が抉りだす。
「本省人/外省人」「昼間部/夜間部」と二項的なものがキーワードにな>>続きを読む
〈奇跡はきっかけにすぎない〉
ハンガリーの女性監督イルディコー・エニェディは、冴えない人間の日常に一条のファンタジーを差し込ませながらも、現実的で不器用な努力に真摯に寄り添いつづけた。
主人公>>続きを読む
〈カラフルな井の中で蛙は運命に奔走する〉
ポップなデザインと奇抜な編集を脳ミソが喜ぶアメリ療法。脳への餌やり、目の保養、コロナに対する最適解。ビジュアルの宇宙に身を投じ、疲弊する楽しさを教えてくれ>>続きを読む