〈始と終を見せない誠実な目線〉
遠出も帰省もできそうにないこのお盆は、ケリー・ライヒャルトとエリック・ロメールに捧げることに決めている。二人の描く開放的な世界にすべてを預けよう。
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ウェンディは新しい職を求め、犬のルーシーとともにアラスカを目指している。しかし、彼女の旅の「始まり」と「終わり」がほとんど明示されない。どこから来たのか。どんな生活をしていたのか。なぜアラスカを選んだのか。アラスカにはたどり着くことができたのか。
必要最低限と思しき始と終のディテールすら排除することで、ライヒャルトは貧しい人間の旅路を“通過点の住人のような”無力な目線から見つめている。我々もウェンディをある一時点からしか見守ることができない。しかしこれが、残酷な広大さを誇るアメリカでそれでも別の場所を目指す決意をした人間との誠実な接し方なのだろう。
「住所を持つには住所がいる。仕事もだ」
老いた警備員がふとこんなセリフを放つ。これは自己責任社会アメリカにおいて、一度正常な生活を失ってしまった人間が元に戻ることがいかに難しいかを物語っている。だからこそルーシーは本土からかけ離れたアラスカへと向かうのだ。そんな絶望的な事実など鼻で笑われるような、まったく異なる世界に憧れて。
しかし彼女はまた本土へと戻ってくることだろう。愛犬ルーシーがそこに待っている。ルーシーのためを想った彼女の決断は、そのままこのアメリカへの僅かな希望でもある。リーマンショック直後の絶望的な状況下、ライヒャルトは希望を経済的・社会的なものとして提示するような真似はしなかった。ただそこへの名残惜しさの象徴として、あの結末を用意したのではないか。
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役作りのため実際に車上で夜を過ごしたというミシェル・ウィリアムズの演技はすばらしかった。万引きして店を出るときの目!あれにはギョッとした。