てんあお

海辺のリアのてんあおのレビュー・感想・評価

海辺のリア(2017年製作の映画)
5.0
5.27~28「小林政広監督オールナイト」での先行上映にて鑑賞。とりあえず、公開が始まったので記録をつける。個人的には、現状2017年度のベストといってもいい。それほどのとてつもない衝撃を受けた。

正直、舞台演劇に馴染みのない観客や、ワンシチュエーションのドラマが苦手なひとには、観ることが辛い作品かもしれないけれど。定点にカメラを据えて、決められた画角のなかでいかに動き芝居をするか、という映画として当たり前のようなことで、まだこれだけの迫力や驚きを喚起できるのか。

有り体にいえば、痴呆老人に振り回される「訳ありな」家族の物語、なのだけれど。その「ボケている」と思われる老人の、正気というものの在りかを探りながら観ることに、興味を惹かれるのである。彼の振るまいに捲き込まれ失望し、尚も彼を捨て置けない登場人物の有りように、活きる力を感じ、それを分けてもらうかのような時間を過ごす。

広角レンズが捉えるなかに、時に点に近づくほど引いた画であったり、そうかと思えば、時に大写しで熱弁をふるったり、感情をぶつけあったり。彼らの心情にシンクロしていく構図というものに、映画の根源をおもい返される。

非常に演劇的に行われるやり取りのなかに、物凄い リアリティーの喚起が姿を現す。どうしても、兆吉を演じる仲代達矢に目を奪われ勝ちになるなかで、時折とんでもないモノに出くわすのだ。

阿部寛が携帯片手に話す姿を、ルーズ目にとらえ続けるという場面。なんてことのない見た目のなか、その画角のなかで、感情的に無理のない範囲で振る舞い、彼の感情の変化を、動きと立ち位置の変化で表現する、という、非常に難易度の高いことをやっている。

例えば、格闘技の試合をテレビ中継で観る際、熱心なファンほど、寄りの画で写し出されることを嫌う。そこで何が行われているか、判別出来るくらいの距離さえ保たれていれば、扇情的なクローズアップは必要ないという意見があるからだ。演劇にも似たようなことが言える、適切に距離が保たれてさえいえば、それでよいのである。

数年前『ホーリー・モーターズ』という作品のなかで、提示された問い。どこにあるかわからないカメラの前で演技をするということと、演じるという行為の美しさ。そこから、逃れられない俳優たちの哀しみ。それらをどう考えるか、ということ。その問いに対する、ひとつの答えが、この作品にはある。

小林政広監督といえば、映画ファンの恥ずかしい側面も掬いつつ、着実に映画でしか出来ない表現に挑んできたひとである。けれど、ここ最近の数作は、非常にシンプルでありながら真似の出来ない、神がかっている作品を生み出してようにも思える。その背後にある覚悟も少なからず知ってはいるけれど、その分を差し引いても、掛け値なしに気高い。日本の、良心ある映画狂の1人。そんな監督にまた再び、映画を介して出逢えることに喜びを感じている。
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