プロデューサーも監督も脚本家も俳優もジュディを踏み台にしてじぶんの名声と賞だけを追求することに微塵の躊躇いもない。貧しくて惨めだ。
ファンでもなんでもなかったけど、ジュディの名誉のためにちゃんと他の>>続きを読む
宗教観というか罪と救いの概念がドストエフスキーぽい。ラグナルの傍白なんて特に。
近づいてくるアイスランドを機内から見下ろして、ほんとにここに降りるの?ってちょっと焦ったことある。二度と帰ってこられな>>続きを読む
ゴルチエが毎年観ては涙を流してるというこれ、アマプラに来てる。また観られるとは。
モノクロだし現代に比べるとセットも音楽もはるかにシンプルなんだけど、だからこそときめきや傲慢や絶望がよぎるクローズア>>続きを読む
ちょっと早すぎたのか?公開当時も地味だったけどもっともっと評価されるべきだと思う。
選ばなかったほうの可能性についてわたし達は永遠に思いを巡らせられる。こうなってたかもしれない、でも案外こうだったか>>続きを読む
人はみんな変わるけど、ふたりがおなじスピードで変わることはない。
台詞とか演出はちょっとキツいところ多い。
大好きな人はたくさんいてもここまで崇拝することないから戸惑ってしまった。明らかな偶像に自分のすべてを賭けられるその異様なまっすぐさがわたしはまだちょっとこわいというか。
でも女性のために憤れる女性達>>続きを読む
わたしは子どもを持つ気は毛頭ないけど、友人の子にとってこういう存在になるのが夢。サードプレイス的な。子どもの頃、職業不詳で博識で孤独でちょっと浮いててでもめちゃくちゃおもしろいジョーク言えていっしょに>>続きを読む
ずーっと眺めるような目で生きててじぶんのことでさえ周囲の方が感度が高いのリアルだ。
わたしは「病み終える」という概念がすごく好き(っていうと語弊があるけど)で、焦りからくる半端なポジティビティやプレ>>続きを読む
大人らしい割り切りや立ち回りを身に着けてるかと思えば子どもみたいに意地っぱりだったり、こぢんまりしたレストランに満ちるそういう小規模感が憎めない。愛してなかったらそもそも無風だもんね。おたがいに対して>>続きを読む
大好きっていえるのはthe whoくらいの状態で観たけどどのアクトも絶品。ラヴィ・シャンカルほとんど興味なかったのに号泣した。映画館で静かに座ってるのむしろ辛い、踊って拍手したい…
・がなるように歌>>続きを読む
個性と一定の普遍性を兼ね備えたフィルターを通して平易な言葉で映画を紹介することが彼の天職なんだと思う。他の作品でも致命的だったけど自前の映像は類をみないくらいセンスがない。あれならカメラに向かって語っ>>続きを読む
文字通り生きてるだけで蔑まれ侮られ屈辱を受ける。黒人警官は味方ではなくてむしろ忠誠を示そうと積極的に殴る。そしてそんな人生を強いられる彼らは黒人女性やゲイに人権があるとは夢にも思ってない。罵倒のバラエ>>続きを読む
我が家は芸術に関してはセックスや死のモチーフにもかなり制限ゆるめの方針だったので、11歳くらいの頃わけもわからずサイケなパケが気になったこれもレンタルさせてくれた。おかげでスカムに触れたしこの世界の裾>>続きを読む
なんでアラナ出ちゃったんだ。PTAは好きなのもあるけど15歳と恋愛する成人は無理。なんで女性が歳上パターンだと甘くなるの?アラナの立場になることあるけどどれだけ大人びてて素敵でも相手が未成年の時点です>>続きを読む
心底キモい。覗きもストーカーもわたしは一生許す気ないからいじらしさを出されても泣きたいのはこっちだけど、それでもなお映画としてはすごみがある。
階段を転がって足元におちるフルーツ、それを床に手や膝を>>続きを読む
アザリロヴィックの「エコール」や「ミミ」のような暗さとは程遠いけど、子ども時代だけのあのさみしさをごまかさないからおなじベクトルで好き。寝る時間ですと言われたら寝ないといけない、スキャンダラスなパーテ>>続きを読む
ストーリーは正直なんてことないけど画で黙らせてくる。画に見惚れてるうちに陳腐すれすれの他愛のなさも癖になってくる。
エリザベス・アーデンとヘレナ・ルビンスタインが席を離されてて笑った。そりゃそうだ。
公式に近いけど教材以上の印象も熱意も残らない、なんかぬるっと虚しい感じ。これより4年も前にトレトンがあの美しい「イ>>続きを読む
ミランダの本でこんなシーンあったよね?って思っちゃうくらい、たったこれだけの時間にきちんと入れてくれるミランダほんとに大好き。名まえもつけられない、どうシェアしていいのかわからないあの愛に別の光を当て>>続きを読む
紫の上のたどる道も、南にいくほど男らしさが有害になるのも国は違えど一緒だよね…10歳上のスーパースターがペドフィリアマザコンモラハラ男だった時、14歳の少女に何ができるっていうんだろう。ひたむきで純粋>>続きを読む
より距離が近い「サタン・タンゴ」、激しく語りかけてくるタル・ベーラ。ここで頂点に達してる。
人間は天体や音楽に比べると情けないほど秩序が希薄なのにかと思うと一丸となって破滅に進みだして止められないう>>続きを読む
こんな覇気のない消え入るような「ボナペティ」人生で聞いたことなくて未だにそこだけでも観たくて戻ってくる。一生更新されないでほしい。
駅を埋め尽くす人達の顔、彼らが必死に掲げる顔写真、顔、顔、顔、それがもうひとつのひまわり畑みたい。あのシーンではあえてカメラはジョヴァンナだけにフォーカスしないから、すべての顔のひとつひとつが例外なく>>続きを読む
人はいろんな希望にかりたてられるんだね…それから名前を呼ばれた時のあの血生臭さ。
あんなにひとりの希望ともうひとりの絶望がぶつかりあってかなしい音をたてるダンスシーン観たことなかった。
原題のBesiegedが好きすぎる…恋っていうまいとするあの瀬戸際の感じがすべてだから邦題ちょっと待ってほしい。
その時はほんとにいらないと思って返した一輪のお花がだんだん自分の中で育っていっちゃう>>続きを読む
だからラーマン苦手、もうほんと泣きたい。必要に迫られて観たけどミュートして衣装だけ眺めていたかった。
そもそも原作からして一途を通り越して鬱陶しいんだけど、フィッツジェラルドの卑屈さとかなしい洗練が>>続きを読む
「ドアをノックするのは誰?」でこれを思いだした。カイテル、カトリック、性被害で展開するまったく別の物語。
太宰もいったように楽しくて飲むアル中はいない。麻薬中毒者もギャンブル中毒者も泣きながら打って>>続きを読む
※フラッシュバック注意
カトリックのホモソワールドに生きるオタクが恋人の性被害をネタにかわいそうな俺ごっこするお話。解散!
絶妙に嫌悪感を催すギルティプレジャーとしてのファミリーロマンス。いい。いいっていったら語弊があるレベルの居心地の悪さがいい。まるできもちよくない。それがいい。こんなものできもちよくなれてたまるかって異>>続きを読む
救いようのない方向音痴だからしょっちゅうがんばった末にぽつんと立ち尽くす。口頭で懇切丁寧に説明されてもわからない(わかったと思って向かうけどたどりつけない)し、google mapで歩ける人には一生理>>続きを読む
家族やパートナーや友人やそういう愛する人達のまえに もしなんの名まえもないわたしとして現れたら、彼らはわたしをなんて名づけるのかなってよく考える。そして彼らでしかない彼らをわたしはをなんて名づけるんだ>>続きを読む
テクノロジーや特殊メイク、豪華な音楽もりもりの現代映画ももちろん好きだけど、やっぱりこれはぶっ飛ばされる。ほぼオルガンだけで何世紀もの隔たりをなかったことにされちゃう。毛穴まで騒ぎだす。これを観ると毎>>続きを読む
母親も息子も検察も精神科医も弁護士も、状況次第で急に悪そうな顔に見えてきたり真摯に見えてきたりする自分が一番信用できない。唯一いえるのはワンオペ育児を見てて何とも思わないパートナーは男女問わず最低とい>>続きを読む
ネグレクトのシーンがかなり辛いので要注意。
人生で一度も子どもをもちたいと思ったことがない女性として生きてると、パートナーいるのに?健康なのに?子ども好きなのに?トラウマもないのに?余裕もあるのにな>>続きを読む
エンディングのパトリック・ウルフで涙腺爆発した。元気だったのか〜
優しくなれば優しさがかえってくること、弱さをさらけだしても大丈夫と安心できること、損なわれた自分が満たされると同時に愛する人を満たす>>続きを読む