水蛇

バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト デジタルリマスター版の水蛇のレビュー・感想・評価

4.2
「ドアをノックするのは誰?」でこれを思いだした。カイテル、カトリック、性被害で展開するまったく別の物語。

太宰もいったように楽しくて飲むアル中はいない。麻薬中毒者もギャンブル中毒者も泣きながら打ってる。だから仕方ないとかじゃないけど、依存症はトラウマや報酬系のバグによって起きるものだと理解する必要はあると思う。じゃないと根性論になっちゃうから。

それなのにLTの暴力も暴言も発砲も救われたいという必死のもがきにしか見えなくなってきたところに現れるシスターは究極の精神論を体現したような存在で、それでいて完全な救いと赦しを得てるんだよね。だけど彼女の赦しは罪状が罪状だけに個人的感情のレベルを越えて社会的意味を持ってて、赦したことによって次の被害者を生みかねない。じゃあ赦しって誰のものなのか、誰が誰をどこまで赦し得るのか、何を与えたら赦したことになるのか。

性被害の告発を強要する権利は誰にもないと思ってるけど、同時に「わたしは大丈夫だからいい」を自分には許せないでいる。過去にハラスメントやミソジニーに耐えたことでたぶん別の誰かをおなじ目に遭わせてしまったから、もうそんなことしたくない。わたしにはキリストはいないしわたしの罪で死んだわけじゃないから、個人的なものでありながら個人レベルをはみ出たこの怒りを許せるのは自分自身しかいないんだな…と思ってたらLTがボロボロの心身をひきずって渾身の悪あがきを見せてくれた。罰することを望まない彼女を尊重しながら俺にできることが何かあるはずだ、それをやってやる、という混乱した闘い。ぺち!みたいな弱々しいビンタ、笑ったけど好きだった。ふりしぼったんだね。こっちまでウ゛〜〜!って唸りたくなるgiveだった。

LTの「女性は大勢レイプされてるのにシスターだと大騒ぎするのはなんでだ」に対する同僚達の答えが「少しは敬え」なの、このあたりの文化を端的に表しててヒリヒリした。いや全人類を敬ってくれ。
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