ロッツォ國友

バービーのロッツォ國友のネタバレレビュー・内容・結末

バービー(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

Kenough!!!!


本物のバカ向け酔っ払いイカレお花畑ムービーだと思ってた(ド失礼)んですが、とんでもない!!!
複数配置の高度なミラーリングと巧妙なメタファー遣いを張り巡らせた、サイケデリックソーシャルクエスチョンムービーでございました!!!!


フェミニズム映画ってことで身構えてたけど、むしろこれ、トレンドのフェミニズム理解とは逆に解釈しました。
つまり、女性はバービーではなくケンに投影されていると思ったんです。
最後のあたりで、これを書きます。

どうしてもストーリーの根幹に触れないといけない作品なので、ネタバレ有りで。


…どう見てもバカ向けとしか思えないプロモーション展開だった(アメリカで全部ピンク塗りの店舗作るとか)クセに、実際の中身はバカには絶対理解できない作品になっていた。
主張の出し方がガチ過ぎ且つ玄人好み過ぎるんすよ…!!



まずキャスト面!
マーゴット・ロビー最高!!!
顔がイイ!!!!!!!

何にも知らんし調べてないのでむちゃくちゃテキトーなこと言うけど、バービーってアメリカだと"定番"のロングセラー女の子おもちゃなわけでしょう。

たぶん、日本だとリカちゃん人形にあたるのかな。
現時点だとリカちゃんを現場採用している女の子がどれくらいいるのかはちょっと不明だけどね。

でいうと、アメリカでのバービーも現役なのかはちょっと分からないけど、間違いなく大人世代はみんな馴染みがあるはずで、少なくともテキトーなキャスティングしたら銃撃事件に発展しかねないだけの熱量を持ったファン層が確実に沢山居る。


よってここでの王道トップ女優の起用は必然と言えるだろうけど、本作におけるややキワモノな扱い含めて最高の演技だった。
本来のイメージ通りのバービーも、理想とは違うリアリティあるバービーも両方熱演できている。

マーゴット・ロビーの顔面が良過ぎて霞みがちだけど、彼女は地に足をつけた"人間味ある演技"も完璧にこなせるわけですよね。そこに今回気づけてよかった。
生き生きしてて超良かった。
あと、顔が良い。


特に終盤のバービー不貞寝が面白すぎた。
まじでオモチャ転がした感じでウケる。そしてある意味、バービーは憧れのお人形さんなんだから、気に入っているうちはうつ伏せに保管などしないはずだ。
それがただのオモチャとして飽きられ始めると、ああやってうつ伏せに転がすのも厭わなくなる、のかもしれない。

作品全体を通して、慣れた女の子による人形扱いの変化がマーゴット・ロビーの演技演出として表れているとも言えるだろうね。

うつ伏せのマーゴット・ロビーで笑うことになるとはな…w


それからケン役のゴズリングもバッチリだったね!

後述するが、ケンは本作のテーマ上における影の主役にあたるので、彼のバカっぽくもピュアでストレートな演技はバッチリだったと思う。
イケメンだけど、真面目イケメン役よりはこういう頭おかしいバカ役がしっくりくるよね。
ナイスケン。Kenough。



続いて設定面。
ディテール全体は、バービーヲタク大歓喜の内容だったんじゃないかしら。
7割は元ネタを知らなかったけど、限定生産だったり試験的に売り出したけど廃盤になったレアグッズ?が多数登場し、ゴリゴリなメタネタがこれでもかとぶち込まれている。

コアすぎて全然分かんなかったけど、本国では大ウケだったんじゃないの??

作品トータルとしてはイデオロギー全開の作風ではありながら、もちろん、タイトル通りのバービー愛は尋常ならざる熱量で表現されているし、しかもヲタクの早口解説的な一般の方々を置いてけぼりにするようなノリでもなく、本物の愛を面白おかしく取っ付きやすくエンタメ化していて超良かった。


人間世界とは別で緩めな位置取りにバービー国があり、ひょんなことから行き来できちゃう……というキチガイ設定とか、どれくらい真面目に受け止めていいか困惑するようなナンセンスギャグの嵐とかで前半こそ呆然としてしまったけれど、これはさ、メタ的な距離感でバービー人形愛を表現しつつ、ロングセラーであるが故にバービー人形が置かれてきた社会的な立場や人々のイメージの変化まで含めて語るにはこのイカレ設定が最適なんだと思ったんだよね。


"バービーというキャラクター"が持つフィクション的な世界観だけでも、
"バービーという人形"が持つオモチャとしての立場だけでも、
バービーを語ることはできないと判断したんだろう。

ドリームハウスの内側も外側も映さなければ、バービーの真の姿は見えてこない。

最初観ててテキトーに作ったのかと思ってたが、違う違う。
これは推敲に推敲を重ねた結晶ともいうべき無二の設定なのだろう。
正しいと思いましたよ。
Kenough。




………さて、本題。

いつも通り本作のテーマはなんだろう?と思いながら観ていたのだが、ホントに最後の最後まで混乱しまくりなくらい、極めて複雑な作りでビックリした。
にも関わらず最後は綺麗に締めてて、それにもビックリした。


画面上に現れるモチーフはどれもが何かしらのメタファーになっており、また表現上も複数同時並行のミラーリングによって世界観を構築しているので、ただの女の子キャピキャピワールド💕😆🫰💕を期待していると闇の中に放り込まれる設計になっているのだ。

玄人向け過ぎるよ。。。。


ここで語るミラーリング尺度は大きく分けて三軸。
①バービー&現実男性 V.S. ケン&現実女性
②昔のバービー人形 V.S. 今のバービー人形
③男の作る理想の女 V.S. 女の作る理想の女
→ここから結論に繋げていく。



ミラーリング①について。
まず、バービー界と人間界は男女のパワーバランスが<逆転>している。
(人間界が男社会なのかどうかを検証し出すとキリがないしロクなことがないので、ここでは人間界は男社会と断言しておく🫰)

つまりバービー界ではバービー側が既得権益と男性の象徴であり、ケン側が社会的不利と女性の象徴だ、ということだ。


バービー界では女性が実権・主権を握り、また実際に社会を引っ張るに足る能力と心意気が備わっている。一方男性はお飾りで、自分では何も決められず、権力を持てず、女性にとって都合の良い程々に無力なカスとして生殺しにされている。

実際どうこうは一旦置いておいて、本作における人間界とは真逆の配置にされており、これが終盤の展開に、ヒネリの効いた毒入りスパイスとして生きてくる。



ミラーリング②について。
バービーはかつては全ての女の子の理想像そのものであり、スタイルも仕事もライフスタイルも全部引っくるめて
「何でもなりたいものになれる」
という激励のようなパワフルなメッセージを秘めた人形だったし、実際それを皆が好意的に受け止めていた。
…と表現されている。

だがそれがロングセラーとして君臨し権威的になってくると、上述したメッセージはそのまま女の子の幸せを勝手に規定したような、一種の呪いのようなものになってしまい、商品展開も迷走しあんまりウケなくなっている。


スタンスとしてのバービーはある意味何も「変わっていない」のだが、変わりゆく社会においてそれは封建的・後進的で野暮なシンボルになってしまっており、女の子たちの心とバービー人形の立ち位置が<逆転>してしまった。

この変化も、終盤の展開で効いてくる。



ミラーリング③について
②を踏まえて…だけど、かつてのバービー人形の立ち位置と本作におけるバービー界は、そして多分実際もそうなのだろうが、男社会が男だけの会議室で作り出したものだった。
女性が主導権を握っていそうな根幹部分を男性が握っており、実態とイメージが<逆転>している。

つまり本作における"女の子の理想"は男がマーケティングによって作り出したものの中から形成されることになるわけで、純粋にバービー界をそのままのカタチで持て囃しても"女性が市民権を勝ち取った"というストーリーにならない。


もちろん、売れずに廃れた商品もたくさんあるから、「男によって女が操られてる!」という感じでは全然ないが、それでも選択肢を用意する側に女性が居なかったことは腑に落ちないだろうし、それが受け入れられてしまう事自体が屈辱的なメッセージにもなりかねない。

女の子の理想……謂わば「こんな風になってみたいな」と思う姿が全て男性によってデザインされていたというのは捉えようによってはかなりグロテスクな話と言えるだろう。


「ホラ、男の言う通りにしてるのが一番だろ?」となっては、バービーを愛した全ての女の子が報われない。
しかし当然、逆にバービー的な世界を完全否定したとしても本作のポジションとしては相応しくない。




さて、ここまでの①②③のミラーリングを重ね合わせてみると……

バービー人形がロングセラー化していたが故に構造上孕んでしまう
「"バービーの肯定"と"女性の肯定"をカンタンに両立できない」
という問題が浮かび上がる。
そしてそれらを整理し解決策を提示するところまでやっているのが、本作の最も優れたポイントだと思う。




バービー界におけるバービーは既得権益を持っており、それは男達が会議室で作り出した幻想でもある。

もちろん、キラキラした世界観に救われ勇気付けられた女の子も沢山いるが、時代と共に人々の理想は画一的なものから多様なものへと変化していった為、バービー、またはバービー的なるものでは理想の体現ができなくなってしまった。


一方で本作におけるケンは、人間社会を見ることによって、ずっと蔑ろにされていたことに気づき、覚醒し、自分達がかつてのバービーと同じように振る舞えるよう革命を起こすことになる。

この展開は明らかに、20世紀初頭に活動を開始した初期フェミニズム運動そのもののメタファーであることが分かる。


そしてケン達の姿には、議会でも、大統領でも、会社の重役でも、ノーベル賞受賞者でも依然として女性が少ない現状を結果論的に批判し、他の女性を説得・啓蒙しひっくり返そうとするような、一種過激化した近年のフェミニストの姿が見え隠れてしている。



では、ケン達の"革命"の結果はどうだったか?
確かに、色々壊せばケン優位社会=女性優位社会は実現できる。
やりたいこと(やってみたかったこと)がやれる。

しかし、実のところは全然楽しくない。
というか、そんなにやりたい仕事じゃない。

バービー(≒現実男性)が全部を牛耳っている事自体は事実で、それが不均衡な状態であることも自明だが、同時に、それは強い方の性別が重く苦しい仕事を全部押し付けられている…とも取れる。


ちょっと意見が分かれるところで難しいが、バービー優位社会・男性優位社会が問題であるとしても、全く同じカタチで逆転(=ミラーリング)させても多分うまくいかないし、何も解決しないのではないか?というのが本作の問題提起であると思う。


そして重要なのは、これを言われているのは現実男性ではなく現実女性である、ということだ。
既得権益に溺れる男への批判ではなく、今まさに活動を頑張るフェミニストへの警鐘に見えたのだ。



ケンは、権力を握っても結局しっくり来なかった。
抑圧を可視化し、課題を共有する動きに問題はない。市民権運動の態度として正しいと言える。
けれど、その成果として立場を逆転させて既得権益を総舐めし、「抑圧する側」に立つことが自分たちを救いうるわけではなかった。


本作としては、まずケンは付属物としての「Barbie and Ken」を脱して「Ken is JUST Ken」を目指すべきであり、偉くなるより各々がKenoughになることを目指して然るべきである……という着地点を示してみせた。


これは、かつて20世紀初頭における最初のフェミニズム運動が目指していたことをソフトな形で実現した理想系でもある。

性差による不利益をなくし、"個人の尊重"を社会全体に理解させること。

男性を糾弾しても、女性を偉いポストに入れてもそれは達成されないし解決にはならない。
残念ながら昨今ではその辺が有耶無耶になっている。ただ単に女性が議員や会社役員になれば良いのだとするような酷い誤解が市民権を得つつある。
それは、フェミニズムの思想とは違う。

ケンに偉いポストを総ナメさせたら国が良くなったか?
なっていない。

何より本人達が、獲得した権益を前に心底つまらなさそうだったではないか。
挙句の果てに卑怯な手を使われてあっさりと政権を奪われている。

当初の理想を履き違えて「上っぽいポスト」を奪還したとて、何も解決しないし男にひっくり返されるだけなんだよ、真に先んじて社会で勝ち取るべきものは他にあるんだよ!というメッセージに見えるのだ。


だからこれ、男性批判映画のように見えるけどホントは逆で、フェミニズムの原理主義に基づいた女性への警鐘映画だと思っている。



本作終盤で、「最高裁判長就任」の申し出が軽くあしらわれ、とりあえず地方裁判長あたりからやってみれば?と言われたあの感じ。

男性からそんなことを言われたらかなり屈辱的かもしれないが……それでも重要な足掛かりであり、実績作りのチャンスであるとも言える。


革命や洗脳のような破壊的なアプローチでは社会を変えるはできない。
いきなりトップオブゴッドじゃなくて、まずは一つ一つ実績を積み重ね、常識や意識を文字通り書き換えて、実態に基づいて着実に力をつけていく……社会を変えるにはそれしかないではないか。

と、言っているように感じた。
それは現実男性&バービーに対してではなく、現実女性&ケンに対して向けられたメッセージだと思っている。


表面上はケンだから、まるで人間界の男性をバカにしているかのようなシーンばかりだけど、実際はどれも人間界の女性を象徴していると思うし、おちゃらけたテンションではありつつも最後には勇気づけるようなメッセージをつけてある。
これをそのまま女性に向けてもカドが立つだけだが、ケンを置いてるからそうは見えない。

イマドキ表面だっては表現出来ないメッセージを、こうして逆さまにして届ける毒の入れ方。
舌を巻く想いだ。



まあ……これ捉えようによっては、男性が「お前らに優位側の苦悩は分かんねーよ」と切り捨ててるようにも見えるので、普通に腹立つメッセージにもなりかねないが、それでも、現実を踏まえた真剣な問題提起に感じるし、例え幾重にも束ねられたミラーリングでの撹乱をしていなくても、

"○○優位社会はどうすれば平和的に、より良いカタチに改善・昇華できるのか?"

といったテーマを真剣に扱おうとする姿勢が感じられる。


感じ方は分かれそうだが、バービー側ではなくケン側に、人間界の女性を投影し男女格差のあり方を逆転して見せる設計はとにかく巧みだと感じたし、またその姿勢は何よりも真摯であると思った。

決してどちらかを不躾に貶したり踏み躙ったりはしていない。
そもそも初代作者も、バービー人形を世に出すことで軋轢を広げようなどとは思っていなかったはずだしね。


まさか創業者まで登場人物として出すとは夢にも思わなかったが、原点に立ち返り、その原点にバービー自身が人形ではなく人間としての救いを得るお話ということで、モチーフ遣いもテーマ的なまとめ方もストーリーテリングも非常に優れていると感じた。

最後の最後までどうなるか全く予想がつかなかったが、結果的にとてつもなくよく出来た、愛の重い「バービー映画」に仕上がってましたわ。



安直なフェミニズム甘やかし映画みたいに思われてるが……俺は絶対真逆だと思う。
フェミニズムぶん殴り&叩き直し映画だ。

クソ面白かった。とにかく高度。

ごっつぁんでした。
いや、Kenoughでした。
ロッツォ國友

ロッツォ國友