ロッツォ國友

哀れなるものたちのロッツォ國友のレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.1
「慈愛をもって切れ」



アート映画のクセにおもしれえ!!!!!

最初から最後まで、徹底して抜かりない「アート的」語り口でありながら、極めて普遍的なテーマを真摯に捉えた会心の一作。

うぅーーーーこれは良い作品だなぁ。
唸らされる。面白かった。



まぁまず印象的なのは色彩とデザインでしょうねえ!
序盤こそ白黒ながら、第二次性徴期とも言うべきポイントから"世界"がカラフルに映えわたる。
色遣いにめちゃくちゃ気合が入っている。

過去でも未来でもないファンタジー的な世界観で、画面に映る全てが異なる色彩を放ちつつ、それでいてゴチャゴチャさせていない。

とはいえ主題は後述するように人間の人生そのものなので、奇抜ではあれど何もかもを奇妙奇天烈理解不能スーパークレイジーに描いているわけではない。
あくまでホンモノを模してちょっぴり遊びを加えた色彩とデザインに留めている。


音楽はちょっと………現代音楽過ぎて、アレでしたけどね。
アレです。
6割くらいの曲はちょっと受け入れ難かった。。
ただ後半の曲はイケてるやつもあった…みたいな印象。

まぁ、いいけどね。
映画のノリにはピッタリだからBGMとしては圧倒的に正しいと思うけど、ずっと聴いてると気が狂う曲調と言えようか。



エマ・ストーンつったらLA LA LANDが真っ先に浮かぶけど、まぁーーーー印象が全く違うとんでもない役をやってて、それが超ハマってて最高だったね!!!

何もかも(脳含めて)が別人のようなキャラクターなので受け入れ難い人も居るかもしれないが、ジャズ男とほろ苦い恋をした後、役者になるっていう夢を叶えてコレをやっているのだと思うとなかなか味わい深いもんですよ。


リアルガチの「体当たり演技」がホント鮮烈なんだけど、ここまで振り切った世界観と役ならむしろ何よりも面白いかもしれない。

で、演じて面白そうなのはそれはそれとして、世界観を全く損なわず豊かに押し広げる彼女の演技はまさしくスターのそれ。

あの歩き方、いいね。
見目麗しき女性にはあるまじき、赤子の延長線上としてのヨチヨチ歩きなんだと思うけど、世界の広さに正面から相対する時は誰もが赤子なわけだから、むしろ人としてストレートで素直な人物描写だったと思う。
俺も真似する。



そんでウィレム・デフォーがマジで良かった!!

人間を辞めたとしか思えぬ所業の数々に実在感を持たせながら、最も暖かな人間として描いている。パワーと狂気と愛とが入り混じった優しい怪物。
まずは顔全体の傷跡に目が行きがちだが、その奥に光る"眼差し"こそ、彼がただの外科キチガイ難解用語フランケンシュタインではないことを何よりも物語っている。


全体からするとゴッドは「冒涜」の化身であったように思う。
外科的アプローチから人の身体を切って貼って研究する本業の延長線上として、人の脳を入れ替えるとか、異なる動物の体をくっつけるとか、死んだ母子を持ち帰ってアレするとか、謂わば生物を「弄ぶ」かのように扱う彼は、まさしく生命や身体や人間性そのものを冒涜するような存在に見えている。

一方で、そもそも彼は父の教えを忠実にこなす一人の科学者として善くあろうとしているだけでもあるので、彼にとって"冷酷な科学者たること"は、父から授かって受け継いだ"人間の尊厳"そのものの実現とも言えるわけだ。

父の所業にも許せぬところは数多くあれども、尊敬すべきところは敬い、畏れ、尊重しつつ生き様を自分なりに引き継ぐことによって、彼はある意味"人間らしく"生きている。


加えて、「父の行為を冷静に評価・批判しつつも同じ視点に立って学び、受け継ぐ」という決断は、終盤にもう一度繰り返されている。
尚且つ、それでいて全く同じではないところに、本作の希望がある。



ベラの人生はその冒頭から、常軌を逸したダーティクレイジーマッドサイエンスによって成り立っている。
すげーデザインであることに先ず触れたが、ベラの生い立ちを成り立たせるリアリティラインに沿って世界をやや曖昧且つファンタジックに構築したのかもしれん。

だから本作全体はイカれたアート映画としての様相を呈しているわけだが、にも関わらずというべきか、ベラが過ごした日々は大局的に見れば、いわゆる奔放な「女性の人生」そのものを模したものだったように思う。
決して人外のストーリーではない。

描き方はイカれているが、
描いているものは極めて普遍的な"人生"そのもの。


愛を受けて育ち、
庇護をいつしか脱して心理的に大きな冒険をし、
クソな男に夢中になって多くを学び、
周囲の影響を受けながら、
クソな男がクソであることに気付きつつ
時に自分をぞんざいに扱ったりしつつ、
人を知り己を知り、
やがて自分の居場所と生きる道を再評価・再定義し、
遠く離れた親を本質的に理解し、
自分も大人になる。


そのあまりにも幼い感性で直面する鋭く強烈な体験の数々がベラを大人にしていくわけだが、そのどれもが、我々の人生の経験を象徴するような出来事である。

何もかもが現実世界からかけ離れた世界観にありながら、事象そのものは体温のある既視感が味わえるリアルな経験であるというところが本作の良い点であるし、こここそが、本作がアート映画でありながら強い共感を持って楽しめる大きな要因でもあるのだろう。


親の完全防備環境で暮らしたりとか、とんでもない船旅に急に連れていかれたりとか、貧しく恵まれない人々に心を痛めたりとか、流れで娼館勤めになったりとか……直接は経験しないかもしれないが、そういった要素に象徴される現実の痛みや実感には見覚えと身に覚えがある。
虚構を積み重ねて現実を再構築し描写する技術は、本作の見どころの一つと言えるでしょう。



古今東西様々な角度から「大人になる」ことを言い表わす表現があるものだが、あたし個人としての「大人になる」とは、即ち
『幼い時に接していた、親を含めた全ての大人が、実は大したことのない普通の人であり、それ故にこそそれが偉大であると気づくこと』
だと思っているんですね。

偉大な保護者の手を逃れ、自分も成長してみれば大したことないなと一度は思うだろうが、その上で、大したのことない人が大人として子どもに接する大きさを改めて理解する感じ。


ベラは物語中、一貫してゴッドを愛しているし愛情表現もしているが、序盤と終盤ではゴッドへの理解度が全く違う。

序盤の方は、狭く限られた世界の"神"として扱いだが、
終盤の方は、あくまで同じ人間として、自分を愛してくれた父親としての扱いに変わっている。

あらゆる経験を通して世界の解像度を上げていったことで、父ゴッドという存在が愛おしく偉大な存在として再認識させられたのだろう。
ロンドンへと帰る事は元通りになることではなく、前に進んだ結果としての帰還である…というところに、本作の人間味の部分を感じられるし、真に我々が共感しうるのはこういった体温のある展開であると言えるだろう。

また、思えばゴッドの父はゴッドを冒涜の限りを尽くしたような手術を繰り返していたし、ゴッドもまたベラをまさしく冒涜的な手段で産み出し育てていたが、研究目的以外の感情が入り込んでいたからこそベラは情緒的に育った面があるし、終盤のあの局面で、ベラはそれに対して冒涜では返さなかった。ある意味冒涜の連鎖が断ち切られた瞬間にも思えた。

そういった面でも、人や命が弄ばれているかのような描写が溢れているにも関わらず、とても温かい映画といえるだろう。



そのオチ含めて、極めて刺激的且つ実感に満ちた良い作品だった。
アート映画ながら共感できる。

語り口は自由だが、やはり撮るのも観るのも生身の人間なので、人生で得られる実感を異なる角度から表現してこそ良い作品と感じられるのかもしれない。
それでいうと本作はアート映画ではあるけれど、中身については難解な先鋭芸術では全くなかった。
ちょっと、外科シーン見せ過ぎでしたけどね。
ちょっとね。

死体が関わるグロいシーンは二度と見たくないが、父と話すシーンはずっと見ていたい。
これすら、人生そのもの模写のようですね。

エモいな。大満足。
ごっつぁんでした。
ロッツォ國友

ロッツォ國友