色んな可愛いワンちゃんがたくさん出てくるのにめちゃくちゃ不穏!!!!!!!
どうやって撮ったのこれ。すごいね。
メタ的に捉えると、犬唯一の欠点である"人への忠誠"でできた映画だね。
「ニキータ」とか、「レオン」や「タクシー」や「ヤマカシ」を作った、作家性がよくわからないリュック・ベッソン様の最新作ですね!!!
厳密には、大体の作品は脚本担当であり、監督は別の人パターンが多いみたい。
そんで監督も脚本もやってる珍しいパターンとしてレオンがある感じ。らしい。
なんと本作も彼が監督脚本を務めている。
変なおっさんだと思ってたけど、今や経歴の長い超大御所ですね。
本作は、色々と構図を変え品を変えしつつひたすら
「神が犬を遣わす」
場面を描く映画だ。
まず、割と前半にある「DOGMAN」というタイトルの由来が分かるシーンは最高の一言。
極めてアイロニック且つバイオレントな表現にしつつも、この作品全体の構図を俯瞰し象徴するようなシーンになっており、淡白な味付けではありながら忘れられない鮮烈な印象が残る。
外からは神が、彼にとっては犬が見えていたんだよ。
そしてあの檻は、一生残るんだよ。
また、例えこのシーンがなくても、本作に合うタイトルは内容からして"DOGMAN"以外にあり得ないわけだけど、このシーンがあるからこそDOGMANなる称号と彼のアイデンティティと作品のタイトルとが、内容的にもテーマ的にも密接にリンクした状態になっている。
この映画でしか描けない名シーンだ。
本作は、彼は、見紛うことなき"DOGMAN"だ。
逃げ場のない壮絶な環境にも負けず腐らず、使える手段を最大限使ってしぶとく生きる。
いつも彼を護るのは、彼の人生で出会った宝物。
犬も、演劇もそう。
神によって奪われたものを呪わず、神によって与えられたものを頼りに生きていく力強さが彼にはある。
だが同時に、彼の行いは人間社会では通用させられない犯罪でもある。
それらが他の選択肢がない様子と合わせて描写されるので、擁護が難しいながらも批判もしがたいポジションに居り、悩ましい。
彼はあくまで犬の味方であり、犬が味方についている。
彼には犬達だけ。
犬達には彼だけ。
何をもって彼を捌けよう。
誰を持って彼を救えよう。
またそういう犯罪の「仕方の無さ」を淡々と描き語る作品ではありながら、しかし変に説教臭くもイデオロギーっぽくもしておらず、彼自身の一種身勝手な生存手段と自己言及が本作の表現の中心に据えられている。
何か革命や社会批判をやりたいのではなく、ただただ自分なりに生きていく為の手段や思想が反社会的であったと、そういう表現に終始しており、飲み込みづらさは少ない。
そして檻を出る自由の代わりに神から与えられた、あの装身具。
彼はなんとか自由に生きられるようにはなったが、結局「暗い過去のある車椅子の青年」という新しい檻に入れられただけであり、常に哀れみの対象として見られるようになってしまった。
人間は、檻の中にいる存在を対等には扱わないのだ。
対等に扱えないから、檻に入れるしかないのだ。
あの装身具と車椅子は檻の象徴だ。
誰と話しても、まず目につく。
心理的なフェンスとなり、超えられない壁となって会話する相手を遠ざける。
だからあの夜、初めて彼の「檻」に人が入ったんだよね。
恋愛対象でも友人的親近感でもなく、ただただ人として対等に言葉を交わし、自らを曝け出せたからこそ、檻の象徴である装身具も車椅子も打ち捨てられるようになったと言える。
よって本作は、「暗い日々を生きてきた青年が檻を出る」までの話、というのが本質的なテーマと言えるだろう。
直後にまた、異なる檻に入るのかもしれないけれどね。
主役のケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(またすごい名前)、超ハマり役だったね!
「ゲットアウト」の柔道兄ちゃんとか、「スリー・ビルボード」の聖母みたいな広告代理店青年の役だな。
どちらも全くタイプの違う、含みと深みのある印象的なキャラクターだったわけだけど、彼のそういう、裏に何か潜んでいそうなミステリアスな雰囲気が本作のこの役にもピッタリである。
だし、顔の造形が綺麗なので、女装して口パクする例のショーにもまたイイ感じにハマっている。
彼無くして成り立たない映画じゃなかろうか。
…あの女装して口パクするショー、「チョコレートドーナツ」にも出てきてたけど、アメリカでは割とポピュラーなやつなのかね?
日本にもあるのかな?
ちょっと観てみたい…
あと、序盤の展開に対する必然であり、終盤の山場でもあるクライマックスシーンは、作品のテイストにも関わらず超絶スタイリッシュ且つ盛り上がる新鮮なアクション満載で素晴らしかったし、リュック・ベッソン文脈で言うなら「レオン」の冒頭をリビルドしたシーンでもありますな!
バラバラになったギャングが(ここ重要)一人ずつ不気味な末路を……とか、
急に上からヒモで……とか、
ボスが震えながらフェンスに穴を……とかね。
今なお色褪せないヒリヒリするような名演出を、ただの使い回しによる懐古描写ではなく、きちんと新しいアイデアを加えた独自の魅せ場として完成させている。
味付けを大きく変えた過去作のセルフオマージュとしてもイイ塩梅で、アクション的にも演出的にも、まさにベテランの風格漂う素晴らしいシーンだったと思う。
大拍手。
というか、このシーンだけでなく、本作の物語もものすごく「レオン」だね。
他に行き場のない者が、手の中にあるものを武器になんとか生き延びながら、肩を寄せ合って心を通わせる話。
…裏社会映画だと、ギャングに勝ったらハクがつくみたいなところあるよねw
本物の闇とも言うべき存在が、その気になればギャングも倒せるけど今は興味ないだけですみたいなカオして生きていく人物造形が超カッコいいし、それ故にこそ、彼を包摂する存在はもう人間社会にはないこともまた意味している。
だから、やはりあの問診は彼にとって初めて人に受け入れられ、対等に会話ができた救いのシーンだったのだと思う。
哀れみは、良くも悪くも溝を生む。
溝の向こうから掛ける言葉は届かないのだ。
シェイクスピアであったりエディット・ピアフであったり、引用的にガッツリ登場するモチーフにはかなり素養が求められますね。
あまり詳しくないので結構拾えてない描写がありそうだな。。
行き場のない中なんとかエディット・ピアフを歌うショーで食い繋ぐところは、まさしくエディット・ピアフの力強い歌声と悲劇的な生涯をなぞるような表現でもあるのだと思う。
歌の意味なんかを知るともっと深みが増しそうだ。
話そのものは不可解で怪しい人物ダグラスの、「その夜何があったのか?」を解き明かすような流れになっていて、彼の人生のページを一つ一つめくりながら、テーマには檻を外していく物語として完成されていく。
生きる場所をなんとか見つけながら、人の道を踏み外しながら、影の世界に生きるしかないダグラスの生き様を、しかし人間味あふれる視点で描いている。
レオン的だけど、レオンとは全く違う味わい。
とても楽しめた。
以上でござんす。
ワンちゃんをいっぱい出してるけど、決して愛玩動物や擬人化するような表現は一切されておらず、犬は犬のままでダグラスの家族として表現していたのが特に素晴らしかったと思う。
犬を人っぽく(人語を喋る、"人"格のある存在のように)演出してしまったら、物語全体がその意義を失う。この辺、よくできていますわ。
めちゃくちゃおもろかった…
いぬだいすき。
ごっつぁんした。