ロッツォ國友

レ・ミゼラブルのロッツォ國友のレビュー・感想・評価

レ・ミゼラブル(2012年製作の映画)
3.7
スーザン・ボイルちゃんがAmerica's Got Talentで「夢やぶれて」を歌う動画、だいすきなんすよ!!!!

Apple Musicでも彼女の曲が聴けるけど、伴奏が無駄に豪華になってて好みじゃない。
番組で使われてたバージョンが一番いいと思ってます。
弦楽器中心的なやつ。


…んだけど、レ・ミゼラブルは完全に未見だったので鑑賞!!!!
ヒュー・ジャックマン!!!!!!
手から刃物が出ていなi(以下略)


いまや格式の塊みたいな名作大作ロングセラーミュージカル作品ということで、表現全体がとっても仰々しい。
史実の中にデカいテーマのフィクションを溶かし込む作品設計は、およそ神話のそれに近いかもしれない。


よくあるミュージカル映画であれば、会話の中で歌パートを挟む感じになると思うが、本作はほぼ全ての会話が歌だ。
感情のこもった語り=歌になっている。

という点で言うと、「急に歌い出すことへの抵抗感」がある人にも受け入れやすかったり……しませんかね?w



言うまでもなく、みんな歌がお上手です。
キャストも結構有名どころを揃えてる感じがして、どの人もなんか見たことあるようなないような…?
国軍の隊長とか市民のちょい役とかでも超うまいので、歌唱スキルでガッカリする瞬間もないし観る気が失せるような心配もない。

個人的にはエディ・レッドメイン様がスキだなぁーーー声まで美しい!!
いつ杖を出して魔法を使うのかと思っていたが、最後まで魔法を使うシーンはなかった。
いや、物語そのものがすでに魔法のような力に満ちていた、とも言えましょうか。


みんな上手いね。
上述したように、歌とセリフの境目がほぼ無いので、作品全体がミュージックビデオのような仕上がりになっている。
変に頭でっかちにならずとも、歌を聴く目的で再生したい作品ですよね。
良かった良かった。



あと、ライティングが非常にイイですね。
時代背景的な要素も踏まえてだと思うけど、快晴の昼間!みたいなシーンは皆無で、大体曇ってたり暗かったりしており、そこに差す光の量、影の作り方、光を当てるタイミングが物語の語り口と合致しており見事。

特にトップハットを使った顔への影の掛け方が良かった。
仮面…とまでいかないけど、何かが少しだけ覆い隠されたような印象を残している。



元々知っていた「夢やぶれて」のシーン…てっきり色々あってのクライマックス手前くらいに流れるのかと思ってたら、めちゃくちゃ序盤で勝手に肩透かしを食らった…フォンティーヌの境遇はキツいのだが、全体からすると本筋ではないし、だからこそ歌詞にあるようなツラい道のりもそもそも詳細が語られるわけじゃない、のね。

が、それにしてもの厚みある楽曲で素晴らしいよな。もっとすごい話が描かれるのかと思ってたよ。
曲として、本当に好きだな。

本作のバージョンは彼女の現状があまりにも悲惨すぎてパワフルには歌えきれない…というのが結構逆張りな演出なんじゃないかしら。
掠れとる。。。
本作の"歌とセリフが一体化している"という特徴が端的に現れたシーンであるといえよう。
掠れてないバージョンで聴きたいところだが。


あとミュージカル観点で印象的なのはやっぱ宿屋周りのシーンかな。
あの夫婦だけ別作品のテンションである。

ヘレナ・ボナム・カーターっていつも「汚ねえ格好して汚ねえことやってる変な女」してないか??ハマり役なのは分かるが"このキャラ性をやれるのはこの人しか居ない"感があるよねw
唯一知ってる変なことしてない役は、「チャーリーとチョコレート工場の秘密」のお母さん役とかだろうか。。

コミカルでクズな小物が大活躍するシーンってことで、宿屋の場面なんかは舞台の見どころの一つだったのだろう。
若干、作品全体のトーンと離れた印象もあるけど、程よいスパイスというか、良い感じの味変として捉えられますね。
酒におしっこを入れるな。




さて、全体で言うと、本作はキリスト教的な価値観込み込みでの「見返りを求めず愛を捧ぐ」ことを突き詰めるような物語になっている。


それが法や倫理に反していようが「生きる為には仕方のないこと」をヤる主人公は、19年の投獄を経てなお、生きる為に手段を選ばないし、善悪など考える余地もない。

にも関わらず例の司教から無償の愛を施されることで「神の御心」を思い知り、自らの行動を悔い、生き方を改めることを固く誓うおはなしなのだ。

信仰による救いってどういうことなのか?が端的に描かれているシークエンスでしたね。

ジャン・バルジャンは法を犯したばかりに名を奪われ、囚人番号を与えられていた。
その後永久の仮釈放となったことで"ジャン・バルジャン"という名前はアイデンティティの拠り所から耐え難い手枷足枷に変わったわけですよね。

そんで彼はある意味その人生から書面上の脱獄を繰り返し、自らの名前を埋めて他人として生き、かつて司教にされたように無償の愛を与える存在として生きてみている。
だが最終的には、彼は他ならぬ"ジャン・バルジャン"としての決断をすることになるわけですよ。


与えられた名前、汚された名前、胸に秘めた名前…
呼び名にバリエーションこそないが、彼の名前の持つ意味は劇中で幾度となく変わっていくが、それはつまり、劇中での彼の他者との関わりの変化と連動しているからだ。
ジャン自身の名前と生き様の変容こそが、本作の見どころの根幹と言えるだろう。



それから、いずれも特徴的かつ魅力的なキャラクターばかりではあるが、個人的に印象に残ったのはフォンティーヌとジャベールの二人。

神の御心のままにと言うべきか、皆が皆ただ善くあろうとしているだけなのに、ひたすら悲痛で複雑なせめぎ合いが積み重なってゆく群像劇において、特にこの二人はとりわけ翻弄された人物だったと言えるのでは。


作品の本筋的な意味で、ジャンに生きる意味を与えた、そのきっかけを作ったのはフォンティーヌ。

フォンティーヌ自身も娘に全身全霊の愛を注いだが全く報われず、自らの人生は「夢やぶれ」たが、その献身性ゆえに、神の御心によって遣わされたジャンに出会うことになるし、最終的にはジャンがその意思を引き継いで無償で無上の愛を達成しきる、というお話になっている。

無限に愛を与え続ける限り報われる…わけではないのだという例が最序盤で提示されちまうわけですよね。
神がどうのと言いながら、フォンティーヌ自身の境遇はあまりにも惨い。

が、ジャンに出会い娘を託せる確信を持てた、という意味では、彼女は救われたとしてもイイのかもしれないが、作品の傍観者的にはなかなか受け入れ難い悲惨さと言えるだろう。
なかなか容赦のない展開だと思う。



それから、もう一人のジャベールの方も強烈に印象に残った。

まずヒゲ。いいね。
歌もいいね。
ケンカが強くて歌える武闘派クソ真面目ヒゲ公務員という設定、最高っすよね。

彼もフォンティーヌ同様に無償の愛を与えられた側になるわけだが、それは彼にとってはこの上なく残酷で救いのない体験になってしまった。
程なくして、彼の心は崩壊してしまっている。

彼も他キャラクター同様に「神の御心」を唱えているが、凝り固まったストイックジャスティス仕事マンとしては、謂わば神の悪戯的な、複雑で説明し難い"無償の愛"なるものが受け入れられず飲み込めない。


終盤のあの局面。
ジャベかジャンか、正しいのはただ一人である!という確信が彼を縛り付けている。

ジャベが正しいのなら、悪なる存在によって救われ生かされている自分を受け入れられないし、
ジャベが間違っているのなら、それだけで自らを裁かねばならないし、正しいジャンを追い続けた自分が何よりの悪になってしまう。

ということで、彼は下水道を乗り越えた時点で自壊する運命しかない。

自分を焚き付け、活かし、ジャベをジャベたらしめていた論理は、その信念は、それはそのまま自らを突き刺すナイフになってしまった。


そのあまりに理解し難い悲劇の、しかし突飛さを感じさせない彼の存在感は作品全体の重みを確かなものにしていると言って良い。

信仰による救いを描いたその手で、凝り固まった信仰によって救いが断たれる様をも描いて見せている。

川のシーンにおいては同調はできないまでも、哀れみを感じずにはいられない描写になっており、大変印象的だった。



この二人に限らず作品全体において、愛や信仰に燃えるあまりに自らの命をも顧みないと人々の死に様=生き様を力強く描いたあたりに、本作が名作たる所以があるのだろうね。

その辺の感情をすごくパワフルに描いた結果としての歌があるわけで、やはりミュージカルとして完成された作品なのだなと思う。

楽曲として個別に聴いてももちろん楽しめるが、歌い手の姿あってこその深みがあると思う。
大変良かったです。




で、一応ひとつ苦言を言うと、やっぱ「ハショり感」はめちゃくちゃありますよね。

原作小説も長いらしいし、舞台ももっと時間があるはずなので、2時間40分とは言え尺の不足感はどうしても拭えない。

特に序盤の描き込みのせいなのか、そもそもジャンの妹ってどうなったのかとか、そもそもフォンティーヌがなんで工場で働けなくなったのかとか、なんかそういうキャラクターの立ち位置のディテールがどうも薄く感じられたし、もっと心が揺れ動いても良さそうなシーンもさっさと決断して次には行動してたりしてて、悪くはないけど急いで詰め込んだ雰囲気にはなってるんじゃないかなと。

もちろん大大大名作なんだから、みんなが当然に教養として把握しているミュージカルの映画化作品、というのを前提にした作りになるのは必定なんだけど、ところどころピンとこない部分はあった。かな。


市長まで登り詰めたらアナザージャンが捕まって、あぁどうしよう!ってくだりも、本人の葛藤とかその選択とかの展開を急いでやった結果、そもそもあんまり意味のないシーンになっていた。

尺の使い方として、明らかに歌うシーンを魅せることに何より比重を置いた造りなので、もちろん敢えての取捨選択の結果なんでしょうけどもね。

やっぱノリはミュージックビデオなんだと思うんすよね。



「レ・ミゼラブル」を楽しむには、予習は必須かもしれないな。
または、本作こそが予習足りうるのかもしれない。

面白かったけど、やはりフォーマットとしてはミュージカルが最適だなと思います。
今更歌ナシの映像にされてもなんだかなと思うしね。難しいところ。



そんな感じですかね!

舞台で観たいなこれ。
セリフとか歌の内容をちゃんと覚えたうえで、英語版で楽しみたい作品だ。

教養作品の、一つ入り口に立った気がしますわ。
ごっつぁんでした。
ロッツォ國友

ロッツォ國友