ロッツォ國友

トゥルーマン・ショーのロッツォ國友のレビュー・感想・評価

トゥルーマン・ショー(1998年製作の映画)
5.0
「ギャンブルは嫌いなんだ」
「じゃあ、何故?」
「人は、行ったことのないところに行きたいものさ!」


いやーーー猛毒エンターテイメント!!!!
フィジー島、行きてえね!!!!
俺にとってのフィジー島はどこに当たるだろうなぁーーー



寓話そのものを具現化させた、まさしく寓話的なお話だ。

捉え方が無限にある。
だから、観た後の我々も無限にメタ的になれる。
素晴らしかった。本当に。

「客観視」をこれほどまでに毒々しく描き、鑑賞後の人々の心にカメラを仕込むかのような無二の映像作品。
素晴らしい。

そして本作を褒めれば褒めるほど、ある意味「よく出来た作り物を絶賛する悪趣味なモブ」の仲間入りをしてしまうグロテスクさ。
ゾッとするよ。


人体実験……をさらに掘り下げた、人生実験モノ、とでも言いましょうかね。
えぐいですよけ。
イイ意味で、吐き気を催す映画体験でした。
イイ意味でねw



番組のために積み上げられた、"全て"が虚構のトゥルーマン・ワールド。
作り物の仕事、作り物の家族、作り物の友達。
何をやっても、作り手達の掌の上。

彼にとっての真実は、その他全員にとっての嘘。
彼が信じる全てが嘘。
彼だけが騙されていて、彼だけがダシにされている。
自分以外のみんながネタだと分かってやっている世界。
彼だけがスターであり、彼が最大の被害者。


スター(星)というより、アイドル(偶像)の扱いと言う方がしっくりくるかもね。

唯一「外」に興味を持って追い求めるが、しかし絶対に叶わない彼の悲しみたるや、面白くはあるけどやはり胸が痛い。



どこにも行かせない為に、全員からリスクを取らせまいとする助言をされ、外に出ようとすればするほど不可解なトラブルに見舞われ諦めさせられる。
世界の根幹を揺るがす穴ができたら、それを埋める演出が入って結局見世物にされている。


この場所がイチバンだとか何とか言って宥める親友"役"が、「神は偉大」と話すシーンがとりわけ惨たらしくて最低最悪でしたね。

彼に対して最も上手に、無難で優しい助言や安心感を与えてくれる一番の仲間が、実際には彼にとって一番大きな敵なんですよね。

この辺の構造的な矛盾、対比が素晴らしいですよ。
こうして見方を変えられる寓話を描き切る技量も見事。



そして本作においても彼にとっても唯一の真実である、彼女のモンタージュ写真。
泣ける。きつい。

あと、トゥルーマンが雑誌の写真を掻き集めて似顔絵を作り愛でる行為というのは、つまり似たようなモノで…虚構で真実を作り上げて愛でる行為なわけで、リアリティショーを楽しむ人間を俯瞰した描写とも言えるかもしれない。
それそのものはウソなんだけど、心意気は決してウソではない。

象徴的で心に残るくだりだった。
キツい。



テレビやラジオや車や雑誌など、あそこまで作り込んでおいて致命的な粗があっさり出ちゃうところは流石に気になるけど……まぁ、悪い点とは思いませんでしたわ。

空っぽの人間や車がただ"街を街っぽく見せるだけのため"にウロウロしてる姿は、ゲームのGrand Theft Autoみたいだなと思ったけど、「箱庭に本物っぽい世界を作って俯瞰的に楽しむ」という目的が全く同じだから同じようなテイストになるのは納得感がありますよね。

現実で成るべくして成った世界ではなく、ただただそれっぽく見せるために構築された世界。
技術と金と根気があれば、いくらでもリアルにできるだろう。
でも、やればやるほど薄っぺらくなるんだよ。全てが。



作品的なタネ明かし後の描き方も良かったな。
CMも無しにして、代わりにステルスマーケティングを演者にやらせてるなんてのはむしろ1998年当時より今の方がリアリティを感じるグロ描写として映るのは嬉しいやら悲しいやら。


そもそも、終始 他人事で楽しむのが映画なんだけど、じゃあ我々が生きる世界は、誰の思惑にも振り回されることなく自分の選択で成り立っているのだろうか?
本作をただ消費していられる、トゥルーな立場と言えるだろうか?

リアルを生きていながら、数えきれないほどの広告に包まれて生きてる点では、何ら変わらないのではないかね。
企業が全ての場所に舗装し切った広告の上で右往左往して生きてる。それが自分の人生であると信じ込んでる。

道も電車もテレビもラジオも公告まみれ。
それなら、じゃあ例えば街を出ようとなったとして、次には広告で知ったキャンプ用品を携えて、口コミを信じて買った車で、プロモーションされた地域のキャンプ地に向かうわけだろう。

あながち、トゥルーマンと変わらないんじゃないですか?
配信されてるスターじゃないってだけで、トゥルーマンワールドはそんな遠い場所にあるとは思えませんでしたね。



それからクライマックスも、終わらせ方までもが完璧でした。

「神に挑む闘い」が描かれる中、アメリカの象徴動物であるワシを船首像に設えたヨットで世界の"果て"を目指す姿は、希望を体現する開拓者そのものを表していると言えるでしょう。


これ、俯瞰的には親離れ・子離れの話にもなっているね。

子を想う親の理想が先鋭的に体現されるとこうなるのだろう。
いろいろなことを経験しつつも本質的な危険は無く、自分の想像する範囲内で確実に幸せになって欲しいのだ。
しかしそれをホントにやり切ればやり切るほどグロテスクさは増すばかり。

愛ゆえなのは間違いないが、でも、やっぱりそれは人間扱いじゃないんだ。

理想郷と言いつつ、本人がそれを理想と捉えたわけでも選択したわけでもないのだから、やっぱりそれは幸福とは違う。

親の予想から外れなくてはならない。
同じセリフが飛び出すのに意味が真逆になるドア前のシーン、本当に最高だったね。
映画史に残る名シーンだね。


そして壁のその後の描写が無いのも、めちゃくちゃ良い。
あの先こそが彼にとってのトゥルーなのだが、だからこそ、そこからは見世物じゃないよってことなんだろう。

その先までもを描いてしまったら、本作の送り手自身がクリストフと同じ場所に立ってしまう。

トータルで見れば、画面の外側に真実があるって話なんだから、それを画面に映したら台無しだ。
ありがとう。テーマ的にも本当にスキがないよ。



いやーーーこれ、凄過ぎますよ。
めちゃくちゃ面白かった。
20年も経ってるからさすがに画面から古さを感じるけど、この作り物感はむしろ本作の持つテーマ的・根源的なグロテスクさを増幅させる効果を発揮するからむしろプラスだろうな。

あまりにもよく出来てた。満点でしょ。
引くところがない。
そして、絶賛してる自分にまた自己嫌悪。
猛毒エンターテイメントでした。
ごっつぁんでした。
ロッツォ國友

ロッツォ國友