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PERFECT DAYSのGyGのレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
4.5
平山はなぜあのような生活をするに至ったのだろう。

映画後半、姪のニコが平山のアパートに転がり込みます。
もし親バトルで家出するときがあれば、行き先は伯父の家よ、と心に決めていた(と思われる)ニコの心情、運転手付きの車で娘ニコを引き取りに来たCEO然の母ケイコが出合い頭にみせた兄平山を責めるような態度、それにギコチなく応える平山の姿から推量すれば、人の気持ちは人一倍わかるが社会的適応性にはやや欠ける様子が伺えます。

そうなった原因は、例えば平山家の家督問題でモメたとき、私だってやりたいことあるのよプンプンの妹ケイコに、平山は自分にはビジネスは不向きなことを時間をかけて理解させ家督相続を了承させたものの、父はカンカン、一方ニコにとっては感情におぼれず静かな佇まいのまま接してくれる優しい伯父に憧憬が芽生えてきたのかなと、ついつい想像してしまいます。

いずれにせよ経済的には高度に恵まれた人生を手に入れることができた平山なのに、今の住まいは古く狭いアパートです。
調度は少なく金目のものはありません。しかし貧相を感じさせる要素はなにもなく、むしろ庵を思わせる凛とした雰囲気すら感じるし、彼もこの環境を楽しんでいるように思えます。

平山が寝付いたあと、スクリーンに映る木洩れ日みたいな模様、ブラウン管TV時代のテストパターンや砂嵐状の映像は茫洋としており、具体を語るものは何もないです。
もしそれらが平山の毎夜みる夢だとすれば、彼の過去におきた喜怒哀楽のうち、すでに輪郭を失い遠い過去となったものは木漏れ日模様として、まだチクチクするものは悪夢未満の悪夢として頭の中をよぎっている、そんな心象を表しているのではないでしょうか。

映画は続きます。
奥まったところで静かにギターをつまびくあがた森魚、雑踏をかき分け進む意思的な眼差しの田中泯がでてきます。
平山という存在を綾なす群像でしょう。簡潔かつ贅沢な作りです。
こんな世界に包まれている平山はもはや孤独ではなく、自らを恃みながら、人並みに酒も嗜み、人を励ますためなら児戯(影踏み)もできる、憤りもある、根っからの生活人であることが見えてきます。

最後のほうで平山は、今度は今度、今は今、と何度か繰り返します。

今は今。
これは実存する今。善きも悪しきも共有する今です。
想像や記憶のように編集されたものではないjust nowの真実。

一方、今度は今度。
でも、今度っていったい何時?
叶えられる?、そうでない?
誰にもわかりません。

ラストシーンの平山の泣き笑いは、叶えられたもの叶えられなかったものが去来している、だから泣くしかない笑うしかない、そんなシーンだったと思います。

大仰なしぐさやセリフもなく淡々と進行する映像と、それに付かず離れず、時には反語的な意味を込めた挿入歌が相まって出来上がった名作でした。

余談
オーティス・レディングの挿入歌にでてくる”this loneliness won't leave me alone”は、孤独の捕囚とも孤独を友にするともとれる二面性がありますが、本作をみてからは、孤独は寂しいものではなく自らを恃むためにある、と理解した方がしっくりときました。
おそらく世間は最初からそう解釈したのであり、だから世界的なヒット曲になったのだと思います。Memento mori Carpe Diem.
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