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君たちはどう生きるかのpandenのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

観てきました。
すでに少しTwitterでネタバレを喰らっていたので、青鷺が全くカッコよくないおっさんだったことにはショックを受けずに済みました。
今パンフレットを見ても思う。キービジュと実際の作中のサギの気持ち悪さが違いすぎる!!🤮
でも菅田将暉だったのは笑いました。演技上手いなー分からなかった。

わけがわからない系の風評は見聞きしてましたが、思ったよりも初見の時点でメッセージを受け取れました。自分なりに。
それらの雑感を記そうと思います。

各所の過去作のオマージュも楽しめました。
ただ全体の流れを決めずに、描きたいメッセージと描きたいシーンをただ散りばめていった印象のため、各登場人物や各シーンに必然性が見えず、そのため「難解だ」と言われがちになっている気がします。
これまでの作品以上に、読ませる気がない、または自由に読んでくれと言う好き放題な作風にも見える。

そのため宮崎駿ファンでないと意味を読もうと思えないような作品なので、万人受けはしないだろうなぁ。どこが見所?と言われても困る内容だった…
私としてはほぼ確定の"遺作"と思ってたし、知人がやたらすぐ観に行っていて気になりすぎて我慢できずに観たので満足ですが、人に勧められるかは怪しい。



さて鑑賞した感想ですが、
序盤は大火事により母を失う、裕福な家庭に生まれた少年眞人の物語。
後半は眞人が巻き込まれる不思議な塔の世界の話。(この辺は千と千尋っぽい展開)
そして最後は、監督からのメッセージとも取れる話。
と言った構成でした。
終劇のシーンは日常がブツっと切れていて、あとは自由にその後の日常を皆さんで描いてくれると言うことかな〜と思うなど。

序盤は新しい母が来て、疎開先の生活に慣れるのも難しい中での眞人の心の動きを描くのかと思っていましたが、
特に中盤から本当に展開の脈絡が分からず、場面転換やシーンの繋がりも様々で困りました。
それをやっと最後の最後のシーンで答えがもらえた感じ。
今になって思うのは、「人生の出会いや別れや展開や変化には理由なんてない」ってことで、理由を用意する気がなかったのかなと。

自分の中でやっと線を繋ぐことができたのは、
最後のシーンで大叔父が眞人に13の石を託そうとしたシーン。
汚れていない13の石で支えてきた世界を眞人が引き継ぐことを拒否し、それをインコの王が怒って切り捨て世界が崩壊したあたりで答えが見えました。

恐らく大叔父は宮崎駿自身で、(大叔父への部屋へ通じる光の道がピラミッドの石棺への道みたいになってるので、自分はもう引退を控え棺に入る準備をしている身だと言いたいのかな?と)
13の石はこれまでの作品かな?と。
(3日に一つ詰めるのは3年に一つくらいのペースで長編作品を作っているから。眞人に一つ加えて良いと言ったのは、眞人の作品を追加して行くはずだからだと。ただ駿作品は11作目のようなので、なぜ13?かは分からず)
それで「平和な世界」を作って支えてきたけど、もう持たない。自分も老いた。だから後継を探している
この点では監督自身に重なるものが多く、
それを眞人に渡そうと思ったけれども、眞人は「自分はすでに悪意を持っている」として拒否した。
これは吾郎含め、自分の後継の人たちと自分の作品観の違いに対するショックであり、かつそれを受け入れて元の世界に帰したって言う、駿なりのスタンスを表してるのかなーなどと。
悪意のない平和な作品こそ良いと思ってきたが、継ぎたい人はおらず、皆むしろ現実の世界に戻りたいと言う、それが理解できない自分がいるが、それも仕方ない、と言うことかな?と。

そこから考えると、
セキセイインコが勝手に増えて、王まで作り、その王が「こんな石などで!」と怒って自分で勝手に並べ、勝手に崩壊させ、勝手に斬ってしまうあたりに、
宮崎駿作品に難癖をつけ、人が作ったものを好き勝手気ケチをつけて自分たちでは何も作れない愚かな大衆たちを表してるのかなとも感じました。

母親の部屋に入ることを「タブー」としつつその理由は示さず、それにより自分たちの都合を通そうとするあたりにも、「作品で描く内容に"タブー"をこじつけて批判してくる人たち」を表してる気もします。(昨今のポリコレはやりづらいんでしょう)
母親自身もなぜか眞人にやたら切れてましたが、そのあとは普通になってますし、あれもポリコレに狂い、自分では理由もわからずタブーに怒る人を表してるのかなとか邪推してしまいますわ。

そして道中出会うアオサギやヒミやキリコなどは、
実際に出会う人々や本や作品などの作者という過去の人たちとの出会いにより、成長していく人生を表していて、
そういった出会いを大切にして、自分なりの生き方を選んでいく眞人を描きたいのかな?と。
なぜナツコお母さんを受け入れられたのかは分かりませんが、そうした受け入れもその中の一つとして描いてる気がします。
なんども各キャラに、眞人に対して「なぜそこまでナツコを助けたいの?」と聞かせ、「お父さんの好きな人だから」と答えさせていたのも、建前と本人の気持ちの整理のつかなさを常に意識させたかったのかなと。母を求めながら、ナツコを受け入れたくても受け入れられない自分の歯痒さ?のような。

最後に塔が崩れるのは、今までなら「空から来た隕石のような、理解し切れていない科学技術に溺れた人間たちが、いつか崩壊すると言う揶揄」だったはずなんですが、
大叔父が宮崎駿自身なので、
たくさんの本などから学んだことを作品に落とし込むパワーの源だったジブリアニメの力と、それを守るジブリという組織を表していて、
それを一度土を埋め封鎖したものをまた再スタートしたけれど、崩壊してしまう運命にあると言いたいのかなと。
そしてそこから歩き出した眞人たちが、石やお守りの一部を持ち帰ることで塔で起きたことの記憶(ジブリの記憶)を大切に持ち、次へと繋げてくれると思ってるのかな?と。
セキセイインコたちは元に戻ったし、他の人々は記憶を忘れてしまうけど、眞人や青鷺だけには覚えていて欲しいのかなーと思ったりしました。

そういえばペリカンもいましたが、
ペリカンが可愛いワラワラを食うしかないのも生態系のサガであり、みんな醜くても生きるには仕方ないことをしていることを表しているように見え、
それを世話するキリコよようなそんざいが必要とも言いたいのかなと思ったり。
だからペリカンを悪者に描きつつも、ペリカンにはペリカンなりの事情と生きる必要や苦労があったと描いてるのは、「生き物の業」みたいなものを感じました。

全体として、
辛いことがあっても出会いを大事にし、
青鷺のような嘘ばかり言うよう人に会っても毅然と立ち向かい、そんな人でも嘘ばかりじゃない人間臭いところの良さもあるから、必要あれば協力もして、
そうして「友達」にもなって、次の世代を作ってほしいのかなと、
最後に青鷺と友達になりながら別れ、同じ塔の記憶を共有する共闘した仲間とも別れながら自分の道を歩み始める眞人の姿から、
そんなことを感じながら終演を迎えました。



観終わった後の走り書きなのでまとまりがないですが、こんな感じですかね。
今回がそれこそ「サギ」でなく本当に最後の遺作になるのなら笑、
観られて本当に良かったです。
私は初回で大体自分の中では腑に落ちたので2回目観に行く予定はないですが、どこかでまた見直せたら良いかな。

千と千尋のように異世界に迷い込み、紅の豚の飛空挺のような船の墓場の幻影を見て、こだまのようなワラワラに出会い、ヒミの火の強さでハウルを思い出し、ラピュタのようなパンを美味しく食べ壁に張り付き落ちかけて、確かに作品の総集編なのかな?と思う部分がたくさんありました。
あととにかく色んなお婆ちゃんを描ける宮崎駿の「お婆ちゃんの解像度の高さ」に感服です。背が曲がっている、曲がっていない、優しさのタイプも様々、ずる賢いお婆ちゃんもいるなど、最初のお婆ちゃん7人組のモゾモゾとした動きからずっとほぼ準主役だったのは良かった。世の子供はお婆ちゃんに支えられているのだ。

説教くさくない映画だったことは、
全体的に何かを批判する描写が少なく、
大叔父のスタンスも、後継を依頼しながらも断られて怒ることなく元の世界へ帰し、若い子達(眞人やヒミ)を暖かく見守るようであったことからも観て取れました。
宮崎駿監督のスタンスは、今はこう変わったのかなとも感じたことが、新鮮で観て良かったポイントの一つですね。

私は眞人でもヒミでもなくセキセイインコの一話かもしれないけど、
できれば記憶の一つとして、ジブリ作品の大切な部分を胸に、自分なりの石を積み上げていきたいもんだなと思いました。
自分は石を何個詰めるかな〜〜
できれば後継も、いると嬉しいですね。
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