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怪物のpandenのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

「怪物」というタイトルに完璧にハメられました。
監督の思惑通りに「怪物」を探しながら見てしまうことで、そんな観客の「怪物」を引き出して来るのはずるい。

友人らに激推しされて急ぎ観に行ったんですが、ここまで「深く読みたい!考えたい!」と思わせられるとは…一度の鑑賞で終わらせたくないですねこれ。何かの形で絶対もう一度見ます。

伏線が多く回収も多いとは聞いてたので、全シーン噛み締めながら見てましたがそれは本当にやって良かった。それくらい細部に注目すればするほど楽しいスルメ映画でした。
さらに俳優の方々が本当にハマっていて…
よく作り込まれている脚本が、俳優の演技でここまで昇華されるんだなぁと。邦画あまり見ないけど、是枝監督や坂元裕二そん脚本のだけはちゃんと追うかな(万引き家族は見て大変楽しめました)



始まりは、地方の街のビルが火災に包まれる事件から。夜の闇にライターを持つ少年のシルエットが出て、この子が犯人?と思わせるところから始まる。
それを眺める安藤サクラとその息子の「豚の脳を移植された人間は、それでも人間?」という質問から、観ている側の心に、「人間らしく見えても人間でないものがあるのでは…?」と疑問を浮かばせる。
ここで「怪物」というタイトルと、ビルに火をつけるような犯人が結びつき、「普通の人ならやらない放火をする、"怪物"探し」を自然としながら観てしまったが、後で思えばこれこそ始まりだった。

さらにストーリーは母である安藤サクラの視点で進み、息子の靴が片方なかったり、髪を突然自分で切り落としたり、耳に怪我してきたりの奇行からいじめを疑い、「先生に言われた/やられた」証言から小学校へと乗り込む。
目の死んだ校長と、表面的な謝罪対応しかしない教員陣に呆れ、教頭の作ったクレームマニュアルを見ながらこの場を乗り切ろうとする態度に「人として扱ってくださいよ!ただそれだけです!」と迫る。
暴力を接触してしまったと言い換えてきたことも、「接触!?接触ってこれですよ…!?」と校長に直接触って激昂する。しかしその勢いで、校長が先日亡くした孫の写真立てが倒れてしまい、謝罪して落ち着くのだった。
大切な我が子を守るためにどうすれば……
悩みながらいじめの犯人を探す安藤サクラの迷走にも、まともに対応しない校長や担任の瑛太にも怪物が見え隠れする。
息子が夜中に廃線になった真っ暗な線路のトンネルで「怪物だ〜れだ」と無邪気に連呼し、それを抱きしめる安藤サクラに気持ちが同調する。息子は何を考えてるのだろう?息子は本当におかしいのだろうか…?私は何をすれば正しい…?
観客の頭の中に「怪物だれだ?」がこだまする。トンネルの中で息子の声が響いたように。

しかし視点は担任の瑛太の元へと移り、安藤サクラや我々の疑っていた「暴力教師の姿」はそこにはなく、不器用な新任教師が生徒を思って話しかけ、良い教師であろうと頑張る姿だった。ただ歯車の噛み合わせで暴力教師の謗りを受け、最後には職を失い、マスコミにかぎつけられ、彼女には明言されないままに逃げられてしまった。残るのは出版物から誤植を見つけて指摘するという異常な趣味だけ。
なぜあの子は私が暴力を振るったと証言したのか?疑問に思い退職した学校で本人に迫るも拒絶され、逃げて階段から落ちた彼を、追い込んだやばい元教師とそしる生徒たちの声が聞こえる。
自然と屋上から飛び降りようとする彼の耳に、誰が吹いているのかわからない、ただ鳴らしているだけの金管楽器の大きく強い重低音が響き、我に返る。この音はなんだろう?

そこから視点は息子本人に戻る。ずっと不思議な行動に見えていた、彼の本心がやっと分かるのだろうか。
そこにあるのは、いじめられている星川くんとの揺れる友人関係、そしてその中で気づく自分の大切にしたいものや変化、もしかしたら「この好き」は「普通とは違う好き」かもしれないという気づき。そんな揺れ動く子供達ゆえの不安定さを、勝手に事情も知らずに受け取って解釈して、決めつけていただけの大人たちの早とちりだった。
あるのは少しの悩みと、冒険と、軽い気持ちの嘘だった。その嘘を受け止め、理解し、先の道を示してくれたのは、あの心の無い目をしていた校長だった。
「誰にでも手に入るものが幸せっていうの。誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。」
そう言いながら、少年の整理できない、言葉にできない気持ちをとにかく楽器を吹くことで表現するよう促し、ただただ一緒になんのメロディでもなく吹くのだった。大人にあまり従おうとしなかった息子も、ここはすんなり一緒に吹くのは、やはり感じるものがあったからだろうか。母にすら受け止めてもらえなかった気持ちが、少しは解放されたのだろうか。
そしてその気持ちを、台風の日に星川くんに伝えに行き、2人の秘密基地となった電車の廃墟で「生まれ変わる実験」をしに行くのだった。なんでも話せる星川くんと、台風を2人だけで乗り越えられたら、何か変わるかもしれない。そんな気持ちが、変な迷信の話を2人で信じる気持ちにさせたのだろうか。



本作では様々な人たちが、日常を大切にしながらも何かに妄執をして、それを必死に守るために生きていて、
それを壊しかねない周囲の無理解を「怪物」として悪に見せているように感じる。
しかし実際に本人の視点から見える「悪の姿」とは、多分に誤解を含んで真実とは程遠いことも見せている。「その分かりやすい悪は、本当に悪ですか?」と。
どちらかと言えば「悪だと決めつける観客たち」の恐ろしさを、実際に思い込みで「怪物」を探させる視聴体験の中で感じさせてるようで、その巧妙さに最後に気付いた時に舌を巻いた。
「子供たちの行動を理解することが難しい」ことを通して、勝手に分かった気になってしまう大人の浅はかさを痛感させられる。自分は教員なので尚更に。(日々気をつけてはいますが…)
結局、放火の犯人はわからないように描かれていて、最後には星川くんがやったのではないか?と思わせて終わるあたりもずるい。彼の言動は、ADHDやASDから来るもののようなので(明言していないがそうと思える描写あり)、本当かどうかわからない。しかしそういう子達ほど、勝手に悪者にされがちなので、そこまで自然に入れ込んでいるあたりは本当に上手いですね。私はそういう特性を持った子たちが、過度に期待されたり、過度に悪者にされたりするのが嫌なタチなので色々感じてしまいました。



そして全体を通して、子供たちは自分の価値観で動き続けていて、理解を得られなくても直向きに動き、しかしその無邪気さゆえに「怪物」に見えしまうことを、大人の「怪物さ」とは違う形で描写してるのが素晴らしかったです。大人は自分の役割ばかりに囚われているのに。校長は最後、色々失ったためか少し「大人」から降りているようにも見えますが。だから通じたのかな?

大人たちはかなり会話を重ねるのですが、全然通じ合えてないんですよね。子供とも、大人同士でも。
それなのに息子麦野と星川くんだけは、数少ない言葉でも、大人にはわからない会話や行動だけでも、とても通じ合っている。
校長とはただ鳴らしているだけの金管楽器の音で。星川くんとは最後にただ叫んで走っているだけで。
ただ最後のその理想郷は、現実世界にはなくて、死んでしまった黄泉の国の向こうにやっと見つけてしまったようなので、そこだけが悲しい。

母と担任が台風の中必死に探した時には、闇の中から2人は見つからず、
2人の視点からでは、最後になぜか台風が晴れて抜け出し、やたら明るい光の先に走って行き、立ち入り禁止だったはずの使われなくなった線路の緑の中を走っていく。明らかにあれはそういう描写ですよね。
電車という人を運ぶハコの不自由で非人間的な社会性の塊のような場所が、2人だけの秘密基地という自由で人間味があり、社会に溶け込めない2人の楽園になることに示唆を感じます。
友人たちがハマる噂話やtiktok?の動画にはくだらないと言って離れている麦野や、いじめを流して対応しない星川くんが、野っ原で遊ぶ古くからの遊びに楽しみを見つけているところも、
大人たちや子供たちが社会への中での役割にはまって、その中で社会適合しているようで実は息苦しいということの対比に見えていました。

その象徴としては、星川くんの父親もそうですね。
担任が来た時に「どこ大卒?」「給料安いでしょ」から始まり、「俺あの⚪︎⚪︎不動産に勤めてるんだけど」「そんな大層なもんじゃないんだけどね笑」などなど、こんなの会話じゃないですよね。
最後には「俺が責任持ってちゃんと育てるから」と、息子の様子も聞かずに言い切る。責任てなんでしょうね…難しい。
ただ彼も、酒に囚われて、台風の中でも買いに行き、転がった缶ビールを追う姿を最後に見せられるあたりに、また1人の人間の妄執が描かれてるんですが。
いじめっ子の主犯も、新聞社の息子であることが描かれるあたりも皮肉のようですよね。あれわざとかな。

作中では本当にいろんな噂話が飛び交い、それに翻弄されて観客も悪い奴探しをしてしまうのですが、最後にはそんな噂とは無縁に自分たちの道を生きた麦野星川の2人の眩しさを見せ、しかもそれが後で見つかり、気付いた時には担任や母の手元には戻らないのも、心を抉ってきます。

視聴した映画館にはパンフレットがなくて、必死に探してなんとか有楽町で買えたんですが笑、
坂元裕二さんの書かれていた「視えていない」を出発点として自分の経験から書いた、というのが印象的でした。
運転中、青信号になっても前のトラックが動かないからクラクションを鳴らしたら、車椅子の方が横断しているのを待っているだけだった、と動き出したあとで知ったと。そういう後ろめたいことは誰にでも起きる、と。
これだけのリアルな、社会の切り取った複雑な一面を感じ取れること、それを脚本に落とし込めることは本当に凄い。
人々が気にしながらも流してしまっているようなことを、これからもその精緻な脚本で、描いていって欲しいです。
「Mother」もみようかなぁ…
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