ロッツォ國友

怪物のロッツォ國友のネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
2.4

このレビューはネタバレを含みます

是枝氏、どうしたの………………?


…と思ったので、ネタバレ有りにして書きたいと思います。
くだらない世迷言をながーーーく書きます。


結論。
本作は、個人的には微妙でございました。
「人生も映画も楽しんだもん勝ち」
がこの世の真理と確信している私に言わせれば、これは私の負けです。
私が悪いです。
私が、怪物です。



まぁ、ともあれとりあえず役者陣は大変よろしかったですね!!!

常連・安藤サクラ様の安定感がもう最高。
もはやただのお母さんが出演した感じ。キャラ性にピッタリな役柄で、役者も役も食われてない感じが良いですね。
ぶっきらぼうで優しくて子ども想いの、とても真っ当な感じのするお母さんがいい味を出してます。

クレイジーラッパババア校長も超良かったな。一番ファンタジーな存在だったかもしれない。
いいキャラかはさておき、好き。

瑛太も最高だったな…凄くいい奴なんだろうけど、顔がサイコパスにしか見えない(ド失礼)ってのをそのまま役にしてる感じ。

みなさん、最近マックにあるバイト募集のポスター、見たことありませんか?
「あなたと働きたい!」っていうロゴに、瑛太が満面の笑みでこっちを両手で指さしてるんだけど、目に光がないわけよ。

長年培ってきた洞察力を総動員して言わせてもらうなら、あれはズバリ、バイトじゃなくてパテの募集だと俺は踏んでるんだけど、まぁ真実が分かる頃には俺はこの世にいないことだろう。
「あんたら目が死んでるんだよ」なんてセリフがあるが、瑛太氏を責めすぎである。


あともちろん、少年二人も良かったな!
ある意味、一番実在感のある人物だったかもね。
是枝氏は子ども遣いが上手い(語弊)とはよく言われるが、今回も炸裂してたんじゃないですか?
星川くんの、あのふわふわした感じもなんか見覚えある気がするし、それがいじめの対象になる感じも、なんか分かる。
つらい。




さて、内容について。

本作はおそらく、「性自認と地続きのアイデンティティを探して苦悩する二人の心」を描いたお話で、「自分が意識していない行動や言葉が、時に周囲から全く意図していない方向に受け取られ、ただならぬ波紋を呼ぶことがある」という実在するバグがストーリーを動かす要素となっている。ように見える。


湊くんと星川くんは、おそらくは女性よりも男性に興味があって(或いは、この二人が互いに惹かれ合っているだけ)、周囲との感覚の違い…謂わば隔たりが二人を際限なく傷つけてしまっている。


"怪物"というのは、二人にとっては「みんなと違う人間かもしれない心の要素」のことだし、本作全体のモチーフでいえば「自分の心や行動が周囲に誤解され続ける恐ろしさ」のことであるし、物語的には指導 of the 中村獅童のことである、と言えるかもしれない。

これは多分、どれが正解云々というよりは、"傍観者たる観客全員が怪物を探す視線"そのものが作品の存在を物語っているのだと思う。



「怪物だーれだ」のゲーム、あれをモチーフにしたのは結構好き。
あの遊びはやったことないけど、皆さんは知ってるのかしら?
見覚えあるような無いような……?


自分のおでこに乗せた"正体"を直視できず、他人の言葉によってしか己を定義できないというゲーム上の原則は、そのまま社会における全ての人間が本質的に抱える想いと一致するところがある。

自分だけなら別に困らないが、社会によって生かされている以上他者と関わるほかなく、そうすると己を定義しなくてはならないものの、おでこに乗せた自分自身をそのまま見る事はできない。
ということで、他者との関わりの中で己を定義するしかない。

誰が好きで、誰が嫌いで、どの言葉を愛しどの言葉に傷つくのか。
それが自分を自分たらしめていく。
あるいは、自分の心を知る手掛かりとして獲得していく。

本作においてそれを端的に表したのが「怪物だーれだ」のゲームなのだろう。
何が苦手で何が得意か?
どんな見た目なのか?
何をしてるのか?
誰が好きなのか?
…そうやって聞いていくことでしか自分を見つけられないもどかしさは、そのまま社会でも少なからず直面する問題と言えるでしょう。

これは、結構好きだった。
だからまぁ、このゲームがモチーフなので、怪物が何者であったか?はそもそも空白とも言えるかもね。




なんですけど……
本作を観終わった時にはあまり良くないモヤモヤが凄くあって、終わった時は結構ビックリした。
尺的にはそろそろ終わりそうだけど、何も片付いてなくね?どうなるんだ?と思ってたら「是枝裕和」の文字が。
監督、まじすか。。。。


ということで、わたくしが気になった点を列挙して、順番に戯言を書いておくとしましょう。
所詮は戯言です。敗者の戯れです。


<気になった点>
①悩みの深刻さが伝わらない問題
 (1)獅童で怪物ソロはきつい
 (2)瑛太の人生がきつい
 (3)俺たちノンケに伝わってない
②オムニバス形式の各エピソードの方向性までもがオムニバスしちゃってる問題
③ラッパババアのクレイジー制御問題
④二人ともぶっ殺して終わり問題
⑤そもそものLGBTの問題



①悩みの深刻さが伝わらない問題
湊くん星川くんは二人とも、誰にぶつけて良いか分からない悩みを常に抱えていて、それが非常にアンバランスな、言い換えれば暴力的な気まぐれによって理解を超えた発露の仕方をしている。

二人の中では整合性は取れていて、思春期故にというべきか、周囲と違うかもしれない違和感と、周囲に拒絶される恐怖心とが入り混じって溢れており、結果的に大人には完全に理解できない行動になっている為、お母様も先生陣も全くアコギな判断と対応をしている。

たびたび映されるダムの描写がそこに重なっている。
大量の水を堰き止めて、ちょろちょろ流してなんとなく場を繋いでいるのが、人間の心。
それがうまくできない、あの二人。

こんなにも苦しんでいるのに、なんでこんなにも分かってもらえず伝わらないんだ!という悩み。
二人の原動力の中心にあるのは、周囲の無理解への失望と言えるだろう。


…なんだけど、二人の悩みがめちゃくちゃ分かりづらい。

確かにお母さんが普通の家庭を持って欲しいとかなんとか言ってるけど湊くんにはそれができなさそうであることが重圧になっているとか、星川くんが自分の心を父親にボロクソに言われたりしているのがつらすぎるとか、なんかそういうのは読み取れなくもないけど、表現があまりにもヤンワリハンナリし過ぎだ。

「複雑な子どもの悩みが大人に理解できない」ってのはよく分かる大前提なんだけど、それは物語の中のキャラクター同士で表現するべき問題であり、観客に分かりづらくしたら逆効果じゃないのかしら。

観客だけは"無理解な大人"側でなく、"湊くん星川くん"側に立てるようにするべきではないのか?

そしてその、二人の悩みの深刻さを分かりづらくさせていると思ったポイントが、下記の3点だ。


(1)獅童で怪物ソロはきつい
まずこれ。
まぁーーそもそも小学校高学年で性自認や恋愛に関してそこまで深刻なアイデンティティクライシスを起こすのか?というのがまずあんまり納得感がないんだけど……まぁそれは置いとくとしても、本作において同性愛を全力で迫害してるのは中村獅童ただ一人だけだ。

他の人は無理解・無配慮ではあるかもしれないにせよ、メイン二人が同性愛者かもしれない可能性を考慮してないだけであり、敵ではない。
敵ではないからツラいんだってことかもしれないが、にしてもあまりにも二人の悩みがよくわからない。
獅童以外は、話を聞いてくれないメンツじゃなくない?

髪を切るのも、車から飛び降りるのも、電車で生まれ変わる準備をするのも、何がそんなに二人を駆り立てているのかよく分からないので、話の流れにノれない。


母親が男男男と言いまくる描写は弱い(ないわけじゃないけど。こうするとモテないとかは言ってるね)し、イジメてる連中も致命的に頭が悪いだけでゲイ殺しの魔女裁判軍団にはなってない。
チンパンジーに攻撃されたら確かに怖いけど、それで自己認識が揺らぐことはないでしょ。

中村獅童の指導が異常な以外に、二人が性自認を心底思い悩むキッカケがあまりにも薄い。
それは表現して欲しいじゃん。
観客が一緒に悩めないじゃないか。


(2)瑛太の人生がきつい
瑛太はとばっちり過ぎるし、しかしとばっちりで片付けるには度を越したサイコ演出というか、周囲に恐怖を与える無神経ぶりを発揮するくだりが散見されていて、しかもそれが物語的には全然関係のない方向に向かっているのでこの物語に置いた意味がよく分からない。

まぁ、本人的には真剣なのに10000%の最悪の誤解で伝わるという点で瑛太と湊くん星川くん達とはお互い様ではあるってことだろうけどね。
なんか、味付け過多じゃないすか?

男らしくとか、男なら云々みたいな言い方が引っかかるのはわかるけど、瑛太自身のサイコ具合でそれが霞んでしまっていて謎。

目の光がないのはマックでもそうだから良いとして、意図せず態度が最低になってしまうという彼自身の苦しみ(これはADHD傾向のある方にある悩みとも言えるかもしれないが)は本当に可哀想なんだけど、彼ばかりに強い可哀想ポイントが重なり過ぎて話の主題である湊くんと星川くんの性自認問題の印象がめちゃくちゃ薄くなってしまっていないか?

二人より余程キャリア的・人生的なダメージがあるのが非常にノイズだ。

ただの悪役にしろとは言わないけど、無神経なところもある悪気のないカスモブでいいんじゃないかなぁ…彼のパートの存在意義がよく分からなかった。
あと、ゴムはつけような?


(3)俺たちノンケに伝わってない
これ。俺だけだったらごめんなんだけども。
例えば本作を観たゲイの皆さんが、「ぜんぶ分かる!これは俺たちの映画だ!!」と大喜びしたとして(実際のゲイの皆さんの感想が知りたい)、それなら映画的に正解なのか?という話だ。

「結局僕たちの悩みは大人には分かんねーんだよバーカ」なメッセージの映画は大好きな部類なんだが、その悩みが観客にも分かんないのでは元も子もない。
上述したように痛みを感じさせるエピソードに弱く、「二人は悩んでいるんだろナァ」とボンヤリ推し量る作品になっており、社会的な少数者を描写するには不適格なやり方だと思う。


2010年代に、ゲイのライオンが見つかったってニュースがあったんすよね。
ゲイの動物ってまぁ世界初でもなんでもないんだけど、このニュースの存在が語るのは
①子孫を残さないベクトルの性愛がある
②その性愛は少数派である
という二点だ。
だから理解されにくいし、自分を定義するのに苦労してしまう。

映画は視点を明け渡す芸術なのだから、観客を湊くんと星川くんの目線に立たせて然るべきでしょう。
ゲイの皆さんが1000%共感できる作品だったとしても、「分かる人にしか分からない」物ならそれは好ましいとは言えない。

そんな玄人向けの作品こそ芸術なのだと思う人も多かろうが、伝わりにくいのは純粋に技術不足だからではないのかと私は思うよ。
これは好きじゃないですね。



②オムニバス形式の各エピソードの方向性までもがオムニバスしちゃってる問題
瑛太の話もそうだけど、ラッパババア校長の話も髪を伸ばしてるネコ死体発見ガールとか金髪高畑充希のくだりとか、あとで何かストーリー的・テーマ的に繋がるのかと思ってたら微妙に関係なくて、ただ単に同時並行で同じ時間を生きてたことが説明されるだけだった。

個別に問題がある話ではないけど、結局物語的に統一性がないよね?
孫を殺したのがババアなのかジジイなのかとか、ホントにガールズバー行ってたのか問題とかが、引っかかるモチーフな割には何も意味がないというか、普通にオハナシの邪魔になってるだけに見える。

普通さ、同じ時間を繰り返してるけど視点を変えたら事態の全体が分かってきて最後は繋がるんじゃないの?
散文が最後まで散文のままだったらカタルシスにならないんだけど。

この編集にした必然性が感じられないストーリーなんだよね。



③ラッパババアのクレイジー制御問題
話は逸れるが、ラッパババアの言動がクレイジー過ぎる。
たぶん、孫轢き殺し問題によって世捨て人的に自暴自棄になってて、だから学校でのトラブル対応を最低な感じでやりくりしているんだと思うんだけど、かと思うと彼女パートでは割りかしまともな賢い長老みたいな雰囲気になっていて、どう扱っていいやら分からない。

湊くんにラッパを教えるくだりそのものはなかなかグッとくるシークエンスで好きだったけど、あれって
「苦しい社会でウソつくしかなくて、それでもマトモに取り繕って生きていく大人ムーブをかますには、こうやってストレス解消にラッパを吹くんだぜ」
って教えてあげるカッコいい生き方継承の儀式だったと思うんだけど、でも校長は仕事中ずっと保身のクズだから全然マトモじゃないわけで、ストレス解消でラッパ吹いてるクセに日常でも頭おかしいただの狂人になってしまっている。

あのシーンはカッコよかったけど、トータルで見るとクレイジーポイントが追加されてて意味が分からない。
何が言いたいんですかね……?



④二人ともぶっ殺して終わり問題
これもな。モヤモヤするな。
オムニバスで色々繋げて、イジメ云々は半分誤解の事実誤認であることが観客には明らかになったんだけど、その後を二人が生きることはなく、ぶっ殺して終わりにしている。

これは作品表現上は、甘えじゃないかね。

ウソのこなしかたと向き合いつつあり、間違ったウソを精算するチャンスが訪れつつもあり、これからというところだったんじゃないんすか?
色々悩んでいた二人が改めて自己の心を整理して、これから生きていけそうな感じになったところで物語的に殺すのは、なんか作り手側が逃げているようにしか見えなかった。

それで美談風にするのはどうなんや?
結局ゲイは悩んだまま死んで可哀想って、なんか、どう受け取っていいか分かんなくね?

ここでの殺しは悲劇というよりは、この後の、人生を生きる上での重い道のりと選択についての提言を放棄しているようにしか見えなかった。

逃げ場であったトンネル奥のあの列車を捨てて、ある意味"生まれ変わって"社会を生きていく二人をこそ、描くべきじゃないですか?
おでこに貼った自分自身を人生では捨てられないから、苦しいけど生きていくしかないんでしょう?

殺したら、ただのファンタジーじゃないですか?



⑤そもそものLGBTの問題
(LGBTxとかLGBTiとか色々書き方あるけどここではとりあえずこれで)
もっと元も子もない話をすると、そもそもLGBTを題材にしたこと自体に何よりがっかりした。
というか、単なる賞目当て要素にしか見えない。

これは俺のド偏見も含みなんだけどさ、キリスト教圏の欧米社会は「男か女か」ってのがものすごく重大なポイントになっていて、他国含め日本側はそんなに重く捉えてない…と思っている。

俺はやってないんだけど、日本発のFGOって大人気ソシャゲで、凛々しくも可愛い見た目のキャラクターが男とも女とも断定されてなくて、日本的にはそれで別になんの問題もなかったけど、欧米ユーザーではそのキャラが「HeかSheか」という問題で大荒れして謎の炎上をかましたという事象があった…という記憶がある。


理解はできないが、何か文化的・言語背景的に、「男であるか女であるかをハッキリさせないといけない」という一種の強迫観念が確かにあるようだ。

日本ももちろん、婚姻とかで悩むLGBTの皆さんが居ることは承知の上だが、古来には男色とか衆道とかがあり、今でいうと「新宿2丁目」とか「上野のハッテン場」とかってワードで、茶化されてる問題はあるかもしれないが社会的に激しく迫害されている雰囲気ではない。

これは推測を多分に含むことだが、どうも日本のLGBTと欧米のLGBTは、迫害ポイントの面で物凄く大きな乖離があるように思えてならない。

確かに苦労している方が居て、うまくやっていけるように法整備が必要な面もあるだろうけど、わざわざ"LGBT"なんてハコを作って分類しないと人間として認められないところを見るに、あちら側には性的少数者を取り扱う上での宗教的・言語的に深刻なバグを抱えているとしか思えないのだ。


で言うと、たぶん日本では、そりゃ少数派なのだから生きにくさは何かしらあれども、なんかそれって別にLGBTじゃなくても誰もがそういう要素を持って苦しむポイントがあるものだとしか思えないし、実際に本作でも中村獅童以外に明確にLGBTの敵になるような存在がないところを見るに、日本でLGBTが苦しんでます描写をするには、ここまでヤンワリさせてしまってはやっぱり伝わらないと思うんすよね。


ていうか、湊くんと星川くんの二人の心の問題を、安易に性自認の居場所問題に片付けようとしてるのがなんか嫌だ。

本当はさ、「自分を定義できず、生き方を分類できない」という悩みを抱えてて、しかもそれを言語化できなくてツラい!っていう非常にアンニュイな話なんじゃないの?

成長期のアンバランスなアイデンティティの悩みを、単に「男の子が好きって言えない」という問題に矮小化してるように見えて、なんかそれこそ大人の無理解じゃないのか?と思った。


分かんないけど、ここまでのキャストとクオリティでならもっと名前をつけられない深い難しい悩みを表現できそうだったのに、流行りのLGBTでカンヌ狙っただけみたいな感じになってるのが非常に残念。

LGBTの問題が軽いなどとは決して言わんが、でも迫害ポイントの面で日本では分かりづらいし、別に他でも描ける、描かれてるような題材を本作のあの温度感でやる意味がよくわからない。

この程度の問題で良かったわけ?
今更感ないか?



……なんとな〜く微妙だな〜と思っただけのことを書いたら既に7,000文字を超えてしまってちょっとアレなんですが、嫌いっていうよりはキョトンとした感じでした。

是枝監督、新作やるたびにテーマがボンヤリし続けてないか?
見せ方のゴージャスさに対して主題がチープ過ぎる。

良さがよく分かりませんでした。
あんま合わないかもですねえ。
うーん。
ロッツォ國友

ロッツォ國友