ロッツォ國友

To Leslie トゥ・レスリーのロッツォ國友のレビュー・感想・評価

To Leslie トゥ・レスリー(2022年製作の映画)
4.2
ビバ!!!
アル中女のA.K.A.クソ人生!!!!!!!


いやーーーーイイ塩梅の映画ですなぁ!とても楽しめました!!
画面も音も人物描写も、雰囲気がずっと良かったな。

こういうのこそ大人向けの映画だなという感じがする。"人生のレール"とやらの外側に見えるものに、より多くの覚えがある人にこそ刺さるでしょう。


とりあえず、劇中のバーで掛かってる曲含め、挿入歌のセンスが全部刺さった。
まじで、全曲ツボです。
帰ったらApple Musicで全曲入れます。
劇中Shazamしたくてしかたなかったよ。。。
曲選んだ人と絶対仲良くなれる。絶対。


画面デザインも超いいね…!
ネオンビカビカのバーも、優しい陽光の昼間もすごく眩しくて、どこか汚くて、人らしい暖かみがあって良かった。

あたしゃ吸わないけどさ、タバコに関する描写も良かったな。
なんか久々に、タバコがカッコいい映画に出会った感じがする。
大人の嗜好品であることがはっきりと分かるビターな描写。シビれるね。



さて、配役から全体について触れますが、レスリー役がとにかく最高ですね!!!!

こういう映画に出てくる、擁護ポイントを使い果たしたタイプの全自動自暴自棄自業自得自堕落自滅自壊ガール役って、大体ありえん美人が起用されがち(エンターテイメントとして当然の満点対応だけどもね。見た目までガチの腫れ物を起用したらフィクションになりませんからね。)なんだと思うけど、レスリーさんにはそういった"致し方のない甘さ"みたいなものが、本当にない。

名演技というべきか名配役というべきか、続きのキャリアが心配になるレベルのクズっぷりが存分に発揮されてる。
いや、これ、あるいは本物なのか………???


確かに美人は美人だけど、とはいえ誰も近寄りたくないようなクソやべえ腫れ物ババアに、ちゃんとなってる。

何なら、ちょっと美人の面影が見え隠れするくらいはむしろリアルだなとも思う。
何となく若さ&見た目の良さで誤魔化しきいちゃってた時期があるせいで、余計に言動を腐らせているというかね。


「ビジネスビッチで食い繋ぐ」みたいなしょうもない成功体験すら擦ってもうまくいかない!みたいなシーンが最高に雰囲気悪くて最高だった(ベタ褒め)ね。

かつてはどうあれ、バーではみんな美人に遠慮してるんじゃなくて、関わりたくないから知らんぷりしてるだけなのよ。

彼女からすると綺麗な人に話しかけられなくてウジウジしてるように見えてるんだろうけど、今や実際はデカめの害虫が来たから怖くて見守るしかないだけなのよ。


その、過去まで見え隠れする「イタさ」描写があまりに鋭利で痛ましかった。

救いがないというより、描写に容赦がないよね。

まさに、現実そのものを描きたかったわけだな。鑑賞者までもが、その境遇には同情しつつも近づきたくはないと思えるような凄みがある。



レスリーに対する周囲の態度は本当に悲しくなるほどのゴミ扱いなのだが、全部が自業自得であることがひたすらクローズアップされる為、最終的に擁護も援護もする気になれなくなる。

チャンスを掴んだ次の瞬間には、自らそれを壊してる。
本人もそれを分かってて治せず悩んでるが、悩みが誰にも伝わらない。

これ、「前科者の更生」にも共通するようなテーマですよね。
真っ当さを外れて生きていた人にとって、今更の真っ当さがいかに窮屈で味気なく、ツマラナイものに感じられるか、分からないなりにも何となく理解を示せなくもない。



彼女は酒で宝くじの金を使い潰した後、周囲の優しい人達の愛想や同情心をも使い潰したのだろう。

本作はその過程をあえて言伝でしか語っておらず、物語としては全員の愛想がゼロになったところからスタートさせている。

いきなり底辺ハードコアだ。
誰も優しくしない。

そして、それは元から冷たかったのではなく、極限まで「呆れた」からであることも、ボンヤリではありつつも丁寧に描かれている。

今や、親しく接してくれるのは全員「ヤバそうだから刺激しないようにしている完全な他人」か「身寄りがないのを知って付け入る悪者or数寄者」だけの状態なのだ。
最悪だ。


レスリーの転落は宝くじのせいではあるが、あくまでたまたま宝くじが導火線に火をつけただけで、元からそんな真っ当に頑張れるタイプでもなかったのだろう。
変なパワーでちょっと高い位置にいっちゃったから妙な落差がついただけで、遅かれ早かれ底辺には着地してたんだろうと思う。



今のレスリーの問題は、「自分の心には自分しかいない」ってことだ。
とことん他責的で、被害者意識全開で、口を開けば自分の過去ばかり。
本当に自分しか見えていない。

トランクの中に詰め込んだ自分を抱えて逃げる日々。
たまに小銭を手にするや酒に使い、最悪の酔い方をして周囲から煙たがられる。

それでも唯一他者を想う瞬間として、一人息子のジェームズを想うことはある。彼女をギリギリ人たらしめる唯一の希望は、周りと同じく愛想を尽かした息子だけとも言える。


で、そんな生き方をしていて、そんなメンタリティに陥って、現在進行形でダメ人間である彼女に、その周囲に、それでも愛が残るだろうか?って話なわけですよね。



終始、レスリーの周囲に居る人々に実在感があってとても良かった。
バイカーギャングみたいな連中含め、まぁ誇れるほど清廉潔白ではないだろうが、それでもなんとかやりくりして生きてる。

彼女への当たりは確かに強いが、周囲の怒りも呆れも、よく分かる。
レスリーに手を差し伸べたい気持ちもなくはないが、結局呆れが勝るのも分かる。
そしてそんな心配心を、しかし完全に手放せるほどクールになりきれないのも分かる。

みんな冷たいっちゃ冷たいんだけど、故にこそ、なんて血の通った人物描写なんだ!と思ったよ。
人生の渋みで生きてるのは、なにも主人公だけじゃないわけよ。
レスリーから見えてないだけでさ。



一方で、まぁーーープチ苦言にはなっちゃうんだけど、ラストスパート、アイス屋のくだりからちょっと急激にリアリティの後退があったのは否めない…かな……
しょうがないのも分かるけどね。映画的にはまぁそうだよねという感じがある。

こういうリアルなクソ人生を描いたなりにも、少々突飛ながらもこの程度のパワフルなサクセスは希望として見せたい、のかもしれない。

ビカビカしたバーを閉めたらいつかは柔らかい陽光が差すように、どんな現在であれ輝かしい夢を持って然るべき!ということだろうか。

もうちょい地に足をつけた表現でもいい(10ヶ月じゃなくて3ヶ月くらい、途上で一旦クローズする感じでさ)とは思ったけど、まぁ…ナシではない、のかな。

ちょっとむずい。
評価が分かれるポイントなんじゃないかしら。
ずっと辛辣でやれ!!というのもなんか酷ではあるしさ。
うーん。




ぜんぜん、関係ない話を絡めますけど。

あたし、もう30も目前なんですけど……7〜8年程度の浅い浅ましい社会人経験をもとにナマイキ言わせてもらうなら、この日までに見てきたテレビやインターネット、或いは自分を含めた身の回りで見聞きするあらゆる事象を総合して考えると、人間って、"神に選ばれし崇高で高貴なる存在"などでは全くなくて、俺的には"ちょっと賢くなっただけの動物"だと思ってる。

常々思ってる。

世の中の事件・事故とか、ネットのくだらない争いとか、不倫とか浮気とか、或いはもっとくだらない過ちや誤りを見てると、それは崇高な存在がギリギリ人の道を踏み外したのではなくて、元々の「動物」部分が発露しちゃっただけだと思ってる。
そんなもんだよね、みたいな。

一握りの賢い人間が、変に社会を素晴らしく発展させ過ぎたせいで勘違いしがちだけど、大多数は元のままの愚かでしょうもない動物なわけじゃないですか。

それでも、まるでマトモであるかのような、神に愛されし素敵な存在であるかのようなツラして生きていくことを前提に社会がデザインされてるもんだから、そしてそれが一番合理的だとも分かるから、面倒なりにもなんとかやってるだけじゃないですか?


よく、勉強にも仕事にも一生懸命で、酒もギャンブルもやらんで、彼氏彼女に真剣で結婚考えてて……みたいな生き方を「ピュア」なんて言ったりするけどさ、あたしはそれは逆だと思ってるんだよね。

そんな生き方が本来あるべき正しいものである、という思想には微塵も異論はないけど、
でもそれは、純粋さとは程遠いと思ってる。
殆どの人間は、そんな崇高パーフェクトホワイトデンタルフロスライフを送れるようにはできてないと思う。

デズニー作品とかで「ありのままの自分で居よう!」なんてメッセージがしばしば打ち出されるが、無理に決まっておろう。
ありのままピュアに動物をやったら2分で捕まるんだよ。

ピュア過ぎて不倫浮気するし、
ピュア過ぎて自分を美化するウソをつくし、
ピュア過ぎて責任を果たさない。
そういう一種の動物性みたいなものを律して、なんとか畜生にならないように生きるのは、ピュアさとは真逆だと思っている。

本当は、むしろ素直にもピュアにもならずに、賢いフリ・マトモなフリをやっていくことこそが、一番険しい道のりなんじゃないの?


そういう意味で、本作のレスリーは限りなくピュアな、自分に素直な"ありのまま"を生きていると思ったんすよね。
誰よりも人間らしい。

これは想像込みだが、たぶん彼女はウソついてるつもりも全くなく、その時その時の一番素直な気持ちを表現しているだけなんだと思う。

ホントに酒なんか飲まないと思ってるし、息子を愛してるし、真面目に働こうと思ってる。

でも結局ピュア過ぎて、目の前の欲望を遠ざけられない。
自らの言葉や決意に整合性や責任を持つ力が極端に弱いものだから、トータルで見ると全てが破綻している。

つまり、自分に対してピュアで素直過ぎるから、すなわち動物的ストレートであり過ぎるから、社会から完全に見放されているのではないか。


ホントは誰もが、会う人全員に耳当たりの良い前向きな言葉をぶち撒けて、そのクセ責任とか整合性とか約束みたいな面倒なのは全部無視してやりたいようにやって、ムカついたら中指立てるような縦横無尽な動物がやりたいんだよ。
夜には奇声を上げてパンイチで踊り狂いたいんだよ。
それが、ほんとのピュアってもんじゃん。


でも、それじゃあ社会では生きていかれないから、仕方なく、整合性を持たせてぎりぎりマトモみたいなフリをするしかない。

多分どこかで、動物を卒業しないといけないんだよ。
本作は、レスリーにとっての動物卒業の過程そのものなんだよね。

ピュアじゃ生きていけないの。
幸せにはなれないの。

本当は全部投げ出して自由気ままにぶっ壊して回りたいのをなんとか抑えて程々にイナしつつ、さも崇高な生き物であるかのように振る舞ってコツコツやっていくしかない。

…っていう話だと思うんですよ。
クズ描写は容赦ないけど、それ故に、泥臭い真っ当さへのものすごく真摯なメッセージになっているとも思う。



人間様だから酒を楽しむぜ!!も大いに結構だけど、しかし人間だからこそ、自らを律して「今日は飲まないでおこうかな」な日を作る勇気。

それが、どれだけ重い一歩か。
その決意の、何と険しく尊いことか。

本作は、そんな観点での人間讃歌だと思うんですよね。

人間なんて所詮賢くなった動物なんだけど、とはいえ、せっかく賢くなったんだから、動物のままでいたらハッピーにはなれないから、なんとか、ちょっとずつ人間をやってみる。

「最初が肝心」なんてセリフもあるが、そういうプロセスの最初の試行錯誤が本作の主題であるし、そこがとびきりリアルでハードに描かれているのに好感が持てた。

手厳しいなりにも、温かみのある人間讃歌であり応援歌。
僕はこれ、気に入りましたね。



良かったです。好きな作品です。
これは、レスリーと同じような立場の人に届くだろうか。
届いて欲しいな。
なんか同じような人々が希望を見出せる作品であって欲しい。

そういった意味で、To Leslieというタイトルに偽りなし、とぼくは思いましたよ。
厳しいなりに愛のある、激励の手紙のような映画でした。

飲み過ぎない程度に、乾杯。


……それはそうと、ロイヤルがまじでかっけえ。
バイカーギャングみたいな連中の顔ぶれはみんないい味出してると思うけど、ロイヤルがまじで好き。

ああいうおっさんになりてえ。
40代になったらコーンローにしようかな。
コーンローホワイトカラーやりたい。
ロッツォ國友

ロッツォ國友