ロッツォ國友

春に散るのロッツォ國友のレビュー・感想・評価

春に散る(2023年製作の映画)
4.5
「年寄りってのはな、メチャクチャなんだよ!」


0.3ミリくらいしか期待してなかったのに、超良くて最終的に泣いてしまった!!!!!w

全然話題になってないしレビューもまるで伸びてないが、極めて良質な邦画ですよ!良い掘り出し物でした…!
題材やキャスト的にはもしかしたら妥当なのかもしれないけど…いやいや、この完成度ならもっと盛り上がっててほしいかな。。。
面白いよ、これ……



まず!キャラクターから。
キャストが、超イイです。

俳優一人一人の個性をちゃんと出し、スターとしての華を持たせつつも人間としてウソっぽくはならない描写を積み重ねており、全般において「存在感」と「実在感」の両立&バランスが素晴らしい。

みんなかっこよく映ってるけど、しかしちゃんと煤けた負け犬にも見える。
燻ってる大人であることがしっかりと伝わってくる。

佐藤浩市、片岡鶴太郎、哀川翔の負け犬おっさんチームが最高だったな。。

この組み合わせって、なんか見たことなくない?
三人とも超有名な、所謂"オーラのある芸能人"なはずなんだけど、本作での映り方は、その表現の意図する通りに"オーラを失った大人達"そのものになっている。
唸りますねえ。

後述するけど、表現一つ一つが本当に丁寧なんだよね。
突出した何かって感じじゃないけど、きめ細やかな演出が随所に見られる。
いい仕事をしている。


あと、横浜流星の顔は初めて認識したかも…超かっこいいし、ヌルい顔採用って感じもなくガチな好印象。
マジでかっこいいけど、文字通りの体当たりの演技が素晴らしかった。
文句のつけようがない。


橋本環奈は……まぁ…どうなんでしょ。
キャラクター的な存在感の強さに対して描写の積み重ねがやや薄く、結果的に「あれ、この人そんな重要なポジションなんだっけ」と少し戸惑ってしまった。

好意的に解釈するに、133分の上映時間で、本作はボクシング描写に何より力を入れているので、橋本環奈にあまり尺を割けなかった結果なのかなと思うけど、あれくらいの描写に留める程度なら別に居なくても良かったかな…と思ってしまう。
それとも居なかったら渋すぎるかな…w

作品での扱いに対してあまり重要度を感じさせる表現にはなっていないように感じましたな。
まぁ、これは、そんなに。




さて。
本作の何よりの主題は、夢を諦め煤けた魂と、それでも続く人生の塩辛さ。

仁一の心臓の手術に象徴されているが、人生の中で"止まってしまったものを再び動かす"ことの難しさと恐ろしさが克明に描かれている。

ボクシングという題材がより恐ろしさを際立たせているが、キャリアを賭けた挑戦というのはそもそも誰にとっても逃げ出したくなるほど重く苦しく耐え難いものなのだ。


そこで怖気づいてリングを去ったのが、仁一という男。
かなりカッコよくは描かれているけど、挑戦を諦めたすべての大人のメタファーだ。

挑戦するばかりが人生じゃないし、カッコつけて立ち向かって、その結果全てを失っても、誰も助けてはくれない。
彼はリスクを取れなかった。
そして、それをいつまでも引きずっている。

現実においても、トップアスリートが毎日テレビに映るもんだから、まるでそれが当然であるかのような錯覚を受けるがとんでもない。体が破壊されるかされないかのギリギリで戦い続けるのは、本来は並の人間にできることではないのだ。


仁一も翔吾もその他大勢も、優秀ではあれど決して一番星にはなれない"フツー"側の人間であり、また本人達もどこかでその壁を理解し、受け入れてしまっている。

戦い続けても、その先に待っているのはスター街道じゃない。
でも、この道のりは、それそのものは愛おしくてたまらない。

そこから降りた仁一が、まさにかつての自分と同じ存在感、同じ道のりを往かんとする翔吾とどう向き合うのか?という問いが本作全体を通して投げかけられている。

答えのない問いだ。

自分で自分の道を、キャリアを、人生を賭けるのは自由だ。
しかし、それを支える立場になった時、その先に無上の栄光はないと分かった時、自分はなんと声を掛けるべきなのか?

「大人として」なのか?
「コーチとして」なのか?

燻る魂を抑えつつ、翔吾の剥き出しの生き様を眼前にして、仁一の心は数十年ぶりに揺れ動く。



さて、ここで本作の要である、彼らが命を懸けるボクシング描写がヌルかったら台無しなわけですよ。
何の説得力もなくなる。

しかし、まさにこのボクシング描写が実に素晴らしかった!!
圧倒的にリアリティと、痛ましさ。


見栄えを優先した演技っぽいアクションは最低限にされており、大半はマジで普通にボクシングしてるようにしか見えない。

何これ、ホントに試合してんの???

当て方は考慮してる…気がするけど、まさに読んで字の如く「迫真」の一言だ。


ボクシングが人を夢中にさせ、無茶をさせる。
それらを変に言葉で理屈づけずに、本物のありのままのボクシングの面白さを伝えんとする凄み。気迫。

グローブが命中するSEも単調ではありながら、それがしっかりと痛ましさとして感じ取れるような、力強く重い音圧になっていて素晴らしかった。



あと、選手達に対してキャラ性を変に味付けし過ぎないのもよかった。

ライバルだし敵だし嫌な相手かもしれないが、別に悪人とかサイコ野郎とかそういうのではない。
才能と努力を研ぎ澄まし、懸けるべきものを懸けてリングに立っている点では同じスタンスの若者。純粋なライバル。
余計な脚色は要らない。

試合終了のゴングが鳴れば、血を流しながらでも称え合う姿にはスポーツ特有の一種の爽やかさがあった。


あからさまなワルとか、あまりにも酷い挑発とかを描いた方が劇的にはなるだろうが、もうそれはキャラクターマンガであって生身の人間によるスポーツではない。

そういった意味でも、非常に真摯な表現が徹底されている作品だと感じた。
真面目っすよね。



そして本作、個人的に何より輝いていたのは「眼光」描写だと思うんすよ。
ガチの試合にしか見えないアクションではありつつ、最も印象的だったのは彼らのバチバチな眼光。

火花を散らすほどに燃える彼らの魂が、その光が「眼」から漏れ出すような演技・演出にグッとくる。熱い。


私見ですが………
"目つき"とか"眼差し"とか、生き様は眼に表れる……と、常々思ってるんすよ。
その人物の人となりとか心意気みたいなものが、何となく滲み出る場所。
それが眼。

「目は口ほどに〜」って諺もそうだし、
中島みゆきパイセンの"ファイト"の歌詞にある
「ガキのくせにと頬を打たれ、少年達の眼が歳をとる」
とか、まさに眼が心を垣間見る窓として機能するからこその言い回しだろうなと。


本作のボクシング描写においてもとりわけ光るのは、翔吾をはじめとする、リングに関わる人々の「眼光」の鋭さだ。

眼の色を変えて飛び込んだり、あるいは打たれながら眼の光が失われていったり、一人一人の命がそのまま眼光として表現されていたように思う。

リングに集まり、向けられているのは人々の目線だ。

応援の眼差し。
期待の眼差し。
心配の眼差し。
恐怖の眼差し。
救いを求める眼差し。

リングを見つめる全ての眼に、感情が焼き付いている。


選手も選手で、リングの外に人生を置いて戦っている。
恐怖、迷い、キャリアへの期待、友人や家族、その他リングの外にある全てを懸けて、全てを一旦置いて、文字通りの裸でぶつかっていく。

その姿に全員が身勝手で自由で熱い「眼差し」を向ける。

シンプルでありながら、いやそれ故に、人間社会の複雑さが浮き彫りになる「試合」という空間。
そういった空気感が力強く表現されていた。
心震わされた。



そして一方で、本作はボクシングの良い面ばかりを取り上げているわけでもない。
ここまで説明した内容の裏返しに当たりますね。


それはズバリ、ボクシングというスポーツがあまりにも過酷すぎるから反射神経&運動能力がピークの若者しか選手になれないが、若者であるが故に、残りの人生へのダメージを、即ち肉体面において取り返しのつかない損傷を負いかねないという側面だ。

人生全体から言えば、多くの場合においてはその後の時間の方が遥かに長いわけだから、あらゆるキャリア・生き方を選べる状態と言えるし、それ故に自由にやれるのだという前提が社会全体で共有されているが、ボクシングを限界ギリギリまでやり切った結果、失明であったり、頚椎損傷であったり、所謂パンチドランカーと呼ばれる脳障害であったり、実に重く、治らず、取り返しのつかないダメージが残る可能性は決して低くないわけだ。


それって、その後の生き方…言い換えれば、仕事を選ぶ幅を大きく減らしてしまうかもしれないダメージだ。
もちろん、ボクサー業なんかも続けられない。

コーチになるとかはできるかもしれないが、殴って勝つ能力と教える技術云々は別の能力なわけで、それまでの経験が完全に自分の生活を保証しうるというものでも無い。

トップスター選手ならまだしも、燻ってる若者が命懸けでチャンピオンに挑み、身体を粉々にした後を、完璧にケアする母体は無い。
(退役軍人の余生の問題と近いかも。アメリカ軍とかは別として。)


一方で、金を出すスポンサーも、ジム運営側も、コーチも、全ての応援者も、そういった肉体的なリスクを負うことは皆無に等しい。
かけた分の金や時間の損失はあるかもしれないけど、一生眼が見えなくなるとか、会話や思考に重大な障害が残るみたいな傷つき方は無い。

にも関わらず、というべきか、身も蓋もない言い方をすれば無責任にも、周囲の大人達はある意味無邪気に勇気付け、応援し、支援し、背中を押して見守り"勇気をもらう"。

本当にリングに上がって血を流して、骨を折って、内臓を傷つけて、神経を損壊させるのは選手本人ただ一人。

一人だ。

チャンピオンもチャレンジャーも勝者も敗者もそこは同じ。
どれだけビッグなスポンサーがついてようが、どれだけ手厚いコーチングを受けていようが、パンチを受けるのは一人だけ。


もう若者ではない"大人"は、ある程度進路が決まり、その後の人生にも十二分に責任を取れるわけだが、その頃にはもう選手にはなれない。

代わってやれない。
あくまで応援や支援に留まるのみだ。
試合後に残るかもしれないいかなるダメージも、周囲の大人は直接受けることはなく、肩代わりもできない。

どれだけ綺麗事を並べ立てようと、どれだけスマートな仕組みで選手を盛り立てようと、本物の生身の身体を曝け出して血を流すのは選手だけであり、それができるのは年端もいかぬ若者だけ。


そういった不条理さ、理不尽さ……もっと酷い捉え方をすれば、関係ない若者の「若気の至り」にハクを付けて、ケガその他諸々の取り返しのつかないリスクを負わずにリングの外で焚き付ける全ての大人の構造的なエゴイズムを、本作は真正面から描いてみせた。

そしてそれに、変に言い訳や逃げ道を作らず、あくまで不条理は不条理のままで、若者と大人の合意を以てこの構造を表現しているのだ。


説明不足や逃げとも取れなくはないが、これについては説明できてしまう方がおかしいだろう。

説明はできない。
構造自体は本当に不条理そのものなんだから。
しかもステークホルダーの全員が、それに100%同意しているんだから。

若者は自分の若気の至りの結果を、傷を負って長い余生を生きていくしかない。
大人は負い目に感じながらも関係のない人生を生きていくしかない。
家族だけは、それを涙ながらに支えていくしかない。

「春」は今しかない。
もしかしたら二度と来ないかもしれない。
結果的に痛ましく「散る」であろうことも含めて受け入れて、花を咲かせる愚かさと美しさが、本作のボクシング描写にはある。


だから、暗部というか、グロテスクな側面を含めて正面から描き、真剣に話を運んでいるという意味で、本作はまさに全編を通して極めて丁寧且つ真摯な作品であったと言えるだろう。
ジャブの重さではない。正面からのストレートそのもののような作品だ。


終わり方も良かったな。
どこで切っても余韻があって良いなと思ったけど、やはりここも真面目に、どうなったのか?をきっちり描き切って終えている。
最後まで観客に投げないよね。
ちゃんと描き切ってる。
真面目だわ。

「春に散る」ものが何であったか?は、複数解ありそうだ。
多層的にも多面的にも解釈できる。色んなものが散って終わる話だなと思った。
そして、その後に咲く花もあるわけだな。
タイトル回収も良いですよね。
真面目だわ。。



という感じで、めちゃくちゃ面白かったですわね。
映画的に何か特別に突出した要素があるわけではないが、丁寧に丁寧に積み重ねた描写の数々が、それに対する真剣さが、結果的に大きな読後感に繋がっているように思う。

すっごい良かった。
ホントに良質な邦画でしたよ。大満足です。
ごっつぁんでした。
ロッツォ國友

ロッツォ國友