ロッツォ國友

ザ・ホエールのロッツォ國友のレビュー・感想・評価

ザ・ホエール(2022年製作の映画)
4.6
「次また謝ったら、その胸をナイフで刺すよ!」
「いいよ。やってみるといい。どうせ脂肪で内臓に届かない。」


デブがブラシで体を洗うお話!!!!!!


メルヴィルの「白鯨」、ホントに色んな作品で引用されまくるね。

気になるから全三巻買って何度もトライしたんだけどさ、長くてツラくて、一度たりとも最後まで読めたことがない。
上中下巻あるうち、今だに中巻の中盤までが最高記録ですよ……クジラの説明に尺を使い過ぎて読むのがマジでしんどいんだよね。


だけどモチーフ・テーマとしては非常に根源的且つ神話的で、好きなんすよね。
復讐に囚われた怪物のような男と、実在した怪物が闘う血生臭い神話。

宿敵にして無敵の白い鯨を殺しに行く…という物語の小説自体が、俺にとって永遠の宿敵、すなわち白鯨そのもののようになってしまったよ。なんかエモいな。
まーいつか読破しますよ。いつかね。



「ザ・ホエール」というタイトルは、もちろん本作で多重に引用される「白鯨」を指すものではあるが、本作内におけるどの要素も何とな〜く鯨と緩やかに繋がるような描かれ方をしており、幾重にも折り重なった「鯨」が常に鑑賞者の脳内を泳いでいく。

カメラは終始家の中から出ないけど、物語の舞台は心の海そのものなんですよね。



チャーリーは、とんでもないデブだね。

それもストレス性の過食によって出来上がった、孤独と傷心と自棄の塊のような痛ましい巨体。

彼にとっての日常生活自体が、悲しいかな映画的な一つの「見せ場」になってしまっている。

信じられない大きさの腹。
自分の足で立ち上がることができないので、歩行器を使って移動する。
大抵のものには体が邪魔して手が届かないから、マジックハンドや各所に取り付けられた吊り革を駆使してギリギリ人の生活を維持している。
いつもソファから殆ど動かず、呼吸もままならず、食べ物を喉に詰まらせても大笑いしても窒息死がチラついてしまう。

何年も外に出ていない。
薄暗い窓と、カギをかけていないドアだけが、「外」の世界と繋がる最後の出入り口。


彼は文字通りの病的な食べ方と太り方をしているので、食事シーンは全て、醜く惨めな自傷行為として表現されている。

とにかく何かを食う描写が不快極まりない。なんというか、ひたすらグロテスクに演出されている。
音声についてもとびきり気色悪くなるように調整されている。


彼にとっては一時的にせよ心を落ち着かせ、一種の自分を取り戻す為の薬のようにフライドチキンやピザやサンドイッチを取り出すが、傍目には怪物が自らを殺そうとしているようにしか見えない。

実際、彼は自分が生き永らえることに微塵も興味を持っていない。病院のベッドも理学療法士も適度な運動も必要ない。
己の愚かしさによって捨てて来てしまった娘への仕送りを続ける以外に、何も興味を示そうとしない。

テレビに出るようなアメリカの愉快なピザ野郎では断じてない。
悲しみの深海に沈む、死に急ごうとするイビツで孤独な怪物。



だから、鯨なんですよ。

「白鯨」は、鯨の骨で作った義足のエイハブという爺々が、自分の足を奪った白い鯨に報復しにいく話なんだけど、本作におけるチャーリーは、怪物を殺そうとする孤独な船長であり、孤独な怪物そのものでもあるのだ。

あの部屋は深海であり、浜辺でもある。
あのドアは砂浜であり、海面でもある。
チャーリーはエイハブ船長であり、白鯨でもある。



チャーリーも、チャーリーの周りの人物も、割とみんなロクでもない。
人間らしいといえば人間らしい。

そして、人間らしいしょうもなさの一方で、しかし人間だから、誰かを放ってはおけない。
愛さずにはいられない。

この、"人間らしい愛"と、
"人間らしいロクでもなさ"の
整合性の無い倒錯的な共存こそが、本作の悩ましい魅力の一つになっているのだ。

到底褒められた人間じゃないが、さりとて人間を捨てる踏ん切りがついているわけでもない。
愚かに涙を流して、もごもごと謝るしかない。



そこで登場するのがキリスト教ですよ。
「白鯨」に並んでもう一つ重要な要素は「救い」です。
信じる者のみを救う宗教の、その枠の外側に取り残された人々にとっての「救い」のお話ですよね。

まぁ「白鯨」にもキリスト教要素は重要なファクターとして度々登場するので、実質「白鯨」の再構築・再定義とも言えるかもしれない。


人を救うなどと言いながら、読み耽った聖書が現実に登場人類を癒すシーンは皆無だ。
聖書がもたらす救いからあぶれて、でも即座に破滅するわけでもないから、"聖書以外"にすがって、即ち依存して、何とか生きてゆくしかない。


チャーリーが何より重要視し、求めてやまないのは"正直に言葉を紡ぐこと"だ。
それができなくて彼は怪物になってしまったのだし、結果的には、それこそが彼を救いうる"聖書"たり得たと言えるだろう。

キリスト教に背く道を往く人々にとっての救いとは何なのか、というところを、人の醜さを含ませながら極めて辛口に描いている。

そのあまりのむき出し加減に、つまり作品造り上の"正直さ"に気道を圧迫され、窒息させられそうになってしまう。

娘エリーの正直な言葉だけが、彼の体に、暗く閉ざした心の臓に酸素を供給し得るのだろう。



鯨は、哺乳類だ。
冷たい海の底に居ても血は温かく、深海で生きていてもいつかは海面に、日差しのもとに出て呼吸しなくてはならない。

深海のような薄暗い部屋で彼は何度も窒息しかけていたけど、本当はドアを開けて呼吸しなくてはならなかったのだ。


最後のあの日だけ、連日降り続いた大雨が止んで陽光が差し込んでいた。
心の海底から海面に浮上してきたわけだよ。最後の日は。

だからあの部屋とドアは、海底でもあり浜辺でもあり、海面なのだ。

光が差すところに出てきて思いきり息を吸う。
閉ざして塞ぎ込んでいたものを吐き出すことで、彼は初めて気道に空気を通す。
聖書によってではなく、正直な言葉によって気道が通る。

そういう話だったと思いますよ。



細かいところは何だかいくらでも考えて書けそうではあるけど、まぁ、初回の感想なんで、この辺までで。


やーーーーー面白かったなぁぁぁ
斜に構えちゃうけど、やっぱA24つよいよ。
海底の部屋を出ない、出れない話だから本作も例に漏れず低予算?に当たると思うけど、「出ない」ことに最大の意味を持つ作品だ。バッチリでしょ。

白鯨は冷たい海の中に居るし、エイハブ船長は復讐心の中に閉じ籠っている。
「ザ・ホエール」か。いいタイトルだな。


ちょっとだけ、ラストを綺麗にし過ぎてるようなきらいはあるけど、いやいや、すごく好きな話だな。
めちゃくちゃ面白かったです!!

というか、意味とかテーマ性についてあまり読み取れてない気がするので、2回目・3回目と読み深めていくともっと発見があるタイプの話なんでしょうね。
いい人間ドラマでしたよ。満足でした。

ごっつぁん。
ロッツォ國友

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