横山ミィ子

ノーザン・ソウルの横山ミィ子のネタバレレビュー・内容・結末

ノーザン・ソウル(2014年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

タイトルの『ノーザン・ソウル』(Northern Soul)は、本作の舞台であった1970年代のイギリスの若者が憧れた、アメリカ北部のソウルミュージックを指すという。そのサウンドや歌詞に魅了され、若者たちが我を忘れて夢中になったということは(調べてみると)理解できる。

「ケンカもやった、クスリもやった、あの時の仲間とは疎遠になってしまっているけれど、とにかく音楽とダンスに夢中になっていた青春だった」メッセージとしてはこんなところだろうと推察される。しかしながら、初めて出逢う音楽とか、ダンスへの熱い語りはほとんどなく、ドラッグを摂取する場面や下品な野次、ハイになっている連中のダンスの情景など美しくないシーンばかりで、私自身が持っていた「若い頃、仲間達とクラブで踊った懐かしい楽しさ」を思い出すどころか、観るほどに「酔いが醒めていく」感覚に陥りすらしていた。音楽もわかる人にはわかるのかもしれないが、「置いてきぼり感」を感じた人も多いのではないだろうか?

とりわけ気になったのが主人公ジョンの魅力のなさだった。ここはうまく説明できないのだが、彼なりの壮絶な経験を通して、成長したのかどうか、最後まで観てもよくわからなかった。

(以下2021/5/2追記)
ジョンは音楽と出会う前、人知れず詩を書いていた。であれば、音楽の力に触れ、友人とのいさかいや、友人の死、恋を経て、自分の叫びを詩で外に出せるようになってこそ、彼の成長ストーリーとなりえたと思う。しかしラストは、人の詩を壁に落書きするというもので、「不良の反抗」から何ら殻を破れていないのにガッカリした。これでは不良の方法を美化してしまうことになりかねない。私の大人としてのつまらない考え方なのかもしれないが、そういう行動は厳密に計算して、せめて成長したゆえのエッセンスを混ぜるべきだった。
横山ミィ子

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