アむーレ

エデンの東のアむーレのレビュー・感想・評価

エデンの東(1954年製作の映画)
3.7
エデンの東…旧約聖書で「アダムとイヴの子カインは、嫉妬の余りその弟アベルを殺す。やがてカインは立ち去りて、エデンの東ノドの地に住みにけり」との一節があり、エデン=楽園から東に離れたノドの地(ヘブライ語で「放浪する地」)、すなわち天国から地獄へと追放されることを表している。

保安官はキャルに対してこの旧約聖書の一節を話し、「君はこの町にいるべきではなく立ち去るべき」と告げるが、この保安官が言う通りキャルはアーロンを母親に会わせ狂ったアーロンが志願し戦地に赴くことになり、一見キャルが悪者(カインの立場)のように見えるが、実はこの立場は逆だったのでは…と自分は感じました。

今となっては先物取引とか株とかの金融取引はお金を稼ぐための手段として当たり前の世の中になっているけど、この当時は汗水垂らしてまともに働くことが善とされていてこういった金融取引は悪という風潮があったのかもしれないし、父アダムの言うように戦争が絡んだ価値の高騰だけに受け入れられない部分もあったかもしれないけど、父のために思ってキャルはお金を稼いだがその金は受け取ってもらえずむしろ汚い金だとして悪者扱いされてしまった。

恋人エイブラの心が徐々にキャルに揺れ動いてきていることを察知したアーロンがそれを嫉妬し、キャルが父親に対してしたことをまるで悪者のように仕向けた張本人こそアーロンで、旧約聖書の一節に出てくるカインがアーロン、嫉妬され殺された(悪者に仕向けられた)アベルがキャルだったのではないか。
その結果、アーロンは戦地へ赴き生死を彷徨う放浪の身となり、キャルはアダムの側で世話をすることになる。

そう解釈すると、この映画におけるエデン=楽園は父アダムの愛情をうまく受けてこれなかったキャルが、ついに母親・父親の全てを知り受け入れ、ときには母親の経済力も借りながら、最終的に父アダムの心からの愛情を受けることができたという状態こそが安息の地エデンであると考えられる。

自分を産んだ母親の姿を先に知っていたキャルと知らなかったアーロン。
また、母親が去り父親の再婚を受け入れた過去があったエイブラという偶然の三角関係。
そこに父親の愛情が複雑に絡み合って起きた嫉妬劇、憎愛劇であり、一番この波に飲み込まれ感情を左右された結果、戦地に赴き恋人も離れ両親とも決別した悲しい未来を背負うことになったアーロンがかわいそうでもある。
この映画は喜劇なのか悲劇なのかとても複雑。それはどの登場人物に焦点を当てるかで全く違ってくる。

人生ってそういうもんだよな。
得をする人がいれば損をする人がいる。
勝つ者がいれば負ける者がいる。
喜ぶ人がいれば悲しむ人がいる。
この作品から社会のリアルの縮図を見た気がした。

けど、母親ケートの経営するバーってそんな悪どい店か?とは思う(笑)
違法な店とかいかがわしい店とかならその表現は分かりにくいし、普通にお店を経営することって悪いこととは感じない。
やっぱり汗水垂らして働く=善で、利益を吸い上げる経営=悪っていう価値観の時代背景なのかな?
皆さんはどう感じましたか?
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