横山ミィ子

ヘアーの横山ミィ子のレビュー・感想・評価

ヘアー(1979年製作の映画)
4.0
オクラホマ出身のクロード・ブコウスキーが、従軍の前に寄ったニューヨークで、ジョージ・バーガーをはじめとするヒッピーのグループと友達になり、その行動に巻き込まれていく話。

名曲「アクエリアス」そして「レット・ザ・サンシャイン・イン」が目当ての視聴だったが、思いがけないストーリーと結末に翻弄された2時間だった。

映画でも小説でも、アメリカ文化の作品に多少なりとも触れていると、ヒッピー文化への言及は必ず出てくるが、これはまさにヒッピー文化に焦点を当てたもの。「ヘアー」は単なる「髪」ではなく、彼ら彼女らのスタイルとしての髪を指しているのだろう。ベトナム戦争への抗議、自由、平和をその精神としている活動は、若者のパワーが集結したものとして好意的にとらえていた私も、この映画によって見方を変えざるを得なくなった。

冒頭から、ヒッピーのメンバーは、乗馬をしている通りすがりの女性に卑猥な言葉を投げかける。バーガーは、車に乗っているシーラの太ももに触る。ジーニーは、メンバーの誰が父親かわからない子供を宿して、「妊娠って素晴らしい」とヘラヘラしている。ラファイエット/ハッドは、そのフィアンセ(シェリル・バーンズ)に「彼女の赤ん坊の父親は誰なのか」と詰め寄られても、いいから帰れというようなことばかり言ってその場から離れる。父と母のいさかいを見ていた子供が、涙をこぼしているのが胸に刺さる。往々にして、美しい理念というものに、女性と子供は割を食わされるのだ。シェリルは言う、「宇宙の真理なんて私にはわからない、知りたいのは誰があの赤ん坊の父親なのかということだけ」

Especially people who care about strangers/ who care about evil and social injustice/ Do you only care about the bleeding crowd/ How about a needing friend/ I need a friend

[特にあの人たち、見知らぬ人のことや、悪事や社会の不正義を気にかける人たち。心配なのは血を流している人々のことだけ?味方が欲しい人のことは?私にも味方が必要なの](作品中の曲"Easy To Be Hard"、Caissie Levy、拙訳)

バーガーが留置所から仲間を助けるために、保釈金をせびりに行った先は自宅だったが、裕福な家庭に見えた。バーガーはシーラの家庭でのパーティーで、上流階級の出席者に「クロードはあんたらを守るために戦いに行くんだ」と息巻くが、クロード自身はヒッピーのグループに悪質ないたずらを仕掛けられた後、「何のために戦うんだ」と聞かれて「お前たちを守るためだ」と言う。これを聞いてラファイエットは怒るが、非常に重要なセリフで、ヒッピー文化は、従軍せざるを得なかった地方の若者たちに支えられていたのではないかと思う。自由を謳歌できたのは、幸せな立場の人のみに許されたものだったのではないかと。

だからといって、結末の展開は手厳しすぎるとは思うが、ホロコーストで両親を亡くしているというミロス・フォアマン監督の胸には、どのような思いがあったのだろうか。

ヒッピー文化が本当に素晴らしいものだったのなら、続かなかったのはなぜなのか。今の日本や世界にあるムーブメントを考える上でも、ヒントをもたらしてくれそうな作品である。
横山ミィ子

横山ミィ子