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キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンのasayowaiのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

初見。ソール・バス(本作が描く1960年代を代表するグラフィックデザイナー)、あるいはモーリス・ビンダー(本作でも引用される007シリーズのタイトルデザイナー)を意識したオープニングクレジットからスピルバーグの律儀な時代意識を感じてわくわくする。ジョン・ウィリアムズの音楽もどことなくバーナード・ハーマンっぽく聞こえてきて往年のヒッチコック映画のようなコミカルでいてサスペンスフルな追っかけ劇を期待したけども一筋縄ではいかない映画だった。

大胆不敵な天才詐欺師と地味で真面目なFBI捜査官、対照的な二人の対決は確かにコミカルでサスペンス劇たっぷりだった(特に二人がはじめて対峙するシーンは「ばっかもーん!そいつがルパンだ!」を地でいく名シーン)し、フランク(レオナルド・ディカプリオ)の華麗な変身とパリピっぷりは娯楽として十分に楽しめた。でもこの映画をジャンル映画としてみることが難しいのは、天才詐欺師のストーリーを無理やり平凡な家族のストーリーに変奏しているからだと思う。

幸せな家庭の象徴としてのクリスマス。破綻の予兆としてワインの染みを映し出すだけであっけなく家族を崩壊させ、フランクを放蕩息子の旅へと出発させる。放蕩の限りを尽くし、富を得ることが家族を再生させる手段だと信じていたフランクだったが、現実に叩きのめされた父親(クリストファー・ウォーケン)は彼の放蕩を止めてはくれない。親に勘当されたブレンダの帰還を助けて、義父になるはずだったマーティン・シーンも結局フランクの本音を取り違えてしまう。帰る先のなくなったフランクはお縄につき万事休すかと思いきや、意外なところから救いの手が差し伸べられる。めでたしめでたし。

のはずなんだけど、映画はまだ終わらない。その後、FBIの仕事に愛想をつかしたフランクが海外に逃亡するも回心してカールの元に戻ってくるエピソードを描き、放蕩息子の帰還を律儀に再現してようやくこの映画は幕を閉じる。まるでそれが父子になるために必要な儀式であるかのように。正直映画としては蛇足だと思うけど、作品の出来を犠牲にしてまでいれたかったシーンと考えると、スピルバーグの本作に対する姿勢が垣間見えた気がした。

トム&ジェリーのような追っかけコメディを期待していると少し肩透かしを食うような構成で、天才詐欺師のストーリーを家族のストーリーが食ってしまっている。フランクのラベルをはがす癖とか、母親のブランドに弱い俗物っぽいキャラ付けとかの細部がストーリーの根幹に効いててストーリーテリングは上手いんだけど、なんでこんないびつな構成にしたんだろうか。食材も調理も質が高いんだけど、なぜ最高級和牛を仕入れてカレーを作ってしまったような映画。おいしいんだけど、素直にステーキにしてたらもっと評価の高い作品にできたと思う。でもそれなら自分は製作にまわって他の監督に撮らせてただろうなという気もするので、スピルバーグの「作家性」ってことなんでしょう。彼が描きたかったのは「犯罪」ではなく「放浪」で、「放浪」を描くからには「帰るべき家」がなければならない。

犯罪サスペンスとしてのフランク・アバグネイルが観たい人はテレビドラマの『ホワイトカラー』をみよう。
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