はぐれけんきゅういん

窓ぎわのトットちゃんのはぐれけんきゅういんのレビュー・感想・評価

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)
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本当に、劇場へ観に行ってよかった。人生の中でこの作品に出会えてよかった。

2023年にようやくADHDの診断をもらってなんとなく肩の荷が降りた(つもりの)私にとっては「こんなに丁寧にやさしく発達障害を描いてくれてありがとう」な作品であり、人から人へ連鎖し消えることのない愛の物語であり、なによりも戦争への怒りと憎しみに満ちた映画だった。せっかくなので書きたいトピックごとにまとめる。

【戦争描写について】
美しいもの楽しいものすてきなものを享受していた当たり前の日常を奪い去り、幸せが詰まった自慢の我が家を無惨に破壊し、たくさんのかけがえのない思い出と成長と愛をくれたトモエ学園を焼き、自分を含め大切な人々の尊厳を完膚なきまでに踏み躙った戦争を、黒柳さんは生涯をかけて憎んでいる。
これまでも徹子さんの人生はドラマ化されてきたけれど、この「窓ぎわのトットちゃん」で観客が向き合うのは『御歳90歳の生き字引・黒柳氏』ではなく『あの日何もできないまま生きるしかなかった子供のトットちゃん』だった。ぼんやりと戦争へ向かって行くいまの日本を作っているのは私たち大人であることを忘れてはならない。そういえばタモリ氏が昨年末に2023年を「新しい戦前になるんじゃないですかね」みたいに話していて、本当にそんな一年でしたね。明確にこれは戦争の準備でしょう、というニュースが少なくなかった。

【発達障害描写について】
実際には黒柳さんはLDもあるそうなのだけど、この作品ではADHDの部分が大きくフォーカスされていて、当事者として救われる思いだった。「どうしてみんな私を困った子だと言うのだろう。わたしはトットちゃんなのに」ということばには、自尊心と社会からの疎外感のギャップに苦しむ発達障害当事者の悲しみが込められていたし、それに応える小林先生の一言が「きみは、ほんとうは、いい子なんだよ」なのが、どれだけトットちゃんを救ってくれたか、その後の人生の心の支えになってきたか、わずかでも理解できた気がした。きっと私も同じことばを子ども時代に求めていたと思う。そのほかにも「やりたいことがあったはずなのにほかへ気を取られて遊んでしまう」シーンがちゃんと描かれていたり、終盤でお母さんがびっくりするほどトットちゃんがしっかり成長して「そうなんですよ私たちもゆっくりだけどちゃんとできること増えていくんですよ」と目頭が熱くなったり。

【愛の描写について】
トモエ学園で小林先生や泰明ちゃんたちとの交流を通して、愛を学んでいったトットちゃん。小林先生がトットちゃんと長い間お話しして「ほんとうはいい子なんだよ」と語りかけることでトットちゃんの孤独に寄り添ってくれて、トットちゃんは泰明ちゃんの手を引っ張り新しい景色を見せることで彼自身の孤独に寄り添う。ここで描かれる愛はありのままの相手を受容することであるとともに、相手の孤独に誠実に寄り添おうとすることなんじゃないかなと。愛とはなにか?という問いに対する答えがここにあった。

恐れ多くも原作をきちんと読んだことがないのだけど(買いますごめんなさい)、映像化して他者の視点が入った新しい「トットちゃん」、イメージシーンの実験的アニメーションも含め、全体の完成度が高くて本当に丁寧に作り込まれた傑作でした。監督をはじめスタッフの方々が報われますように。そして原作同様、世界中の人に観てもらえますように。