【殿堂入り作品シリーズ その10】
アカデミー賞、ゴールデングローブ賞の両方で主要5部門(作品、監督、脚本、主演男優、主演女優)を受賞
価値観が多様化した今の時代、おそらく今後このような評価のされ方をする作品が出ることはないと思います
見所はなんと言っても主、ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャーのその演技
ジャック・ニコルソンと言えばこの作品以前にも『イージー・ライダー』『ファイブ・イージー・ピーセス』といったアメリカンニューシネマをはじめ、何度もオスカーノミネートされてきましたが受賞に至らずようやく本作で主演男優賞を受賞
世間の評価という重圧から逃れたことが理由かどうかはわかりませんが、以降彼は『シャイニング』のジャック・トランス、『バットマン』のジョーカーといったように、演じるキャラクターに幅がでてきたように思います
刑務所の強制労働から逃れるために精神病を装い、精神病院(カッコーの巣)にやって来たジャック・ニコルソン演じる主人公は、病院側の管理のもと全く生きる気力を失った患者たちに愕然とし、その体制へ反抗しながら患者たちの人権と人間性の回復に奔走
そして絶対的権力をもって患者たちを押さえつけているのがルイーズ・フレッチャー演じる看護婦長
まさにアメリカンニューシネマの体制vs反体制という構図そのもの
ただ自分にとってルイーズ・フレッチャー演じる看護婦長は単なる体制側の象徴とだけには見えませんでした
そこになんとなく母性のようなものを感じたから
患者を自分の意のままに支配する為の教育、それに反すればお仕置き、そして自分に従順なものには時に優しさも見せるその姿は、まるで自分の子供に対する振る舞い
体制を維持するという使命感の裏側に存在する母性は絶対的なもの、そしてそれに逆らう主人公とは全く相容れる余地がないという状況が、この二人の関係性を明確にし、さらにそれを感じさせる彼女の演技がこの作品に奥行きを与え、高い評価を得ることになったのではないかと…
そしてもう一つ印象に残ったのが、ネイティブアメリカンの患者の存在
それまで看護婦長に従順な子供のような振る舞いをしてきた彼は、ジャック・ニコルソン演じる主人公に影響を受け、徐々に彼に心を開き、最後には予想だにしない行動に出ます
それはネイティブアメリカンというアメリカ社会が抱える歴史的な問題を浮き上がらせる反体制の象徴とも感じました
その後、『シャイニング』でジャックがその呪いが取りついたホテルで狂気に追い込まれたのもどこか象徴的
そして衝撃的なラストシーン
ただそこにはそれまでのアメリカンニューシネマとは違う、未来への希望を感じられたのが救い
本作はアメリカンニューシネマの終焉、そして夢と希望を追いかける新たなハリウッド映画への橋渡し的存在だったような気がします
ラストシーンとそこに流れる印象的な音楽にとてつもなく感動
映画が終わってもしばらく席を立てませんでした😢