EnzoUkai

オッペンハイマーのEnzoUkaiのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.6
観てしまった…
昼間に観て、まだ時間が経っていない今、レビューを書くべきか逡巡するところだ。
興奮が筆を滑らせかねない。
でも、誰かとこの気持ちを共有させたい!
その気持ちの方が強いから書いてしまう。
(ほぼ、映画本編のレビューにはならないと思うので悪しからずご了承ください。それと、間違いなくネタバレ微塵もありません!)

まずは、「最高!」の一言。

やはり、クリストファーノーランと同時代に生きていて良かったって心底思う。

彼の映画をIMAXで観たのは『ダンケルク』が最初。
IMAXそのものの存在価値が分かったのは正に『ダンケルク』だ。
『ダンケルク』も『TENET』も通常の上映と比べてきた。その都度IMAXの素晴らしさを痛感するし、IMAXでの視聴体験はやはり通常上映の映画鑑賞とは違うものだとはっきり言える。
それはかなり付加価値を与えるものであり、評価の加点になり得る。そこはズルいと言っても良いと思う。
無論、今回もIMAXでの体験は恐ろしく至高であり、魂が揺さぶられる思いをした。ノーランにしてやられた。
ただ、IMAX上映ありきで彼はプロダクトしてる。その「ガジェット」が果たせる能力を織り込んで映画を作っている。やはり、我々はIMAXで見るべきであるし、IMAXでの体験で最高の映画体験をすれば良いだけの話だと思ってる。
しかし、これには大きな矛盾を孕む。
「彼の映画はIMAXで観なければ価値がないのか?」
こう続くだろうと思われるだろうが、この問題は次点であり後に回すべき問題であり、愚問だと思う。
その前に挙げたい矛盾と言うのは、
「IMAXで観られない人たちの方が圧倒的に多い」
と言うことだ。
私のような輩がIMAX、IMAXと連呼してること自体が非常に害毒で、たとえ通常上映で観られてもその映画的価値をなんら毀損することないにも関わらず、IMAX推奨の誤解を撒き散らすことの罪深さを実感している。そして、上に挙げた「IMAX以外では無価値」という議論に繋がってくる。

昨今、ノーラン映画を貶める風潮がある。
かつてスピルバーグが批判の俎上に上がりやすかったことに似ている。スピルバーグは多作であるが、ノーランはそんなに撮ってるわけじゃない。私はノーラン批判の裏にはIMAXと大きな関係があると思ってる。
それは、ロードショーで観られてない層が映画館ではなくテレビで見てしまうこと。テレビと言ってもサブスクで一連のノーラン作品を見てしまってる層が作ってしまう観念上の問題だと思う。
正直言って、ノーラン映画の情報量は膨大だ。これは間違いなく言えることだが(TENETのレビューにも書いた)ノーランは複数回の鑑賞を前提に映画を作っている。それくらいの情報を映画鑑賞時に処理するにはかなりの集中力がいる。やはり、あの映画館の暗闇の中で観ることが必要とされるものと確信している。
この『オッペンハイマー』への批判も、実はそもそも批判という行為を楽しむサブスク層のものだはないかと思っている。

日本公開後の批判は他にも要因はありそうで、実はネット上での強い批判の多くは政治的スタンスに関係するものだと容易に推測される。それは非常に気持ち悪いもので、芸術文化に口を挟まないで欲しいと強く思う。
で、あるが、
(ここからが本編レビューらしくいこうと思うが)
鑑賞中に、「公開延期になったのも分かる気がする」、としきりに思っていた。
劇中、少なくともある所までは間違いなく広島、長崎までに向かって話が進んでいく。21万人の命を奪うことになる運命の時間軸に観ている我々は乗っけられる。その一点に向かうベルトコンベアに乗せられてる感じで胸が締め付けられた。
時折挟まれる明滅する光、耳をつんざく轟音が身体と心を揺さ振り続ける。
普段は日本人であることを意識もしてないのだが、今日のあのスクリーンの前では一人の日本人だった。

もう次はいつ観に行けるか予定を繰っている。とりあえず通常上映で観て、それから最後にもう一度IMAXかな。
EnzoUkai

EnzoUkai