EnzoUkai

愛と哀しみのボレロのEnzoUkaiのレビュー・感想・評価

愛と哀しみのボレロ(1981年製作の映画)
4.9
「人生には二つか三つの物語しかない…」
冒頭、この言葉から始まるこのドラマは最高峰の群像劇であり、大河物語である。
さすが、私が愛してやまない小説『レミゼラブル』を生み出した国の映画だと非常に納得がいく。
この映画の日本公開は1981年、私が高校生の時だ。日本でもそれなりに話題になり、そこそこヒットしたわけだが、私は劇場で観てはいない。もっぱら劇中のジョルジュドンの舞踏とボレロの旋律が話題の的でちょっとした社会現象になっていたと記憶してる。
数年後テレビ放送されたのを観たのが初めての体験で、その時、劇中のとある場面をTDKのカセットテープのCMがパクってたのに気付いて失笑した。もちろん、そんな失笑は映画の評価を左右したりしない。丹精に織り込まれた人々の物語に完全に心を持っていかれた。そして、何よりもこの初めての経験が、テレビでしかも録画をしていたという偶然が、この映画の解釈にとても役に立った。4本の大筋が引かれているが、少し人物関係が入り組んでいる。繰り返し見ることによって頭の中の絡まりが解ていく。それがとても快感で、思わずまたビデオを回したくなるような映画なのだ。

そんな日々からもう40年も経ったのか、と思うとまた感慨深い。
映画館でやっと観ることができた。。。

10代の時、この映画に感じた人の世の儚さは、その後の人生観に多大な影響を与えてくれた。還暦を目前にした今見る人生とは?

あの当時、この映画が芸術家達の物語だとあまり強い意識を持たなかった。あの時は劇中の人物達が社会的成功者とでも受け取っていたかもしれない。儚さの中にも希望を感じとっていた。
もちろん、今見ても人生は儚いし、希望を持つことの大切さは分かる。ただ、今回観て、この映画には芸術家達が生まれながらに持っている性のようなものを強く感じた。
性、、、言い換えるなら使命かも。
芸術、芸能の役割、それを担うことの責任、これを描ききる為には大河ものでやるしかなかったのかもしれない。
登場する人々の精神の崇高さを感じてしまう。その崇高さあってこそ、我々は彼らに魅了されるし、彼らのお陰で艱難辛苦の人生から救われる。
少し余談になるが、超が付く程に映画や音楽が好きな高校生の私は、絶対に将来その方面に行くことを考えないようにした。断固として芸術、芸能の世界には行かないと思ったのは、この映画の影響もあったような気がする。自分にはその崇高さがないことを悟ったからだ。

クロードルルーシュには「音楽映画を撮らせれば右に出る者は居ない」、なんて軽めのおべっかを使う必要もない程、やはり音楽と映画の親和性を知り尽くしている。ほんの数曲の楽曲を様々なバージョンで使い分け、劇中の人物達の心象を見事に表現する。この映画の凄さは、もしかしてセリフがなくても分かるんじゃなかろうか?と思うくらい。現にセリフそのものは少ない。180分超えの映画、しかも群像劇、大河ドラマにしてはあまりにも説明が少なすぎる。しかし、話の流れはきちっと分かるのが凄い。

この愛すべき映画、もちろんこれからも観続けていくんだろうな。
午前10時、ありがとう!

あ、クロードルルーシュ版の『レミゼラブル』もお願いしたいなぁ。
これは映画館で観たんだよな。
もちろん、『愛と哀しみのボレロ』が好きだったから観に行ったんだよね。
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