ハマちゃん

イノセンツのハマちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

イノセンツ(2021年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

イノセンツ
主人公 イーダ
自閉症の姉 アナ
おっとり優しい アイシャ
無邪気の権化 ベン

話したいことが多くあらすじと並行して感想と考察を述べていく。

イーダはアナという自閉症の姉と共存はしているものの寄り添う努力はすることの無いまた小さな子供、車の中で「こうやったらどうなるんだろう?」という好奇心。
太ももをつねりアナの表情を確認、普段通りにしている姉を見て「こうなるんだ〜」と自分の中で一つ、

"好奇心の発散"

を行っているシーンから物語はスタート、その後自閉症という事実が観客にも伝えられ家族はその治療のために引っ越してきたことを知る。
イーダはその状況に不満を抱いており、こんな場所嫌だ怖いし友達もいないしつまらないと心は落ち込んでいる。

その後イーダはベンと出会い超能力をみせてもらい仲良しに。

【お絵描きボードを消す音】←
この表現を自分が感じた物語の節に表記させて貰いたい。

"無"邪気とはよく言ったものである。
アリの巣を壊して遊んでみたり、猫を高い所から落として遊んでみたりと終始笑顔である。
そこに"悪意"は無く。

猫に怪我をさせ流血させてしまった事実を目の当たりにしたイーダは"何か"を思うが、ベンはアリの巣を壊して遊んでいた延長線上の出来事と捉え、ワクワクした面持ちで猫を追いかけ死んでいる猫を見つける(実際には怪我をして横になって休んでいただけ)

ここで初めてベンの顔が少し崩れ、涙を少し流すが猫が起き上がり生きているとわかった途端涙をすぐ拭い「楽にしてやるか〜」というノリで頭を踏み潰す。ここで恐ろしいのはイーダは目をそらしているのにも関わらず視聴者にはこのシーンを見せつける。大人の僕達はこの世界に目をそらすなと言われている気分である。

ここまで共通認識で遊んでいた2人に
善悪の分別が初めて加わり、友達としての距離間が一気に離れる。

好奇心は誰にでもある。
その好奇心を発散する為には「善悪の分別」「常識的思考」など色んな事を鑑み発散の仕方を考える。

だが子供は
「どうなる?よしやろう」

映画を見終わって思うことはネコのシーンで一瞬涙を流したベンにもイーダが持ち合わせていた善悪の分別のタネは持ち合わせていたんだろうと思う。

だが無邪気さがそれを圧倒的に上回っている事でおそらく何故あそこで涙を流したのか本人ですら気づいていないだろう。要は心のバランスである。
イーダ 善悪の分別30 好奇心70
ベン 善悪の分別5 好奇心95
子どもの頃は色んな経験を経てどんどんこの心のバランスが整っていき常識的にやっていい事、悪いこと、相手はどう思うか?など行動を起こす前に想像し考える。

ここまで長くなったがこのベンの心のバランスや実際に涙を流した事実をちゃんと心に閉まって置いて置きたいので、こと細かく書かせて頂いた。

一方、アナとアリシャペアはなんと微笑ましい
心が読めるアリシャはアナの内にある心を読み解き分かりあい仲良くなっていた。自閉症とはよく言ったものである。心を通わせたければ内側に入ればいいのだ。(できるかァ!)

イーダはどうせ何も感じないし何も考えていないと思っていた姉が「家に帰りたくない」という意思表示をみる。
様子に少し戸惑うがその日は次の日も会おうと約束をして解散。

次の日イーダは猫を見に行くと死体が弄ばれており、ベンの仕業だと確信する。
ベンは相変わらず1人で居ても好奇心まっしぐらの無邪気な男の子なのだ。(でもねぇ..やりすぎだね..)

イーダは怖くなりアナの元に戻ると
アナ・アイシャ・ベンの3人で遊んでいるではないか、ベンとは関わりたくないと思っていた矢先アナと家に帰ろうとするが、そこでイーダにとってその気持ちを遥かに上回る好奇心をくすぐられる言葉が

「私たち3人不思議な力を持っている」
【お絵描きボードを消す音】

4人はたちまち仲良くなり毎日のように超能力のテストを行う。
イーダ 無能力だがみんなの中心に
アリシャ 心を読む力に特化
ベン ものを動せる&しかも心も読める
アナ 近くにいるみんなの力を増幅&物を動かせる&心を読める

ベンがブチ切れてアイシャを襲おうとしそれを庇うアナとのバトルまででわかったのがこんな所である。
よくある子供の喧嘩。だけど超能力をひとつまみ。
ここのシーンの後アナが怪我をしてアイシャに「痛がっている」「心で泣いてる」と言われ、アナ本人にも「すっごく痛い」という言葉を聞き初めてイーダは人の内側に触れる。

今まで自閉症の姉とそれを気遣う親、想像ではあるがあの歳まで人の心にちゃんと触れる機会は少なかった様に思える。
姉のことを心を失った人間と決めつけつねり、靴にガラスを入れ、ベンにもつねらせ。まあ色々と反省する部分は本人にもあったのでは無いだろうか。
〔この映画を通して姉と分かり合おうとするシーンや言動があったので、そうなのだと思う。〕

だがそこで反省した表情や謝罪の言葉より、笑い声を出して3人で「喋れたことに対して面白がる。」
というイーダの行動に、まだ心のバランスの未熟さが感じられる。(謝ってハグしろよおい)

親に言葉を交わすことが出来ることを伝えるが信じて貰えず怪我の原因もイーダの責任と思われ母親に突き放される。その後、夜に母親から謝られて言葉を交わすが分かり合えなず...

※ここで超重要なので書き留めておくとイーダの親は分かり合う姿勢も見せていれば寄り添う素振りも見せているのである。というかどちらかと言えばこの一般社会の模範的な母親の行動を取っているのではないだろうか。

もしイーダの親が話も聞かずに一方的に命令するようなタイプであればこの映画は奥行きのない「あーーあ、やっぱり親がちゃんとしてないと子供は悪い方に進んで言っちゃうよね〜」というなんともしょうもない映画となっていると思う。

イーダにアナを任せられない母親は自らアナと公園に、そこで驚くべきことに普通にアイシャと会話しているアナ。
感動して父親にも報告してとても微笑ましい。

だが面白くないのはベンである。
母親に日常生活で詰められ母親殺害、ここでも涙を流す。
まあ猫で泣いたのだから母親でもそりゃ泣く程度のココロは持っているということだ、だがその涙の理由は本人には分かっていない。

人を操り人を殺める事ができる力にも目覚め無双状態。アイシャは問答無用で殺され次はイーダ一家、イーダは焦るもアイシャを殺され心を閉ざしてしまったアナにはその焦りも伝わってないように見える。だがここでイーダはアナに対し怒鳴るのでも痛めつけるのでもなく、

ただただ優しくアナを抱きしめる。
優しく不完全でありながらも少しずつではあるが人間性を成長させ前に前にと進むイーダの姿をみて少し感動。

だがアナ自身も内心怒りに震えており、復讐の機会を伺っていた。
母親が出かけた隙を見逃さず外へ、ベンを見つけ超能力の押し相撲が始まるがそこに力を覚醒させたイーダ登場。2人でベンに有無を言わさずゆっくりと殺すのであった。その戦いに気づく子供たちがちらほらいたがここでは言及しないことにする。

この映画の結末だが、決して人間的に正解では無いし、この映画が大人の復讐劇なら二流もいいところだが、この映画の主人公は子供たちなのである。

無邪気に遊び回り、友達に傷つけ傷つけられ、親に相談し叱られ慰められ、この世の全てに触れる機会があり、それに触れることの出来ない環境も存在する。
経験を経てもすぐに忘れ同じ事を繰り返す事もある。
その中でこの2人が決めた結末は不完全であり美しかったと感じた。

最後にお絵描きボードを消して次は何を書き始めるのか。
だが確かに書き溜めたモノは薄らかにそこに書き跡として残っている。