鑑賞後に原作読了。
観た人によって、感想とか捉え方は様々で色んな深度で語れる作品だなぁと。
「勝手にふるえてろ」も好きなので、系統似ているなぁとも見ながら思いました。
ダメ男に振り回されてしまう恋愛に盲目状態な28歳女子のイタい恋愛の映画。
あの人のためなら自分はなんでもしてあげたい。でも、彼は自分のことなんて何とも思っちゃくれていない。
(自分はあまり思ったことないけども、その気持ち自体は理解できる。)
そして原作も読んだ上で、やっぱりこれも「恋愛映画」じゃなくて、「恋愛について」の映画だよなぁ、と。
↓Amazonの書評よりそのまま引用
「恋人」ではないし、「友達」でもない。ただ、あなたとずっと一緒にいられるのならば、それでいい。相手も同じことを思えれば、「恋人」になれるけど、必ずしもそうとは限らない。でも、私はあなたのためならなんでもできるのに。そういう関係や感情をなんと呼べばいいのでしょうね。
↓町山氏(自分の好きな評論家)の評論
「人を好きになるということは、実は自分を探すこと。何かを好きになることは自分を見つけることなのだ。」
どちらも「愛がなんだ」っていう意味合いを考える上ですごい合点がいく考察だなぁ、と。
この感情を必ずしも「恋人」という関係性に定義しなきゃいけないのか、でもどうやってもできない。できないならどこにもない新しいサンプルを自分がつくってしまえばいい。
だから、「愛がなんだ」と。
ちょっと視点を変えてみて、想いつづける対象が「あの人」じゃなかったらどうだろう。
たとえ才能がなくとも、何かに一途に打ち込む人のことをかっこわるいと思う人はいないよなぁ、と。
そういう意味では、好きなものをひたすらに追い続けていく人の物語であるように自分は感じました。
劇的な事件が起こるわけでもない、ミニマルな日常のお話だけども、あぁーその気持ちわかるわーってなると胸がいたい、そんな映画でした。(こういうのは最近の日本映画の流行りなのか?)
「しあわせになりたいっすね」
「うるせぇ、ばーか!」
以下、原作と映画のネタバレ含
原作には映画のラストシーン(象)の描写はなかったり、ナカハラが旅行にいってなかったり、葉子の描写が違ってたりしますが、原作を読み込んだ上での改変で、更によくなってるなぁと思いました。
映画のラストシーンには戦慄。
これがあるのとないのでは、重みが違う。
追記〉
たまたまTwitterのスペースで監督と直接話せた時に、原作にないラストシーンとっても良かったです。と伝えることができました。お話できたコーフンで詳細忘れてしまったけど、こういうのどう?っていうのを制作陣に提案して追加したとのことだったような。