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パッドマン 5億人の女性を救った男のYNのレビュー・感想・評価

3.7
とても考えさせられてしまった。
「啓蒙」の意味についてだ。傲慢な言い方をすれば「救済」とも言えるかもしれない。
知識や能力がある視界から見えているものと、無い視界から見えるものは違って、「見えていない」人たちが「今この瞬間不幸でない」のならば、「こちらにだけ見える不幸」の話をするのは無駄じゃないのか?など。

話が抽象的になりすぎた。

妻が大好きで、その妻が生理の時に不潔な布を使ってるのにショックを受けた主人公が使い捨てナプキンを試行錯誤して作る話、なのだが。
妻ガヤトリはその夫の行動を「奇行」と捉えて、「恥」と思い、やめてほしいと懇願する。
最初はわかる。なぜならそれが文化だから。
でもさ、主人公であるラクシュミも同じ文化で育ってるわけじゃん。
でも彼は、健康、ひいては命が「恥」よりも大事だ、というか、命を大事にすることは「恥」なんかじゃない、と自分で考えることができた。
そしてそれをちゃんと伝えようとした。何度も。
なぜガヤトリは、それでも夫を信じない?

ナプキン開発の途中で出会う都会のインテリ女性パリーは、彼の行いの価値にもすぐに気付くし、知識や思考力でそれをビジネスにまで昇華させる。
どう考えても、ラクシュミの本来的な性質は、パリーの属する世界の方が合っているはず。なぜならラクシュミは「思考することができる」、それはインテリのすることだ。

ガヤトリだけではなく、地元の人たちは一部のラクシュミの友人を除いて、ナプキン作りを頭ごなしにバッシングする。
見ていて絶望する。これが断絶だと。(わかりやすいのでこの言葉を使うが)インテリと非インテリの決して埋まらない溝だと。

創作ならラクシュミはパリーとくっつくのが妥当だが、実話を元にしているためそうはならないのが映画としては腑に落ちない。
一見するとハッピーエンドではあるが、ガヤトリも、地元の人たちも、何一つ変わっちゃいなくて、「ナプキン」という固有名詞が何が別の「恥」に変わり、やる人がラクシュミではない誰かに変わったら、絶対にまた同じことが起きる。

絶望だ。これをハッピーエンドと捉えることは到底できない。でもこれが「実話を元にした現実の仕組み」だ…。
映画を観に行ったのに現実に打ちのめされてしまいましたとさ。

ちなみに中盤のワクワクものづくりパートは大好きです。
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