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キャプテン・マーベルのYNのレビュー・感想・評価

キャプテン・マーベル(2019年製作の映画)
4.6
過不足なく全方位に配慮されている、それでいてシンプルに力強く「面白い!」と思える、まさに現代の映画だった!

舞台は90年代だが、ここで描かれるキャロル・ダンバース像は、昨今謳われる多様性を突き詰めていった先にある、普遍的だから現代的、そして理想的な姿だ。
つまり、「私は私である」ということ。
「スーパーヒーローだから」ではなく、「どこにでもいるような凡庸な私だけど」みたいな面倒なエクスキューズもつかない。
「私は私だ。だから私が思ったように振る舞う」
このごくごくシンプルなメッセージを力強く伝え切ったところに、この映画の高い価値がある。

ある意味でフェミニズム映画だし、ある意味ではそうではない。
確かにキャロルは、女性であるという理由で困難を受けてきた。それに対するカウンターという意味では、フェミニズム的だ。
一方で、そのカウンターというのが「ウーマンパワー」などでは決してなく、上述の「私は私である」ということなのだ。
つまりこれは、女性に限らず、周囲からの抑圧や困難を受け得る全ての人にとってのカウンターになりうる。
(本来的な意味での「フェミニズム」はこのようなものも含むが、その話は長くなるからやめよう)

端的に言えばキャロルは「女性だから強い」のではなく、「キャロル・ダンバースは強い」、ただそれだけなのだ。
映画の中で「ただそれだけ」が描かれることがどんなに難しいか!
なぜなら、強さはともすれば面白くないからだ。弱さや失敗が物語を展開させる。
不要なラブロマンスによって主人公に恋人という弱みを作り、展開を生むのは簡単だ。
だが本作はそれをしない。

他方、マイノリティに目を向けすぎて、やれLGBTだ人種問題だというような、昨今よく見る「弱者の味方ですよ!」をすることもない。
(そういったテーマを扱えるだけの懐の深さは感じたが、お披露目である本作でそちらに舵を切らなかったのも英断だろう)

ただただ、キャロルはキャロルで、そのことを知ったキャロルは、人間は、強いのだ。

「サスペリア」の"I know who I am"も思い出して、それを知った人間の強さに心が躍った。

しかし、正直「もうマーベルはいいかなー子供っぽいし…」と思っていたので、こんな良作が出てきて嬉しい。
キャロル見たさにエンドゲームも観に行こうと決めたのだった…。
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