YN

アベンジャーズ/エンドゲームのYNのネタバレレビュー・内容・結末

2.8

このレビューはネタバレを含みます

そんな期待(キャプテンマーベル評参照)の中、ついにエンドゲームが封切られ、キャロルの無双を見んとして劇場へ行ったわけだが…

これ、好きじゃないわ〜〜〜

前提としてMCUは全部追ってるわけじゃない。だからわたしはハナから「顧客じゃない」のかもしれない。
でもシリーズものでも単体で面白がれる骨太な作品はいくらでも作れるとも思うので、一映画作品としての感想を書く。

先によかったところを言っておくと、3時間ある作品だが、途中で飽きたり、眠くなったりしないくらいには、見所はたくさんあったし刺激的なシーンも多かった。
その意味で最低限担保した2.8点。
あとキャロルがショートヘアになってるのが最高だった。

良くなかったところ。

まず脚本が全体的に稚拙だ。
いや、開始30分くらい?は良かった。鬱映画ばりのホークアイのシーンからキャロルの登場、そして本当にキャロルがサノスにワンパンし、開始後すぐにサノスが死ぬ展開はかなりワクワクした。
敵はサノスだとミスリードして、全く違う物語が展開されるのだな!?と期待した。
だが、結局そのあと展開されたのは、前と同じ話だった。結局サノス倒す話じゃん。ガッッッックリきた。

しかももっと小さい単位でも「既に見た」ものを反復し続ける。
トニーが今は亡き父と再会するのと全く同じタイムラインでキャップにペギーを再会させる。
ソウルストーンの「愛する者を失う試練」を、既にガモーラでやったのにナターシャでもう一回やる(←これは特にセンスがなさすぎる。映画的には、誰も死ななくても石が手に入るロジックを考案してこの課題をクリアすべきところ)。
サノスと総力戦でぶつかるのもインフィニティウォーとまるで一緒じゃん。
何も新しくない。何も面白くない。

そしてSFの設定がグダグダ。
なぜ定説となっているタイムパラドックスを否定するのか?
それは、過去の改変をOKにしてしまったら、話がすぐに終わってしまうから。展開のためのこじつけでしかない。
タイムパラドックスは生じない、と言い切る理由、過去のSF作品での論理を覆せるようなロジックは出てこない。ただただ、過去を変えても意味がない!とだけ言う。そんなんあり?

こういう「展開のための設定」が多すぎる。
というか、展開と設定しかなかった。
この映画には物語がない。

そして何より、作品を貫くその「価値観」、これには正直、おぞましささえ覚えた。
"this is the great-white-masculine-America"とでも言わんばかりのものの見方が随所に出ている。
特に「うわぁ」となったのが以下の2箇所。

①スパイダーマンを助けに女性ヒーローが集結するシーン
シンプルに意味がわからない。なぜ女性だけが集まった?
あれだけの広さであれだけの人数で戦っていて、おそらくざっと見た感じ男性の方が多いのに、そこに「たまたま」女性のメインどころだけが集まる確率ってどんなもんかな?
つまりこれはストーリーには完全に無関係な演出、明確に「見せ場」として作られたシーンで、「女性」をまとめることで何かしらの効果が生じるという前提があるわけだ。
せっかく「キャプテンマーベル」で「私は私だ」をやったのに、そのキャロルを「女チーム」と安易にくくるその無神経、本当に気持ち悪いと思った。
あの戦いの場で、性別を分ける必要がどこにある?全く意味がわからない。
このシーンに限らず、本作ではキャロルの扱いが「女子」になっていて全体的にすごくもやもやした。(ナターシャはもともとオタサーの姫っぽさのある立ち位置だった印象だけど…)
こういう価値観だからキャプテンマーベルの魅力が全然活かせず、都合よく出てきて都合よく見せ場は既存メンバーに譲るというひどい使われ方をしていたのも、「キャプテンマーベル」が良かっただけに非常に不快だった。

②キャップが盾をサムに渡すところ
これは正直バックグラウンドがわからないのだが、なぜ自分の半身とまで思っている特別な相棒・バッキーに渡さずに、サムに渡すのか?(サムも相棒だろうけど、バッキーへのキャップの執着に比べたら、どうしても二番手の印象を受ける)
このシーンはどう見ても、「理想的な白人が黒人にアメリカを託す」シーンだ。
もちろんこれまでのMCU作品で、キャプテンはサムが継ぐべきという話があったのなら、この点は撤回する。
だがもし、わたしが感じたことをまんまやろうとしてるなら、あまりにも底の浅い、付け焼き刃の政治的メッセージだとは思わないか。
great white male的な優越感がびしゃびしゃに滲み出ている感じがして、ぞぞっとした。

もしかして、インフィニティウォーから続けて見ればここまで嫌悪感はなかったのかもしれないが、「キャプテンマーベル」で提示した価値観がとても優れていたため、その価値観はある程度引き継がれるだろうと思ってしまっていた。だからこの正反対の、保守的で排他的な価値観はとても受け入れられないと思った。

今後は「キャプテンマーベル」の監督に頑張ってもらって、次のフェーズではもっと豊かで多様な価値観が当たり前にある、そんな映画世界を構築してほしいなぁと思う。
YN

YN