daisukeooka

アバター:ウェイ・オブ・ウォーターのdaisukeookaのレビュー・感想・評価

4.5
またあの体験が出来る…今度はもっと精細な映像で!と期待してたら本当に、映像も音響も「あの時」を超えていた。特に夜間やメタリックなモノが出てくるときの映像は精細度が増して「そこにある」ように見える。クリア過ぎるのだ。この目で見ている現実と「映画」という媒体の映像、その二つとはまた別の次元にある映像を観ていると言って良い。

物語そのものは前作と変わらない。「スカイ・ピープル」がやってきて、彼らを追い返すために戦う。そこに「家族」「子どもたち」というファクターが強く絡んでくるが、大筋は変わらない。だからこそ、前作にもあった「隠されたテーマ」は余計に際立ってくる。前回のそれは「自己矛盾」。パンドラ側の視点で物語を描いているようで、このハリウッド映画はパンドラに襲いかかる企業軍と同様の物量と機械技術で押しまくり、周辺諸国特有の「映画文化」を抑え込んでいるのだ。

物語を駆動する大きな要素の中に「記憶」がある。前作のラスト、ジェイク・サリーは肉体の死を迎えたが、その記憶をエイワを通じてアバターの身体に移し替えてもらって生き延びた。今回は、パンドラの住民たちだけでなく、スカイ・ピープル側も同じような手を使ってやってくる。

死んでもその先に記憶や知性を…ひょっとしたら「自我」を受け継いでゆける。そんな未来が来るかもしれない。「アバター」というタイトルが象徴している。日本製のCGゲームでは、有名俳優そっくりなCGキャラクターで注目を集めたりしているが、それどころではなく「本人そのものにしか見えない」映像と声を作れる時代はもうすぐそこなんだろう。

その先にあるのは「大事な人が亡くなっても、その姿と声をそのままに引き継いでゆける」世界なのかもしれない。相手の一番美しかった時代の姿と声を再現し、記憶と知性を引き継いだアバターを作れる。例えそれがタブレットの向こう側にいたとしても、話せば相手は、亡くなる前の記憶と知性ではなく「その時の記憶と知性」で応え続けてくれるのだ。

そうなったとき、一体どっちが本当の自分で本当の相手になる? 悔いと嘆きに満ちて老いていく自分と、いつまでも若く美しく意気上がるアバターの自分。老いと病で記憶と人格が薄れていく相手と、若いまま自分のことを最も強く愛してくれている相手のアバター。本当の自分が生きる意味なんて簡単に揺らぐ世界がやってくる。それこそ、この映画の中にはどれだけ石油燃料で破壊が繰り返されても決して汚れることのない自然に満ちた世界が美しく壮大に広がっている。本当の世界は汚れ、本当の自分は老いていく。そんな中でアバターに載って生きられるなら、本当の世界の意味って何なんだ。それがこの映画が抱えているもう一つのテーマだと思う。

そこを超えるのが「家族」なんだろう。描かれているのは王道の家族物語だ。この物理的な身体を伴った命をつないでいくことが最大の美徳。だからジェイクたちはエイワを頼るがエイワに依存しない。超高精細なバーチャル映像で「この身体が一番大事」と訴えるんだからサイコーな「自己矛盾」だ。

前回、ジェイクは戦闘負傷で下半身不随になっていた。けれどアバターに載り再び肉体の自由を得た。もし次作でジェイクが負傷してまた下半身不随になったらどうなるだろう。その時にジェイクは「例え意識を別の身体に移すチャンスが来ても」自分の今の身体を選ぶだろうか。家族を得た「本当の自分」の身体を。
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