daisukeooka

怪物のdaisukeookaのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

脚本賞を獲得した映画だけど、良い意味で「物語」があるように見えない。映画の中で「彼ら・彼女ら」はそこにいるままに生活して、動いている。それが結果として物語になっている。そんな感じがする。

湊と依里が帰り道で一緒に歩き始める場面は「天才だ…」と感嘆した。あんな風に人は仲良くなるだろうか。あんな風に誰かと仲良くなりたい。そうそう、あんな風に人は仲良くなるよ。誰もがそんな風に共感できる光景。あのシーンだけであの二人が愛しくなる。スニーカーの謎があそこで解ける。観る側に序盤の不安を抱かせたまま一気に「世界」に引っ張り込む。すごい。

人間関係ネタで物語を作るのって難しい。事件とか犯罪とかアクションとか料理とか世界そのものとか怪獣とか、なんか際だった姿を伴うネタがあれば物語のとっかかり程度は思いつく。けれど、生活の中でじわりじわりと人間同士が動いていく「だけ」の物語をここまでの強度で描ききるのは、とてつもない観察力と醸成力が要る。自分はどれだけ人間を観察してきたかな、人のことを想像してきたかな、と自省して、至らなさに悔しくなる。

親も教師も大人も子どもも、みんな怪物だ。そして彼ら彼女らがめぐる世の中そのものが怪物だ。怪物は自分たちの弱さや醜さを餌にして肥え太る。その様が美しく描かれる、だからこそ目が離せない。映画と世界が矛盾をはらんで共鳴している。

湊と依里が二人でいる情景は、素朴で暖かくて美しい、けれど不安定で壊れやすい。あの秘密基地はおれが子どもの頃に作っていた基地に比べて何倍も綺麗でかわいくて素敵だ。その世界はなぜそれほどまでに素敵になった? それは二人を囲んでいる現実があまりに無情だからではないだろうか。

若手教師は生徒たちの誰一人をもおそろかにしていなかった、なのに子どもたちは「あっちが有利だ」と思った瞬間に一斉に身を翻す。その残酷さ。当事者にとっては悔しくて意味不明で執拗なイジメ。その変わらなさ。ベテラン教師たちの後ろ向きな団結も、母親の教師たちへの怒りも怪物だったけど、子どもたちのこの動き方がやっぱり一番怪物だわと思った。誰もがこの時期のこの感じを多かれ少なかれ経験して成長していくはずなのに、こういうのは無くならない。そしてあの二人も例外ではなく、内に怪物を飼っている。

確かに自分が子供の頃に備えていた、生あるものに対しての好奇心とか、それを弄んだりするときの危うい愉しさとか。それが親や同級生たちから見て「変なやつ」に見えるきっかけだったりする。誰だってそんなものを自分に内在させているはずなのに、隠せる奴は巧みに隠して、自分の近くにいる「変なやつ」をまるで生贄のように差し出す。自分の子なのに「変なやつ」だと矯正しようとする。世の中の空気という怪物に食われないために立ち回る、細かい怪物たちがいる。

その描き方が引き気味の視点だけど効いている。垣間見させるだけで、見る側の恐怖や嫌悪感を増幅できている。それはその一方で、少年たち二人の魅力を、言葉と動作と表情で十二分に引き出せているからだ。あの素朴で純粋で唯一な感性、それをシェアできる貴重な友人、貴重な時間は「そこにしかない」。見る側の記憶や実感は揺さぶられ、彼ら二人の弱さや儚さが相まって、終盤まで「何かが壊れるんじゃないか」というスリルが途切れない。

そして、この映画は本当に「最後まで」行っている。
どんなにモラルやイデオロギーを積んでも逃げられない怪物から、運命や偶然の力をも使いながら逃げている。最後のワンカットまで、その画を、目をそらさずに「見れば」わかる。

また凄い「映画の仕事」を観ることができた。
風穴を開けられたような気がする。
daisukeooka

daisukeooka