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最後まで行くのdaisukeookaのネタバレレビュー・内容・結末

最後まで行く(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

岡田准一がダメな悪徳刑事、綾野剛がそれを追い詰める冷徹な監察官、となれば「行く!」となる。あとは事前情報をできるだけ見聞きせずに劇場に行くだけだ。
とにかく工藤を演じる岡田准一の顔芸がスゴイ。身体能力だけでなくて顔の筋肉もスゴイ。「木更津キャッツアイ」でうっちーに「ウチ来る?」と誘われたときのぶっさんの顔を思い出した。この造形はズルい。矢崎を演じる綾野剛の冷たさとかヒクヒクとか白目無くなりそうな細目とかもスゴイ。つまりこの二人は造形的に代替できない。造形が心情や動機を伝えてくる。この役柄を取り替えても上手くいかない。「替えが効かない」ってのはスゴいことだ。

映像だって、無駄が無くてスタイリッシュで、光と影を奥深く利用して味方につけている。音声や音響も、こういう映画だと多少の噛みや早口は勢いで押し切ってしまいそうなところを、丁寧に返して「聞ける」「分かる」台詞や音にしている。画や音が、カッコつけるためでなく物語を的確に伝えるために研がれていることがよく分かる。

だからこそ、ダメなところが際立つ。これは観る側にも個人差があると思うけど、おれ的には「ユルい!」と思ってしまった。せっかく集めた役者も画も音も一気に効かなくなってしまう。それが以下だ。








ネタバレだからね!映画を観た後で読んでね!
















①矢崎が工藤の同僚・久我山(駿河太郎)をクルマごと潰す。それは工藤の母親の葬儀の後で、警察の同僚や上司たちも一緒になって式を終えた後の話だ。ここから久我山のことはずっとほったらかしで、工藤と矢崎が大晦日の夜に殺し合っている間、警察の面々の平和な年越しが点描される。ホッコリしてる場合じゃないだろう?なぜ誰も久我山のことに気づかないんだ?
②矢崎が逆ギレして義父である県警本部長(千葉哲也)を流血昏倒までタコ殴りにする。するのはいいんだが、これもバレたらどうするんだ?年の瀬とはいえ県警本部長と連絡が取れないとなれば周囲が異変に気付いて動き出すんじゃないか?
そして①では久我山が②では義父が「それでも生きているのかやっぱり死んでいるのか」が分からないまま放置されている。「生死のセン」を曖昧にするのはやっちゃダメだ。
③矢崎が狂う動機は主に上記②だろう。キレて義父を(半)殺し、状況から抜け出すために大金をせしめようと、鍵となる尾田(磯村勇斗)の死体を追い、鉢合わせした工藤と殺し合う。落ち着いて見返せばそうとも見えるんだけど、どうもそう見えない。単なる怒りや恨みや衝動で、爆破から生き延びて工藤に復讐するために追っているようにしか見えないのだ。

この①②③が気になってしまって、映画の終盤まで気が入らなかった。そして結局仙葉(柄本明)の掌の上で全員がグルグル走り回るしかないってことで「最後まで行く」つもりが最後まで行けてない。

ダメな男と狂った男が希望を失いながら終わりなく絡み合っていく……となればナルシスティックな雰囲気があまりに先に立っていて、観ている側に共感の余地はない。それでも良いのかもしれないけど、それならそれで、矢崎が立場や金よりも「もーいーや工藤ぶっ殺す」と振り切れる瞬間を描いておいてほしかった。

例えば【矢崎が爆破から生き延びて尾田の死体を確認したがそこから指を奪われていたと知る】で【工藤ふざけんじゃねえ】となるなら矢崎の動作はつながる。例えば、工藤が生き延びて家族に電話などしている様を垣間見させれば【おれは孤独なのにお前は家族か】と、矢崎の嫉妬や恨みを倍加させられる。この例が正解かどうかは分からないが、そんな段取りを採らずに殺し合いになだれ込み、殺しても殺しても蘇ってくるような描写を採っているので、リアリティが薄れていって何でもアリのファンタジーに移っていって、スリルは減殺されて、観る側としては気持ちが離れていってしまう。「あー、やってて」となってしまう。

そう、俳優たちの文字通り身を削るような演技や格闘も、スタッフたちの妥協なしに詰め切った画や音も「物語」でなく「雰囲気」を作るために消費されていてもったいない、そう感じてしまったのだ。そしてやっぱり工藤か矢崎のどちらかには「砂漠を抜けて」欲しかった。そうでないとスッキリして劇場を出てこれない。「物語」は「終わらなければならない」のだ。

むちゃくちゃカッコ良い映画なのにもったいなすぎる。これは正解・不正解なのか、それとも単なる好き嫌いの問題なのか。映画から伝わってくる「能力」の圧が半端ないので、自分自身から映画への嫉妬も織り込み済みで、どうにもこだわってしまうのだ。
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