メモ魔

ニュー・シネマ・パラダイスのメモ魔のレビュー・感想・評価

3.3
人の一生を描く物語の後半ってどの映画でも哀愁があって良い。
その哀愁をキャラクターと一緒に感情移入しながら味わうことができる。
この映画も、主人公トト=サルヴァトーレが30年ぶりに故郷へ帰り、活気を失った風景に過去を重ねるシーンは哀愁があった。心の中ではいつも側で自分を支えてくれる物が、現実にはもう存在しないって乖離が哀愁になってるんだろうな。

さて、[至高の名作]と謳われるこの作品は1991年に上映された。
つまりこの時期この映画を見る人は1960年あたりを生きた人になる。
その人たちにとっては、序盤に描かれた映画劇場の発展が懐かしくてたまらなかっただろうな。
そういった時代に即した部分は悲しいかな現代に生きる自分は堪能することができなかった。フィルムを手で回す時代なんて知らないもの。フラッシュをマグネシウムで炊く時代だもんな〜。
その分映画の発展を起源から荒廃まで知ることができて良い学びにはなった。
1991年では映画がテレビとラジオに負けて廃れていくって見立てがあったみたいだね。実際は今も映像作品の最前線で活躍してくれています。

あと昔の映画の見方にも驚いた。
立ち見が当たり前でたばこもすぱすぱ笑
劇場ポルノシーンは神父さんが規制をかけてたことまであったのね。
この規制が解けた直後の劇場でポルノシーンに入るとマスターベーションやっちゃう青年とか行為に及んじゃうカップルとかいてカオスだった笑
そーゆー時代もあったんだね〜。

さて内容についてだが、トトの可能性に蓋をしてしまうことを恐れたアルフレードの決意が強く心に残った。
最愛の友人トトの可能性を信じるからこそ、自分の近くには置いておけない。愛すればこそ旅立たせるべきなんだって意思を人生を通して貫き通した男をこの映画に見た。
その感情が1番強く現れているのはやはりこのセリフか。
[自分が死んだ後も、トトには知らせないでほしい。]
大切な人に忘れられる恐怖はリメンバーミーで強く学んだ。そんな恐怖よりも、トトが自分の成功に向けて前だけを向けるようにしたアルフレードの狂気とも言える優しさがこのシーンから読み取れる。

そんなアルフレードが最後まで大切にしていたフィルムの中身が、当時神父に規制されたキスシーンの繋ぎ合わせってのも感動。
アルフレードとトトの関係が始まった際使われたこのフィルムが、アルフレードにとって最も大切なもので、同時に最も隠さなければならないものだったんだな。

あと気になったシーンは、アルフレッドがトトに嘘をついてエレナが約束の場所に来たことを黙ってたことか。
いつかはバレて最愛の友人であるトトから恨みを買うと分かっていながら、友人の可能性を潰してはならないと断固とした態度でエレナを追い払ったシーンは印象的だった。
個人的には勝手に人の人生を嘘で捻じ曲げて、自分も辛いけどお前のためなんだと後方腕組みおじさんしてるアルフレッドは正直嫌いだが、、。

この映画しかり、2000年より前の古い映画によくある
何かを犠牲にしないと得られないものがあるんだって固定概念があまり好きではない。
年長者が年少者に向けてその概念を植え付けることそれこそが年少者の可能性を狭めているんじゃないのか。
身勝手親父に左右される子供の気持ちにもなって欲しいものだ。例えそれが愛情からくるものだとしてもただの迷惑でしかない。
この話も、トトとエレナが結ばれ、トトの映画事業も上手くいく未来があったかもしれないのに、、
その可能性を真っ先に(しかも勝手に)へし折って村の外に放り投げたアルフレッドは個人的にあまり好印象ではない。

総評
不朽の名作たる所以はどこにあったのか。最近思うが、その映画が作られた当時のバックボーンを身をもって知っている人でないとその映画は本当の意味で楽しむことができないのではないかと強く思う。
この映画も、この時代に生きた人だからこそ理解できる点が何点もあるのだろう。
・戦争から帰ってこない父
・兵役で裂かれる恋路
・理不尽な別れ。
・お互いが会いたいと願ってもそれが叶わない世間
これを身をもって感じてこなかった自分は、全てにおいて感情移入がしずらいんだよな。
アルフレッドがなぜ、あそこまでしてトトの可能性を世に送り出さないといけないと感じたのか。その必然性が自分には全く理解できなかった。
みんなで楽しく暮らせば良いじゃないか。
自分からきつい方向へ舵を何故切る。

3.3点
メモ魔

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