メモ魔

メリー・ポピンズのメモ魔のレビュー・感想・評価

メリー・ポピンズ(1964年製作の映画)
3.6
親が子供にこうあって欲しいと願うのは、その子の将来を思ってだ。最愛の子に嫌われようとも、子を想い、厳しいしつけを行う。
忘れてはいけないのは、厳しいしつけの裏には愛情が隠れているということ。
しかし忘れてならないのは、教育のあるべき姿とは、親が子に与えることのみに縛られず、子から親に与える道を残してあげることだ。
子供は1番身近な存在である両親に必要とされることで、初めて自分の存在意義を確立できる。
そんな教育の形のきっかけをこの家族に与えてくれた。それがメリーポピンズだと自分は思った。

以下各シーンで感じた事。

・どんな辛い仕事にだって楽しいところがある。
子供に片付けさせる時にメリーポピンズが言ったセリフ。
サラっと言ってたけど自分には色々と考えさせられる言葉だった。
物事時代に辛い感情や楽しい感情が絶対値で付随してる訳じゃない。それをやる時に、やってる人が辛いと思うか楽しいと思うかだ。
つまりは、物事に対する感情は自分の気持ちの持ちようでいくらでも変えられる。
メリーポピンズはお片付けへの感情を辛いから楽しいに変化させるきっかけを与えてくれた。

・絵の中に入るシーン
アニメーションとリアルの合わせ技術は1964年の時代からあったんだな。
いや重ねるだけならずっと前からあるのか。
2020年代のアニメーションは、技術革新によりどんどんリアルに質感が近づいている。
故にキャラクターが物理から反した動きをするとどうしても違和感を感じてしまう。
一方でこの時代のアニメーションは、完全な想像上の生物。って固定観念があるからか、初期ミッキーのような跳ねて伸びてを繰り返す動きをキャラクターがしていても違和感がない。
隣でリアルな人間がそんなキャラクターと踊っていても違和感がないんだから驚き。
最近のアニメーション技術は画質の向上により質感がリアルに寄りすぎてしまったため想像の余地が少なくなったように思う。もちろん制作者側の伝えたい意図が高分解能で伝えられるという点で1960年代よりも優れてはいるが、1960年代のアニメーションにも同様に、今の時代にはない魅力があったんだと思わされた。
やはり映画は時代ごとの魅力がある。

・メリーゴーランドが別の場所に連れてってくれるシーン
子供の夢じゃあないか。この歳になっても心躍るものがある。
メリーゴーランドの馬を動かすための棒が地面をえぐる演出が何故か好き。

・競馬がディズニー映画に出てくるとは。
今じゃ考えられない。競馬がディズニー映画に出てくるとは、、、
1960年代の文化では、競馬はカジノや賭け事のイメージじゃなくて、民衆の娯楽として子供の遊び場になるような、そんな位置付けだったんだな。


・時報はどういう意味があるんだろうか。
この時報。劇中で決まった時間に鳴るんだが、意味するところが分からなかった。
単純にストーリーに区切りをつけたりハリを持たせる為に使ってる技法なのかも知れないが、だとしたら人を付けてわざわざ大砲にする理由が分からない。
この時報によってかなり大きい地揺れが起きるんだが。これもなんの必要性があったのかがわからない。
戦時中の空襲とか、そんな背景をポップに演出していたのか。
んー、ここは難しかった。
主人公のお父さんが時報を鳴らすおじさんを完全無視なのも気になった。見えてる?

・笑うおじさんが宙に浮いていくシーン
このシーン結構怖かった。
メリーポピンズが心配して尋ねたおじさんが笑い上戸になって宙に浮いていたシーン。
イかれ具合が尋常じゃなくて、自分も一緒に笑っちゃうというより近づかない方がいいような、、そんな臭いを感じた。
麻薬を彷彿とさせる。メリーポピンズが来てからメリーポピンズの周りの人間が幻覚じみたものを見始め、次第に笑顔になっていくんだが、、、
背景にあるのは麻薬とかそういった題材ではないよね?怖いなんか、、
この夢のような空間はヤクで成り立ってるのかって本気で思ってしまった。

・親が子供に利息の素晴らしさを説明するシーン
子どもの興味関心と大人の興味関心には乖離があるようだ。大人側はこの乖離を埋めてから自分の意見を述べなければいけない。物事時代には楽しいも苦しいも感情は付随していない。人によってその物事へ向ける感情は異なるのだから。

・世の中には沢山の檻がある
このシーンは少し考えさせられた。
子供達がお父さんから逃げて帰ってきたシーン。
世の中には沢山の檻がある。冷たいお金とその檻の中で君たちのため必死に働いているんだ。
君たちは辛い時、お母さんやメリーポピンズが助けてくれるね。でも、お父さんを助けてくれる人は?家でも弱音なんて吐けない。
お父さんは自分で自分を守るしかないんだ。働くしかできないんだ。
じゃあ、誰が助けてあげられるかな?
このシーンから、子供達は父も万能ではなく1人の弱い人間だということを知る。父の為にしてあげられる事が自分たちにもあるんだと、自分の存在意義を確立するようになる。
いい言葉だなと思った。

[総評]
最後のシーン、メリーポピンズがお別れも言わず去っていってしまうのだが。
メリーポピンズは愛情について作中で1番理解しているが故、お別れが必要無いものだと悟ったのかもしれない。
子供のあるべき場所は親の元であり、自分はそこに新しい風を吹かせる為の窓なのだと。
自分が子供に向けるこの感情は長い目で見て子供のためにならず。
乳母として活動してきたメリーポピンズが導き出した答えなんだと思う。
だからメリーポピンズは終始、必要以上に子供と仲良くなろうとしなかったんだな。
本当に優しい人はその優しさから対人関係に線を引く。
踏み入れるべきでないラインを知っているからだ。
3.6点
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