Miller

マイ・ブロークン・マリコのMillerのネタバレレビュー・内容・結末

マイ・ブロークン・マリコ(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

親友のマリコを失ったシイノ。
シイノは、マリコを虐待していた父親からマリコの遺骨を奪い取り、親友と約束をしていた海へ向かう。

ブラック企業で働くシイノは、定食屋のテレビから流れるニュースで、イカガワマリコという女性が自宅から飛び降り亡くなったことを知る。
幼なじみの親友の名前。
シイノは、マリコにメッセージを送るが既読にはならない。
マリコの住んでいたアパートに向かうと、アパートの管理会社が部屋の撤去作業をしている。
シイノは、マリコが既に火葬された事を知らされる。
マリコはもうこの世にいない。

同級生の二人は、互いの生育環境を知っていた。
マリコは幼いころから実の父親から暴力を受け、成長すると父親から性的暴行を受けていた。
幼いころからマリコと一緒にいたシイノは、マリコが自分の苦しみや辛さを声に出せないときに、マリコの代わりに、マリコのために怒り戦ってきた。
死んでしまったマリコのために何ができるのだろうか?
シイノはマリコの死を知り、マリコの父親からマリコを取り戻さなければならないと考え、マリコの実家へ向かう。

シイノがマリコの家に行くと、そこにはマリコの父親とマリコの継母がいた。
マリコの遺影と遺骨を前にして茫然自失しているかのようなマリコの父親の姿。
シイノは、マリコをめちゃくちゃにしたお前がマリコを弔うなと、マリコの父親に怒りをぶつけ、マリコの遺骨を抱えベランダから飛び降りる。

マリコを取り戻したシイノは、マリコとまりが浜という名の海の話をしていたことを思い出し、マリコの遺骨とともにまりが浜に向かう。

マリコの遺骨との旅路は、シイノがマリコとともに生きた日々の記憶をたどる旅路になる。
シイノが思い出すのは、マリコが父親から虐待を受け、その後はマリコの彼氏から暴力を受けマリコが少しずつ変容していった記憶と、その時々にあったマリコとの他愛ない会話。
そして、シイノの中でマリコの死は、マリコとの記憶自体を変容させるものだと気づいていく。

「面倒くさいあの子の記憶がなくなっていく」
シイノはマリコとの日々が遠ざかっていくことに耐えられない。
二人が生きてきた日々が風化していく。
失われてしまったマリコが、自分の中からも消えて行ってしまう。


「なぜ一緒に死んでくれと言ってくれなかった。」
シイノのマリコとの遺骨との旅路には、目的も明確な終わりも存在しない。
マリコとの遺骨と旅をする中で、シイノはマリコの姿が重なる少女を見つけ、その少女を助けること自体が、図らずもマリコの遺骨を手放し、シイノはまりが浜の岬から飛び降りることになる。



シイノの2回の飛び降りは、マリコを取り戻し手放すこと。
マリコとシイノはそれぞれ飛び降り、マリコは死に、シイノは生き残った。
シイノが飛び降りた時の、足のけがも治った。
シイノの日常は元に戻り、マリコがいなくなる前の世界と何も変わらないように続いていく。
マリコがいなくなったことを、自分に突きつけてくる思いも薄れていく。


大切な人との別れは、どんな人にとっても突然になり耐えがたい。
自死となれば尚更そうだ。
二人きりで完結していると思い込んでいた世界が、連帯関係が、突然なくなり、その相手とその関係自体にも解決のしようのない疑問が生まれる。
生き残った者は、自死した死者に対し疑問を持ち続ける。
「なぜなのか」
死者に対する疑問は、「なぜ自分は」と自分への問いになり、そして自分に対する枷になり、自縄自縛の状態は続く。
ある出来事が、大切な誰かを弔う代償行為となることはあるのだろうか。
弔いを続けた結果、何かを手放した時、不確かなまま、あとからその時があったと感じるのかもしれない。



シイノのもとに、マリコの継母から、シイノ宛のマリコからの手紙が届く。
マリコの手紙を読むシイノの姿が映され、シイノとマリコの二人きりの時間が流れる中で映画は終わる。

現実では死者からの届いてほしい言葉は届かない。
死者は生きている人々に歪曲され、正しく届くべき言葉は手に入らない。
物語の途中で、登場人物の一人の発する
「もういない人と会うには、自分が生きているしかないんじゃないでしょうか。
あなたの思い出の中の大事な人と、あなた自身を大事にしてください」
という言葉の優しさは現実には、発せられないかもしれないし、死者からの手紙は届かないかもしれない。
二人きりの世界、二人きりの時間が映画の最後に流れる中、こんなに優しい時間が流れてもいいのだろうかと感じつつも、その終わりの温もりに不思議と心が癒される。
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