メガコータス

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲のメガコータスのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

ひろしたち大人は"20世紀のにおい"に中ってしまうのだけど、ひろしたちをそうさせたのは20世紀のノスタルジーというよりは、モラトリアムの心地良さなんだろう。

ひろしは20世紀博に通いながら徐々に家族や仕事を捨て幼児退行する。モラトリアムの心地良さと現実を生きてゆくことを天秤にかけその心地良さに敗北する。ひろしは晴れてモラトリアムを再び獲得するのであったが、その代償として家族を失った。
そして作中、ひろしはしんのすけによって再び同じ選択を迫られる。この時、ひろしの覚醒に"ひろしの靴のにおい"が使われていたのが良かった。"ひろしの靴のにおい"は野原一家にとって"家族(現実)"の象徴として常にあって、それは"20世紀のにおい"よりモーレツなにおいだった。
そしてその過程でかなり尺をとったモンタージュが流れるのだけど、このモンタージュもめちゃくちゃ良かった。それはひろしが人生で獲得してきた現実であり、同時に彼にとって紛れもない幸福でもあった。そしてひろしは目を覚ます。気がつけば安っぽい万博のセットの中で子供のようにうずくまるひろしに、「おらが分かる?」と問いかけるしんのすけ。この台詞、ひろしにモラトリアムとの決別を迫るかなり酷な台詞で印象的だった。

あと、最後のシーン。
野原一家に夕陽町を奪われたケンとチャコがビルから飛び降りる直前、「ずるいぞ」としんのすけが一喝。意訳としては、「もう二度と手に入らないモラトリアムの、喪失と羨望を抱いたまま、現実を生き続けるしかない」という喝だったのだろうけど、これを「ずるいぞ」の一言に集約できるしんのすけのセンスに脱帽。

以下雑感。
・"20世紀のにおい"に中たってしまう人とそうでない人ってどう選別されるのだろう。スケバンたちも中てられてたけど、スケバンたちって大人なの?
・チャコかわいすぎ