小径

ボーはおそれているの小径のレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
-
アングザエティ・コメディ~不安の喜劇~
絶望してるのに、その反復を身体が期待している。
スケールもディテールも抜け目無くみっと無力感で敷き詰められてる。
気づかない内に、結末を知っていたのかもしれないと思う程に徹底されたメタファーに満たされている。

終始、テーマとして理性に対する肉体の上位性を訴えられる。そしてまさにその状態を上映を通して感じている。

細部の持つ力が様々な形で再現される。ストーリー全体を通して、そして観客とスクリーン、もしくはそれ以上のスケールで細部が再現される。そして細部こそがその全てを語る。そういう意味で一つ前にみた「perfect days」と近しい力を感じたけれど、その力の方向性が徹底的に陰湿。

まずい方で完成され過ぎている。
あまりに拠り所が無い。
徹底的に無い。

前向きな物語でここまでの徹底は出来ない。
希望は常に暗さの予感を纏うけれど、
暗さは希望無くとも暗さだけで成立してしまう。そして狭い密室のように、暗さは際限無く広がる。

''宿命は自由意志を含むけれど、自由意志は宿命を含まない。''

前向きな物語は暗い要素引っ張らなくてはいけないけれど、暗い物語は暗さそれだけを徹底的に暗く描くことができる。

序盤、どこかで現実世界に戻るかな?と思い待っても、いつまで経っても夢の中の世界のようで妙にリアリスティックでグロテスクな世界のまま。クロールしててその度に息継ぎを毎回我慢させられてるみたい息苦しさ。


それからはどんな良さげな、心地よい兆候があっても、そういう地点に回帰するだろうなってバイアスが身体に染みついて、苦しいというより、もはやその反復が心地良くなっていく。絶望があらゆる方法をもって再現される。絶望のミニマルミュージック。
潜在的にこの物語に漂う宿命を、雪だるま形式で感じて、蓄積して、ますます心地良さが増していく。やばい。

こういうマインドを感じる映画があることにびっくり。力がすごい。カオスに留まらない、圧倒的に物語を支配する''何か''の気配に強烈に惹き付けられる。夢中になる。



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
消化作業ネタバレ含

話を逆から進めてみる。

それぞれの段階で出てくる女を、
母と仮定する。

邸宅を母の核心とした精神世界の地図。
その核心向かうまでの道程がボーの旅の時系列。

新しい記憶は外側に、古い記憶は内側になっていく。
つまり母の人生の時系列は物語の時系列と逆にして辿る必要がある。




ボー視点の時系列

①電話越しの母 70くらい
②ドクターの妻50くらい
(❹ドクターの娘※と同じ10くらいの歳)
③妊婦の女 20くらい
④昔好きだった女の子※ 10くらい(ボーの母は記憶の中で彼女がどういう娘か知ったような口ぶり)

﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋﹋

以下母の時系列順(逆)


④10歳(母の邸宅)

完全な損なわれていない少女

●トラウマ
屋根裏のトラウマ(怪物)。
何かしらの性的トラウマの発端がこの時期(領域)に存在した。

●大男の正体
=反トラウマ
彼女をトラウマから守るための反応
彼もまた彼女の一部であり、彼女の男性部分が引き受けている(損なわれた女性部分の示唆)

●トラウマが引き裂かれた二人
記憶の中で、当時の二人は舟(海の上)にて引き裂かれる☆。それはボーと母が引き裂かれることであり、母の中に潜む女性として部分を隠し(され)、損なうことでもある。また海は羊水を連想させることからも、母という存在、血の繋がりがトラウマの背景に流れていることが想像される。海の広さ、深さ、不安定さは抗えないものである。

●実体は無い
かつて愛した少女は回想の中で出てくるだけでら記憶過ぎない。また実体かと思われたかつて愛した女は蝋になってしまう。彼女らには実体が無く、彼女たちが失われてしまう結末が暗示されている。

③20歳(森)

結婚 ひと時の安息
ひと時の安らかな希望の暗示
トラウマから逃れようとする。

●劇のメッセージ、女神
劇の中で家族は海にのまれ☆離れ離れになる。劇は現実まで拡大され、父と息子は再開する。
この劇の語り手であった女神はその様子を見つめる。彼女は自分の物語を劇の語りのの形を借り、明らかな暗示を提示し、
(母と女神の明らかな繋がり。ボーの持つ女神像と母の繋がり。「鑑賞者と演者の壁は取り払われる」)自分の存在を語る。しかし母親を見つけることは出来なかったと彼らは話し合う。

彼女のメッセージが''無視''されることで、自分のトラウマへの反応が引き起こさる。
番犬→大男(反トラウマ)となりコミューンを襲う。

反トラウマによる過度な破壊から逃れられない。(②の戦死に繋がる。大男の抱える戦後のトラウマ。)


●結婚記念日に死んだ夫
そこに居た穏やかそうな夫は大男によって死んでしまう。"結婚記念日"をもって母の夫は豹変する。かつて穏やかな夫は死んでしまった。死因は彼女の反トラウマ(大男)によるものだ。トラウマを払拭することは出来なかった。



②50歳 (ドクター一家の邸宅)

冷酷な虐待
自分を蝕んだものに自分がなっている

●ドクター一家のメタファー
ドクター/豹変後の夫
ドクターの娘/''④で損なわれた彼女の損なわれた部分''(彼女が損なわれた年齢と同じくらいの年頃)
(ドクターの妻は日々娘を''無視''する一方で彼女が傷つけられ、激怒するのはそれが彼女自身であるから。)
息子/かつての夫(反トラウマに殺され戦死)

●ドクターの娘
(=当時の母)を損なったトラウマとは?

→愛されない娘、愛される息子(兄への嫌悪)/''広義における性的虐待による無視''によるもの。
''無視''とは彼女自身が無視されることでもあり、彼女の本心が''無視''されることでもある。
④のかつて好きだった子の健全さに対して、ドクターの娘はたばこ(自傷行為を連想させる)を吸うなど荒んでいる。そのとこからトラウマ、戦争を通じて如何に彼女が損なわれたかがわかる。


●母自身がトラウマになりつつある
ドクターの妻は娘(当時の母の損なわれた部分)を無視しつづける。
かつて自分を損なったトラウマに自分自身がなっている。

●ボーが監視された映像を見せる意味
ドクターの妻は、この時系列においては彼の罪・見過ごしたものをボーに認識させようとしたのではないか。

●タバコを吸わせる意味
娘もまた、かつての私を思い出すことで、彼女が私であることを思い出させようとしている。タバコを吸わさせられ、昔愛した女の子を突如として思い出す。しかしそこからボーは少女にかつての面影を見ることはない。

→→
●養子のテストに不合格
二人の暗示も虚しく、ボーは彼女たちの正体に気づくことはできない。
テストに不合格はそれは彼が母の失われた部分を補えないこと。親子、あるべき関係にはなれないことの予言。

●娘は死ぬ
=かつてのトラウマによって損なわれた自分を完全に失うこと。この瞬間に彼女の女性部分は完全に失われる。「彼女はクビだ」

●精神病の大男
彼自身も戦争(=反トラウマの衝動)を通して損なわれつつある。

●告げ口
ドクターの娘が大男(反トラウマ)に何か告げ口する。この時系列でいうと、反トラウマは③より落ち着いてる。ただ凝視しているだけ。それはこの損なわれた私が大男をなだめ、助言していたからなのかなと。
反トラウマと損なわれた部分は一体である。

① - (荒れ果てた街)

●実体は無い
この領域で母の姿は電話越しのみで視認されない。あくまで実体のない、完全に失われた母を意味する。情景には救いよう無いほど荒んだ下品な人々や落書きがある。それは彼女の性の認識。そして落下、毒蜘蛛、死体。街は死のイメージに溢れている。

●父の命日に帰れないことの意味
結婚記念日であり、かつての穏やかな父に、母が結婚の日に感じた、「トラウマから逃れられるかも」という微かな希望を彼には引き継げないということである。それは母を絶望させる。

●タトゥーの男は誰
それは彼女自身。
タトゥー男は執拗にボーのことを追いかけ、アパートに入ろうとする。母はヒステリックに「見た目で判断しないで」というようなことを言う。事情を知っているのは、それが失われた彼女自身だから。物語としての終盤、母の家の壁紙には彼女の会社に社員としてタトゥーの男の姿があったようだ。しかしボーは見た目の恐ろしさを理由に彼を恐れ、はねつける。

●彼女の分身が男であるのは
彼女の女性部分は完全に死んでしまっている。つまり母の中に残った男性部分だけしかない。電話にて「乾ききった愛情を絞り出して云々」


ボーが彼女の邸宅を訪れようとしたように、彼女もボーのアパートを訪ねていた。辛うじてある力をふりしぼって母はボーにタトゥー男を示唆し、訴えるが、タイムアップ。最後まで彼女が見つけられることはなく、全てが失われた。


そしてあの電話がかかってきた時には、
本当に母は死んでいた。

そしてボーもまた、全裸の殺人鬼に殺される。聖母像は割れる。

●ボーは何に殺されたか
全裸の殺人鬼は邸宅のトラウマの怪物を彷彿とさせるそこのない下品さと悪意の象徴だ。タトゥー男が辛うじて残っていた反トラウマとするなら、
それが消えたことによって、母自身はトラウマに支配される。そして母がボーを滅多刺しにしたのかなと思う。それはいつまでも母を見つけてくれず、損ない続けたことに対する母による復讐かもしれない。

●母は何に殺されたか
一方で物語としてのラストシーン。
彼にとっては母の反トラウマこそがトラウマになりうるかもしれない。例えば母のヒステリーや男性的な部分を抑える言動だったりするのかなと思う。実際追いかけてくる大男は恐怖そのもの。そしてボーにとっては、母にとってのトラウマが彼を守る反トラウマになりうるのかもしれない。
母のトラウマをルーツにしたボーの反トラウマは、母を殺す。 それは母が自分を損ない、真実を与えなかったことへの報復でもある。トラウマは形を変える。色んな面がある。

ボーを見つめる人々の視線は鋭く冷たい。
どちらにとってのはじめも、おわりも。

●風呂場の男、叫ぶ男
風呂場に居た、あの怯えきった男は母から逃げてきたのは父親。コロシアムで弱々しくボーを弁護していた男もそう。
父親もまた、結婚記念日といわれる日、ボーと同じような種のトラウマを抱えたのだと思う。
ボーがトラウマそのものになったことに対しての報復をコロシアムで断罪した。
頭も鼻も、死の気配と共に、諸共水の中に溺れる。羊水の中、女の腹の中に押し込められる。そしてまた生まれる。そして彷徨い、傷つけ損ない合う。


この物語の結末は決定されていた。原因と結果の錯綜。そして同じ結末。宿命は宿命のまま終わる。



●女は察して欲しかった 男は言って欲しかった
反転した物語


互いに向かい合って反対の道を進むことの示すことは、トラウマの認識然り、男女の間で、認識の傾向の違いがあることによるすれ違いだと思う。

ボーの旅は事実を踏まえ、ひとつ真実を求める。事実は真実の為の要素に過ぎない。

母にとって真実は複数ある。そのため伸び縮みしない事実にそれらを集約する。ただそこにある事実を求める。

一貫して同じ年齢同じ顔のボー。
顔を変え続ける母。

母が求めていたのはただ道中で彼女の存在を認識してもらうことだけだ。それだけで救われた。でもボーは婉曲的な言語の世界を認知することが出来ない。真実を知ってから事実を処理することはできない。それでは遅すぎるから。それに女性にとって最深の真実は空虚であると思う。するとボーが母を救うために真実を知ることは彼女にとって無意味だし、それを求めることは逆鱗に触れることかもしれない。

ボーはただ真実を求めた。
それが彼を混乱から救うことであったが、真実は隠され、彼を大いに傷つけた。
与えられるべき真実を母は持ち合わせていない。支離滅裂ともいえる彼女の事実は彼を混乱させるだけでしかない。

女は察して欲しかった。
男は言って欲しかった。
よく聞く話ではある。

事実の結果である真実
真実の結果である事実

全く、二つの性が進む方向性は逆。
事実と真実の向かう方向。
根本的にすれ違ってる。

これもまた、この物語を支配するメタである宿命のひとつ。

そんな決裂を含む宿命と共に世界は前に進む。宇宙船はもはや止まらない。
小径

小径