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WAVES/ウェイブスの1234のレビュー・感想・評価

WAVES/ウェイブス(2019年製作の映画)
5.0
先ほど観てきました。

神さまが人を救うのではなくて、
人が神さまの役割を担って、神さまを自由にしてあげるんだなと、改めて感じます。

作品はずっと、青と赤のカラーがパトカーのサイレンよろしくクルクルまたたき続けます。

陽の光は七色ですね。
いちばん短い波長が青色となって届き、いちばん長い波長が赤色となります。

空が青いのは、七色の光のなかで、いちばん早く拡散するかららしいです。いわば、青は人にとっていちばん近い色ということですね。

夕焼けが赤いのは、遠くなった太陽の光のうち、赤色が最も遠くまで届くから。だから赤は人にとっていちばん遠い色です。

青といえば空、空には神さまがいます。
赤といえば血ですね。血は人から流れます。

青から赤のあいだに、いろいろな色がグラデーションしてひしめいています。

私たちはふと自由を求めて空を見上げます。空の澄んだ青さを、自分にも他人にも完璧を要求してしまいます。
自分を神さまに近づけようと、冷静な青に同化しようといえるかもしれません。

でも、人生には不測の事態も起きるし、自分の望んだ通りになんて100%なりません。色は青だけじゃないからですね。

青の対極にある赤色も、人のなかには流れています。
赤は、青の世界がいかに息苦しいかを教えてくれる。

彼女を言う通りにさせようとしてるお兄さんは青いブルゾンを着ている一方で、彼女は真っ赤なドレスを着ていますね。

でも、この映画がほんとに言いたいのは、青と赤どちらが真実かとか、男は青で女は赤とか、そんなことではない。

人は自分で自分の色を決められないんだ、と。
だけどそのおかげで、世界はいろんな色が混ざりあって鮮明な映像になるんだ、ということだろうと思います。

話の途中で、画面のサイズが変わります。そこからはお兄さんではなく妹の視点になるからです。
だから、このお話は妹さんの目に映る世界の話なんです。

世界は何色か?

その視点で語るうちは、色についてバラバラに細かく語れるかもしれません。でも画面はただ色が次々と変化するだけで、まったく映像にならない。

人は自分で自分の色を決めることができない。
しかしそのことに気づくと、空の色が朝から夜にかけて変わることに気づいて、世界は途端に自分の前に鮮明な姿で現れる。

登場人物が黒人なのは、「黒人問題」というものを、七色全ての色の話として考えなさい、ということですね。

スプリンクラーではしゃぐ二人が虹だ!というのは、その暗示でしょう。

図らずもお兄さんを追い詰めてしまったお父さんには、牧師をしていた祖父の影響あってか、昼間の澄んだ空の青と、自分の宿命の肌の色たる、夜の黒色しかなかった。昼か夜か、しかない。

そのことが奥さんに無意識に「子どもを作りたくない」と言わしめてるんですね。そんな世界に生み落としたくないから。

お兄さんの彼女が中絶出来ないのも、「世界はそんな単純な色合いじゃない!」という暗示を裏支えしています。

世界をそのまま見る、それが彼女が子を守った「愛」だと。
それこそキリストの愛かもしれない、と。
それは人を赦すということでもあるんだ、と。

人は自分で色を決められない。
青に近いかな?と思えば紫になって、赤かな?と思えば黄色になったり…

そのどっちつかずの状態のことを、映画のなかで「牛と象が水中で生んだよう」なマナティとして語られています。

牛も象もインドの神さまですね。
いずれもキリスト教以前の、より人間に近い神さまです。

人間というのは、そもそもが七色で、何をするかわからない生き物なんだ。
だからこそ人間なんだと認めよう。

二階の静かな場所に二人で消えていった、彼女の話し相手がゲイの幼なじみなのは、だからおそらくほんとでしょう。

大物ラッパーの曲がふんだんに使われているのも納得がいきます。

ラップがいう「いまを生きろ」というのは、「いまを完璧にしろ、色を決めろ」という意味ではなくて、「そもそも色なんて決まってないし、だから世界が鮮明なんだろ?よく見ろ!」と繰り返し繰り返しているからです。

カルペ・ディエム(いまを生きろ)のほんとうの意味は、いまを完璧にしろ、ではなく、いまをしっかり見ないとすぐに色に染まってしまうぞ?黒人とか白人とかそんなくだらない…ということなんですね。

自信を持って、オススメします。

そして、あんなハイスクール生活には、やはり少し憧れる。
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