ずっと映画化を待ってた伝説漫画が、あっためられて、行定監督に調理されるならば、観るしかないです。
先ほど、錦糸町のレイトショーで観ました。改装前の映画館には、わたしを含めて客は10人も居なかったです。
「お見事。」のひとことに尽きます。
内容どうこうではないんです。
この漫画は、ひねた人でなくても当時中高生だった人は、ほとんどの人が知ってると思いますし、いまとなっては、そんなに内容に「新鮮さ」を感じません。
ところがいざその映画にも、「新鮮さ」を感じない。
そこが凄いんです。
作品の内容は、この漫画が書かれた90年代に比べると、いまならもう身体で理解できますよね。
生身の「生」とでも呼ぶか、「リアル」というか、とにかく「生きてる感じ」が、自分の身体をすり抜けている気がしてならない数人の男女がいる。
なにを飲んでも食べても、飲み足りないし食べ足りない。吐き出し足りないし、出され足りない。
そして誰が一番「リアル」に近づけるのか、まるで崖に向かって車のアクセルを踏むように、チキンレースしてる。
そこに、レースに「なんにも関係ない(by吉川)」若草を結節点というか、容れ物として、「リアル」(=「恋」)がUFOのようにやってくるのを待っている…そんな感じですか。
日本版の「スタンドバイミー」のようなお話ですね。
作品が書かれた当初は、ほんとに時代を先取りしてるというか、この世の全てが書かれてるような、そんな印象を誰もが持ったのではないでしょうか。
じっさい、いじめや引きこもりは当たり前として、LGBTやME TOOがカタチになって顕在化するのは、つい最近のことですので、この漫画の思想というか哲学というか、一枚一枚の葉っぱまで水を吸い上げている根っこの深さには、改めて驚愕します。
ですが言ってることは、この20年で、もうホネを掘り起こせないぐらい「踏み固め」られてますよね。
真新しい内容は、何もない。
その「古い」ものを、監督はあえて「新しく」しようとしていない、ここが凄いと思うんです。
ふつう「古い」と感じるものは、「新しく」しようとオーバーに味付けしたり、変なセリフ言わせたり、あるいはまったく逆に「素材そのものの味」とやらを出そうとして、やたらと原作に忠実になりますよね。
結果どうなるか。
作品から発生する「リアル」が、一歩遅れた「ホルマリン漬け」になっちゃうんです。
「新鮮な魚」は「水族館を泳ぐ魚」でも「死んで間もない魚」でもないですよね。
その「リアル」を掴み損ねる滑稽さは、まさにこの漫画が言わんとしてることですよね。「ザマアミロ」と。
しかし行定監督は、そんな軽率なミスはおかしません。
驚きの演出をしてます。
作品の登場人物ひとりひとりに、インタビューというカタチをとって、登場人物自身に、遠巻きにこの映画の「感想」を言わせてるんです。
田島カンナのあのインタビューが流れるのは「事件」の後ですよね。まるで映画の流れを断ち切ろうとするような、明らかに意図的な並びです。
なにを意図してるのか。
このインタビューは、映画の補足ではありません。
映画を眺めるもう一つの映画なんです。
そうすることで、「古い」内容の原作を、現代で「古い」まま取り出そうとしてるんです。
それがこの原作を、少しも死なさないで生かす方法だからです。
何かに感動したとき、その感動を誰かに伝えることは、とても難しいですよね。
なぜなら人には「感動のなかで何かを語る」ことしか出来ないからです。
「どこかにある誰にでも伝わる感動」、そんな「著作権のある感動」なんてありません。それはリアルじゃないからです。
あるとしたらそれは、コンビニのサンドイッチみたく「パック詰め」された「リアル」です。
「新鮮」と書かれたレトルトを「美味しい美味しい」と食べて、吉川から「ザマアミロ」と言われるのがオチです。
あるいは、「新鮮さ」で「リアル」を競い合った挙句、築地市場を単なる供給工場に貶めてしまったざんまいな人たちがいたために、「別のとこでもいいでしょう」と築地が葬られることになっても、誰も何も言えないように。
人びとが刺身に求めている「新鮮さ」は、刺身そのものの新鮮さとは、ほんとは無関係ですよね。
「古い」ものが「古い」まま壊されずに取り出される、別次元からやって来るUFOや(イヤじゃない)ユーレイのような奇跡が、私たちには常に「新しい」でしょう。
行定監督は、この映画に、インタビューしてるだけなんです。(おそらくインタビュアーは監督ご自身なんじゃないかと思います。)
そうすることで、原作がUFOではなくて、飛行機雲のようにして、この世界に存在することが出来てるんです。
画面がわざわざ4:3なのは、「映画を眺める映画」だから、だと思います。
ほんとに、原作へのリスペクトを感じますし、これ以上に作品をイジることは出来ないでしょう。
映像や、音響の演出も見事です。
「関係ないヒト」だから、映画のなかで、声を上げて泣くことが許されない若草の鳴き声を、カモメが代わりに鳴いたり…
若草を演じる二階堂ふみも、まったく見事というほかありません。
文句なしです。
登場人物の性格は、全員ばらばらなのに、どの人物にも自分を重ねることが出来る。
そんな映像体験が出来る、稀有な作品だと思います。