ヒロタケ

アマンダ・ノックスのヒロタケのレビュー・感想・評価

アマンダ・ノックス(2016年製作の映画)
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自分探しに海外留学をした女性が、現地で殺人事件に巻き込まれ、
杜撰な捜査と意識の低い報道で「異常な殺人者」に仕立て上げ
られてしまう話。

この映画を、ベタベタにカリカチュアライズされた三者、警察・マスコミ・世論、つまり、印象に引きづられて容疑者を犯人だと決めつけ、有罪に持ち込むことが正義だと信じる傲慢な警察と、興味を引く題材に飛びつき、勝手に容疑者のイメージを作り上げ、そのイメージに沿った情報だけを血眼になってかき集め、結果、真実が違ったら「それが世論だから」「それが記者ってもんだから」と開き直るマスコミと、それに踊らされて魔女狩りのようにつるし上げをしようとする世論、これらを批判する映画だと判断するのであれば、この映画のメッセージを取りこぼすだろう。

この映画は前半、彼女の半生や発言や行動がメインとして構成されている。そこで映し出されるのは、彼女の「痛さ」だ。
海外で自分探し、メチャメチャな部屋に気にも止めずシャワーを浴びるという周りの見えていなさ、殺害現場のすぐそばでイチャつく、不安に押しつぶされそうになると、音を消すように耳を叩いたり、待合室で側転をし始める、強圧的な取り調べで自白するならまだしも、関係の無い人を巻き込んで容疑者に仕立て上げたり、と映画は彼女を華麗に「イタイオンナ」として観客に印象づけていく。
これが、まるでデイリー・メールのクソ記者が、ネットで見つけた機関銃を構える彼女の写真や、マリファナや乱交の情報をかき集めて、「異常なオンナ」に仕立て上げていく過程と同じなのだ。

だから、マスコミと警察のモラルと意識の低さを嘆くだけでは、この映画のメッセージを取りこぼすだろう。
しかし、観客は映画の意図通りに「マスコミの煽動的な報道に振り回されるのは止めよう」とか、「疑わしくは罰せず」と自制的になったりはしないだろう。
おそらく、この映画を見て無意識にたたき込まれるのは「イタイ人間と関わると面倒」「イタイ振る舞いは止めよう」なんじゃないか。
なぜなら、冤罪にまつわる狂騒曲もまた、ベタベタなカリカチュアだからだ。
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