ヒロタケ

雪の轍のヒロタケのレビュー・感想・評価

雪の轍(2014年製作の映画)
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文芸作品。
どうやらチェーホフやドフトエフスキーを思わせる場面が多いらしい。
主人公アイドゥンはトルコ演劇史を書こうとしているが、そのことが映画の中で何を意味してるのかはよく分からず。

セリフの中で良心がちょくちょく出てくるが、それもイマイチ掴めない。
悪に抗うこと、地獄への道は良心で出来ている、などなど。
ただ、アイドゥンも、妹のネジラも、妻のニハルも唯々金持ちで、現場での苦労など知らず、彼らにとっての慈善活動は自尊心を満たすような自己中心的で、相手などお構いなしであるのはよく分かる。

野生の馬を捕まえ、気が変わって解き放つ。
線路脇で野垂れ死ぬ動物。
猟銃で撃たれたウサギ。
大金を燃やしてしまうイスマエル。
ニハルの活動に干渉しないと気が済まないアイドゥン。
これらは繋がっているんだろう。

この映画のよく分からないのは、良心や倫理の話と施しやパターナリズムの話がどう繋がってるのか。
そこがイマイチ掴めないから、私には響かないのだろう。

スアーヴィ宅で、レヴェントが逆境にも負けないぞ!と自分を奮い立たせるようなシェイクスピアの一節の引用に、反論するように、アイドゥンが人生の諦念を表すような一節を引用した後、ゲロを吐くのは何だろう?
ただ、そのことで心のわだかまりが消え、最後の独白に繋がっているんだろうということは分かる気がする。

アイドゥンの干渉にニハルがキレて、泣き疲れた後に言った台詞
「あなたは教養があり、誠実で、公平で良心的よ。そういう人なのは否定しない。
でも時々、その美点を利用して、人を窒息させ、踏みつけ、辱める。
高潔さ故に、世の中を嫌悪する。
信じる人を嫌う。信じることは未熟で無知な証だから。
でも信じない人も嫌い。信念と理想の欠如だから。
年寄りも嫌い。偏狭で発想が自由じゃないから。
若者は発想が自由で嫌い。伝統も捨ててしまうから。
人は国に貢献すべきだと言いながら、人を見れば泥棒か強盗だと疑ってかかる。
つまり人間が嫌い。一人残らず嫌い。
一度で良い。その身を捧げて何かに尽くしてみて。
利益にならないことを考えてみて。
でも無理ね。」

これって実は、近代の人間に対する批評ですよね。
特に、わざわざ3時間以上の文芸作品を見るような人間に対する。
アイドゥンが正しくいられるのは親から受け継いだ資産のおかげ。
しかもその正しさは、支払いが出来ない一家に強制執行する程度の「正しさ」。
嫌な金持ちの喧嘩を見続けるような映画ですが、文明批評になってる気がします。
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