ふみあき

暗黒女子のふみあきのレビュー・感想・評価

暗黒女子(2017年製作の映画)
2.0
 ミッション系の名門女子校の中でもハイカーストに位置する文学サークルが舞台。そこでは闇鍋をしながらの朗読会が定期的に行われていて、本作では部員たちがそのサークルの部長であるいつみの死について回想するというのが大筋の流れ。設定だけ聞くとアイザック・アシモフの黒後家蜘蛛の会や芥川龍之介の藪の中を想起させ、王道ミステリを期待してしまうが蓋を開けてみるとかなりチープというか、粗末なイヤミス(嫌な気分になる、後味の悪いミステリ)で残念。演技に関しては千眼美子(元・清水富美加)がズバ抜けて上手く、振る舞いから発生、声のトーンや抑揚などかなり役にハマっていた。ただそれ以外が良くて中の下と言ったところか、特に玉城ティナと千葉雄大は棒読みに近くて酷かった(千葉雄大に関して言えば、ベッドシーンの演技が生々し過ぎてプライベートでもかなりのヤリ手なのだろうと思えてしまうほどで逆にウケた)。
 好きな具材を入れる闇鍋と、各々の主観と思惑を以って真実を有耶無耶にしようとされる朗読会の対比自体はかなり面白い設定なのに、その設定を生かしきれていないどころか、かなり設定ありきな印象があり、そうした中途半端な演出が本作でいうところの苺大福となっているのがなんとも皮肉。本作のキーアイテムとなっている鈴蘭の持つ意味は恐らく「女子高生の待つ美しさ、純潔さとその毒」なのだろうが、「女子高生=刹那的で絶対的な美しさ」という言説それ自体も含めて、かなり安易ではなかろうか………。極め付けはラストシーンの次回朗読会のテーマが『ああ、無情』、原題はレ・ミゼラブルでこれの直訳が「哀れな人々」、恐らくこの一見してフランス革命をなぞっているように見えてその実踊らされているだけの哀れな人々というメッセージを含んでいるのだろうが、観客からすれば、こういった舞台や設定に期待させられて踊らされた我々こそが哀れな人々ではないかと嘆かざるを得ない。
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