ささきたかひろ

レディ・バードのささきたかひろのレビュー・感想・評価

レディ・バード(2017年製作の映画)
3.6
レディ・バード。てんとう虫の英語名。
主にイギリスで使われる事が多いらしいが、この映画の舞台はアメリカのサクラメント。けれどもアメリカでは「レディ・バグ」と呼ぶのが一般的なようで、本作はこの時点でヒロイン”レディ・バード”のようにちょっとひねくれている。

てんとう虫はキリスト教文化圏において「聖母マリアの使い」とも言われ幸福の象徴になっている一方、俗語として「浮気な女、淫らな女、移り気な女」という対極の解釈もある。極めつけは「愛し合う夫婦へ子宝を授ける」シンボルでもあるという伝承。

実子を持つことを諦めかけていた(アジア系の兄は養子)夫婦の元へ舞い降りた「てんとう虫」すなわち”レディ・バード=クリスティン”だったわけだから、傍目には閉口するしかない母親の過干渉も、娘には伝わりにくい愛情表現も全ては「愛する我が子を守るため」であると思えば合点がいくし、冒頭車中のシークエンスは、重なりそうで重なり合えない母親と娘の微妙な距離感を本編開始早々に端的にそして簡潔に表現していた。

人間の過剰、過激な行動および感情は、ほぼ抑圧の裏返しであると思って良いだろう。度を超えた感情をぶつけてしまう相手は大抵の場合「自分が生きられなかった生」を謳歌していたり「手に入れることができなかった物」を手に入れていたりする。そして時々私たちはぶつける相手、ぶつける力加減を間違う。まして無意識に支配されがちな10代ならそれは風物詩のような物でもあり、最終的に甘い果実を手に入れた者たちはそれを「青春」と呼んだりもする。

ヒロイン”レディー・バード”の奔放な態度は、一見キリスト教文化圏へのアンチテーゼのようにも思えるが、実の所、徹頭徹尾「キリスト教的な愛(ダニーの苦悩に対するクリスティンの慈悲)」に貫かれているのも興味深い。

青春映画と呼べるほどのカタルシスも無いし、エナジーの沸騰もない。無いこたぁないが、それは刹那で惰性的な小爆発であり爆発するにも地方都市の湿気った燃料では二進も三進も行かない侘しさの方が少しアンダー気味の画面から伝わってくる。

怨讐と愛着の狭間でズタボロになって故郷を離れた人々には「肯定・否定」その両方において、この上ない劇薬となりそうな本作。改めてアメリカの文化とキリスト教の密接さを認識した作品でもありました。
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