スローターハウス154

スポットライト 世紀のスクープのスローターハウス154のレビュー・感想・評価

3.9
2022/1/17

陵辱・虐待という人間の魂、アイデンティティの蹂躙を神の代行人が行うということ。
日本じゃ教会はあまり馴染みがないけど、ひと昔前の学校というのはこの映画でいう教会そのものであって、教師は神父そのもののようだった。
また最近はスポーツ界でもコーチと選手との間で起こっていた性被害問題がしばしば揉み消されていたという告発が相次いでいる。
特定の人間を神格化してしまうことの危険性は、思考放棄(停止)にあるのだろう。権力が人を狂わせたのか狂った人が権力を握ったのかという鶏と卵どっちが先かはわからないが、閉鎖的なコミュニティではとりわけ、異常性を有する権力者の異常行為は黙殺されやすくともすれば正当化され、そうなると被害者側は被害を受けたことの原因は他ならぬ自分にあるのだと自他共に責められるような構図が生まれやすい。

最近は権力者が吊し上げられやすい時代となり、幸いにも加害と被害の区別がつきやすくなってきた。
劇中に出てきたパクィン神父の存在が印象的だ。彼がかつて受けていたレイプと違って、彼が子供達に“施した”いたずらに彼自身は悦びを見出していない。だから自分は神の教えに叛いていない、という罪の意識そのものすら自覚していない。自分が受けた行為を陵辱だったと認めない意識が、新たな被害者を生む。特定のコミュニティ内での陵辱が伝統となってしまう仕組みを垣間見たシーンだったと思う。