スローターハウス154

つぐないのスローターハウス154のネタバレレビュー・内容・結末

つぐない(2007年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

2022/7/22

原作はイアン・マキューアン『贖罪』。読んでみたくなった。
キーラもマカヴォイもシアーシャも、イングランドのまばゆい自然の、想い出の景色の中にマッチしたキャスティングだった。

原作を読めばまた印象が違ってくるのだろうけどとりあえずこの映画で読み取ったことを書く。
ブライオニーが川に飛び込んでロビーの忠誠心を試したことからもわかるように、ブライオニーはロビーに恋愛感情というよりも、父性を見出していたんじゃないかな。のちにカンバッチ演じる変態紳士に強姦されてしまうローラもそうだろうけど、父親がいなかったり父親と適切な関係が育めなかった子供は年上の男性に心を許しがちになるらしいし(ローラの場合は年頃ということもあって変態紳士に色目を使ってしまうのだが)。
ブライオニーもそのままもう少し歳を重ねればロビーに色目を使うようになるんだろうな。しかしその前に保護者として愛して欲しかったロビーと、そしてローラを強姦した男の剥き出しの男性的な性欲を目撃し、性欲というものへの恐怖を植え付けられてしまった。繊細な彼女はこの時の嫌悪感を生涯にわたって持ち続けることになったのだと思う(彼女がおばあちゃんになるまで洒落っ気がなく髪型もほとんど変わらなかったことから推察)。男の性欲への嫌悪、そしてロビーが自分よりも姉を愛していたことへの嫉妬と理不尽が、ブライオニーにとってはまるで彼に裏切られたかように感じられたのだろう。その彼女の怒りはあの“嘘”へと発展する。
その「ロビーは色情魔」という“嘘”の告発だが、当時の彼女にとっては「事実を捏造した」という意識は薄かったのではないかな。たまたま同時的に起こった二つの性的な出来事を、幼い彼女は別個のものと考えたくなかったのだろう。どうにかしてその二つの因果関係を単純化しなければ、目の前で起こった現実を受け入れることができなかったのだろう。ほとんどの子供は、起こった現実をそのまま受け入れることができません。子供にとって現実世界は時にあまりにも残酷なため、そういう時に「わかりやすい物語」が必要となります。親が離婚した、好きな人に強姦された、「命の恩人」が自分よりも姉を深く愛していた...、これは子供には理解し難い現実です。ブライオニーの罪は結果的に許され難いものとなりましたが、その“嘘”は彼女が現実を受け入れるために必要不可欠な物語でもあったのだと思います。誰かを貶めたいという悪意よりも、現実を受け入れて生きるため、そして作家性を自負するいくばくかの自己顕示欲という心理が幼い少女を動かしたのでしょう。この現実をシナリオ化したがる彼女の性(さが)はラストのオチに繋がっているなと思う。

そして複雑なのが、ローラは自分を強姦したのはロビーではないということを、本当は初めから知っていたのだろうということだ。しかし幼い少女にとって、好意を抱いていた相手(カンバッチ演じる紳士)に残忍なことをされたという事実を認めることは酷だったに違いない。だからブライオニーの「ロビーがやったのよ」という偽りの目撃情報を、事実だと受け入れたのだと思う。
そのようにして幼い少女たちが作り出した“物語”によって登場人物たちの運命は大きく狂わされてしまうのだが、その後この2人の少女がこの事件にどう向き合って生きたかは、対照的に描かれているように思えた。
人生を懸けてその罪を償うことを決めたブライオニーに対し、ローラはロビーが犯人であるというその嘘に甘んじた結果、あろうことか自分を強姦した張本人との結婚も受け入れた。そのようにローラはロビーの人生を踏み台にするほどまでに”自分が好きな人に傷つけられた“という事実を認めることができなかったのだろう。彼女たちの“幸せな”結婚が、ブライオニーの罪の告白を妨げた大きな原因ともなったんじゃないかな。
そんなブライオニーだって、ローラのように過去の罪を水に流せばもう少し人並みに幸せな人生を送れたのかもしれない。しかし彼女にはそれが出来なかった。これは僕の想像の域だけど、おそらくブライオニーは良心の呵責から何度か自殺も考えたこともあるんじゃないかな(負傷兵が続々運ばれてくる看護師時代は特に)。抱えきれない罪悪感を自覚した時にほとんどの人は、自殺を考えるか、破滅的な生活(人生)を送るか、あるいは善行に身をやつすかのパターンを彷徨うと思います。しかし彼女はそのパターン以外に、創造性という選択肢を持っていました。この創造性によって作りだした罪を償うにはやはりその創造性を活かす他ないのだと、彼女は罪の自覚と共に悟っていったのでしょう。

物語で人の人生を狂わせ、物語で罪を償っていく...。
「なぜ私たちは物語を求めるのか」という問いが、この『つぐない』という作品の通奏低音となっているように思えました。だからこそ、この作品全般にはタイピングの音が響き、ロビーとセシーリアは図書館で永遠の時を刻まなければならなかったのでしょう。