ヒロタケ

ミッドナイト・イン・パリのヒロタケのレビュー・感想・評価

ミッドナイト・イン・パリ(2011年製作の映画)
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この映画のポイントは2つ。
「何故、ギルは現在に戻ることにしたの?」
「どの視点のパリを選ぶ?」

最後、ギルがアドリアナに別れを告げて、現代に戻った理由ですが、「"現在"って不満なものなんだ それが人生だから」というセリフに象徴されるような「諦め」を含んだリアリズム、があることは否定できませんが、私は、映画の中での偉大な芸術家たち、とくにヘミングウェイのセリフから「現在の自分を肯定しなさい」というポジティブなメッセージを受け取った結果、だと思いました。

ギルが最初、ヘミングウェイに批評してもらいたいとお願いしたときのやり取りですが、
ギル「僕は信頼できる人に評価してもらいたい」
ヘミングウェイに「作家は互いに張り合う」
ギル「あなたとは張り合えませんよ」
ヘミングウェイ「物書きなら、自分が一番と宣言しろ」
これは、わかりやすい自己肯定であり、ギルが生きている現在を肯定しろ、というメッセージだと思いました。

また、ギルとヘミングウェイが車の中で交わした会話の中でのヘミングウェイのセリフ
「その女を抱くとき、真実の情熱を感じ、
死の恐れを忘れられるか?
愛を知らぬもの、偽りの愛しか知らぬものは臆病。
真の愛を知る者は、死を正面から見据える。」
これは、その本人が生きている世界で、その本人しか感じれない、絶望(この場合「昔は良かったのになぁ」という憧憬、羨望)や、希望(アドリアナが好き、ガブリエルが好き)に正面から向き合い、それを芸術に昇華しろ、というメッセージであり、イネズの友達のポールのような、知識偏重で見る芸術ではなく、自分と格闘して掴み取る芸術であれ、というメッセージでもあるように思いました。

また、ガートルード・スタインがギルにアドバイスをするときの会話、
「(ギルの小説は)誰もが死を恐れ、自分の存在を問う。
芸術家の仕事というのは絶望に屈せず、存在の空虚さを打ち破る術を見つけること。
あなたには明晰な声がある。敗北主義はやめなさい。」
このセリフも、ヘミングウェイのセリフと同じ意味があると思います。

以上の事から、ギルは「絶望に屈せず、存在の空虚さを打ち破」り、現在に戻ることを選択したのだ、と考えました。

それともう一つ。「どの視点からのパリを選ぶのか?」というテーマも、この映画にあると思いました。
婚約者でアメリカ人のイネズ。
黄金期のパリを生きるアドリアナ。
パリ育ちのパリジェンヌ、ガブリエル。
それぞれは、「パリへの眼差し」が象徴されていると思います。
高級なレストランやショッピングを楽しみ、ポールのウンチクに酔いしれ貴族趣味を満たし、観光地巡りをするイネズは、「ツーリズムとしてのパリ」。ヘミングウェイのセリフを結び付ければ「愛を知らぬもの、偽りの愛しか知らぬもの」です。あくまで、ステータスを満たすためであったり、よそ者が現実のパリなどお構いなしに楽しむためのパリです。
アドリアナは言わずもがな、あの現実離れした妖艶さは「憧憬、羨望としてのパリ」です。一見、良さそうに思えますが、自分の存在の空虚さを埋めるためのパリです。根っこでは「ツーリズムとしてのパリ」と同じです。
最後は、パリ生まれパリ育ちのガブリエル。人々がそこで生きて、愛して、喜び、悲しみ、育まれていく「生きたパリ」です。
ギルは、初めは己の存在の空虚さを満たすための「憧憬、羨望としてのパリ」の眼差しで見ていましたが、偉大な芸術家と交わり、アドリアナと愛し合い、「真の愛を知」り、「死を正面から見据え」、「存在の空虚さを打ち破」り、自分を肯定し、「生きたパリ」の眼差しを得た結果、ガブリエルと結ばれたのでは、ないでしょうか。

偉大な芸術家たちが出てくる映画なので、知識が必要なのかと思いがちですが、「誰でも過去をうらやむことってあるよね」って気持ちがあれば、軽いタッチで誰でも楽しめる。しかも、ちょっと芸術家たちに触れられた気になれる・・・・。ウディ・アレンって、ほんとにすごいなって思います。大好きです。

冒頭の「これでもか!」と言うほどのパリの景色に見とれてしまいました。「僕はパリにこんなにも憧れていて、こんなにもパリの美しさを知っているんだよ!」という監督の主張のように思います。これは、主人公のパリ愛と偉大な芸術家たちへの敬愛にも通じる気持ちだと思います。
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